転生者といへんのあしおと
この年最初の水曜日、リリが口を開いた。
ちょうど、私が引きこもり始めた頃のことを話していたときだった。
「何故?」
忘れそうなくらい久々に聞いたリリの声は、かすれていた。
私は彼女から反応が返ってきたことに内心ものすごく動揺しつつ、平静を装って答えた。
「引きこもり始めた理由のこと?ちょうど学校を卒業して家の手伝いを始めたからかな」
そうじゃなくて、と彼女は顔を上げて苛立ちの表情を見せた。私は二度びっくりした。リリが時間中顔を上げるのも感情を感じさせるのも、これが初めてだったから。
「貴方が家を出たくないと思ったのは何故?」
私は、リリの顎のとがった小さな顔を見つめながら、ゆっくり答えた。
「それは、外が怖かったから、かな」
それを聞いたリリは、頭を振った。
「それが分からない。…家の中の方がよっぽど怖い」
あ、今。
リリ、自分のことをしゃべったんだよね。
私は、恐る恐る聞き返した。
「怖い?」
「ええ。貴方が外を恐れたのは何故」
こくりとうなずいた彼女は、生真面目そうな目をしていた。
話を私のことに戻されてしまったことに少しもどかしさを感じたけど、リリは答えを待っている。だから、私は彼女が望んできた話をしよう。
「前にも、話したかもしれないけど…」
前置きをして、頭の中を整理する。
「私、期待の目に耐えられなかったの。皆、転生者なら何か転生知識ですごいことを始めるんだろうって目をしている気がして。今から考えれば、皆が皆じゃなかったんだろうけど…私、前世じゃ普通の学生で、特別な知識なんて何もなかったし。長い間こっそり考えてたけどなんの閃きもなかったし、だからってがむしゃらに頑張ってみるだけの根性もなかったんだ」
だから期待から逃げたんだ。
何度もいろんな子に語るうちに、かなり客観的に振り返れるようになった当時のことを、話す。まあ、話慣れても、恥ずかしいのには変わりないんだけど。
それでも、話ながらリリの様子に目をやるくらいの余裕は出来てきた。
リリは、私の手元をじっと見ながら少し眉根に力を入れている。
「でもね、リリの言う通り、確かに外を怖がって逃げても、意味はなかったよ。自分からは逃げられないから。自分に過剰に期待しているくせに努力する勇気もない自分のことが、どんどん嫌になっていった」
あ、まずい、暗い話になってしまった。そう後悔してリリを伺うと、彼女は考え込むように顎に手を当てていた。
リリは、何を思っているんだろう。これまでずっと相談はしないって態度をとってきて、それを崩してまでしたんだから、それだけあの質問はリリにとって意味のあるものだったはずだ。家の方がよっぽど怖いと言ったけど、それってどういう意味の怖いなんだろう。お母さんは薬師だってきいたから家にずっといるわけじゃないかもしれないけど、怖そうには見えなかった。
突っ込んで聞くべきか、まだ待つべきか、私が決めかねているうちにリリがぽつりと呟いた。
「…正反対」
何?
ところが、その時壁の掛け時計が時を告げた。
その音にはっとしたようにリリは話を打ち切って、席を立ってしまった。
残されたのは、正反対、という謎の言葉と、それから、家が怖いという呟き。
でも、リリがしゃべった。自分から、私に質問をしてきた。それは今までの彼女の態度から考えると、大きな変化だ。
この日は自分へのご褒美に、奮発して白玉入りのたい焼きを買って食べた。
最近、調子がいい気がする。
書類の整理も慣れてきたし、リリも少しだけど話してくれた。
僅かの間だけどお会いしたエセル家次男のコンラード様とは、初期のライナス様とのような険悪なやりとりにならず終始穏やかに話せたし。
心配していたヘスター条例という通称も、思ったよりも居心地を悪くするものではなかった。この辺りの商店の大人たちは、昔から私を知っているせいかあまり騒ぎ立てなかったし、今まで目の敵にして攻撃してきていた女の子たちはロンのもくろみ通り危害を加えてくることがなくなった。週に一度、隣町の協会に通うときに駅員のおじさんにからかわれるくらいなら、そこまで問題じゃない。
それに今日は、とうとうこの前提出した犯人像が早速各関所に伝達されたという報せもうけた。
効果の程は分からないけど、それでも自分が進めていた仕事が形になったことが、すごく嬉しい。
ほくほくして帰った私は、ミラ姉の突然の言葉に意識を引き戻された。
「信者になると、魔法の粉がもらえるんだって」
厨房で夕食を食べていた私は、スプーンをくわえたままぼけっと顔をあげた。
こな?
私の耳はかろうじてその単語だけを拾っていた。
そんな反応の悪さを気にもせず、ミラ姉は皿を拭きつつ話を続ける。
「小間物屋のサリナ、いるでしょ。あの子、甘いものばっかり食べて太ってたのに、急に痩せてね、何かあったのって聞いたら、これは信者の秘密だから、知りたかったら入会しろって言うのよ。私もう頭にきちゃって」
話を聞くうち、頭の中で情報がつながってきた。
これはもしかしてギルが言ってたやつじゃないか、と気付いたんだ。女の子二人が失踪したって話と一緒に聞いたやつ。その噂が、まだ続いてたんだ。
あの話を聞いたのは確か秋の中頃だったから、もう二ヶ月くらい経っている。いつの世もダイエットや美容のブームはころころ変わっていくものだけど、こんなふうにひっそり噂が流れ続ける妙な流行方というのは、不思議な感じがする。しかもそれが、信者だなどというよく分からない言葉とセットだと、なおのこと。
私は考えながら飲み込んでおかしなところに入ってしまった人参にげほげほとむせた。
「やだ、大丈夫?」
水を汲んでくれる姉は、自分の話題が私を驚かせるとは思ってなかったらしい。
「大、丈夫。…ミラ姉、それよりその話、私にも教えて」
姉は私が水を飲むのを見届けると、答えてくれた。
「だから、私は信者じゃないから大したこと知らないんだってば。あ、信者っていっても別に神様がいる訳じゃないみたい。ただ、意外といろんな子が知ってるらしいわよ。それなのにあんたはまだ知らないのって言ったのよ、サリナったら。なんか目がぎらぎらしちゃって、嫌な感じで。あれじゃ痩せる前の方が私は好きだったわ。いくら痩せたからって、がりがりの性悪じゃあね」
後半はミラ姉の愚痴だったけど、私には、やけに引っ掛かる情報だった。ギルに聞いた時は正直あやふや過ぎてなんとも判断がつかない、ピンとこない話に思えたのに、何故だろう。胸が、ざわざわするような、頭の芯が、痺れるような。
妙な感覚を堪えながら夕飯を食べ終えた頃には、私はひどい倦怠感を感じていた。
「…私、疲れたからもう寝る」
眠るにはまだ早い時間だった。
でも、もう何もする気が起きなくて、私は少しスープの残った皿を洗って下げた。
「ヘスターどうしたの?顔色が悪いわ」
注文をもって厨房に入ってきたモナ姉が、驚いたように言うのが聞こえたけど、振り返って答える元気がわかなくて、手だけで合図して階段を上る。
そして、ベッドに倒れ込んで、信じられないことに本当にそのまま眠ってしまった。




