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転生者のゆううつなげつようび

月曜日、私は浮かない気持ちを上げようと鞄に焼き菓子を忍ばせて出勤した。

昨日、黒猫屋と一緒にナンさんのところへ行ってきた。

ナンさんの例の計画に、彼も協力することになっていた。数いる転生者の中から黒猫屋を選んで頼むし、彼も多忙の中それを引き受けるんだから、やっぱり2人は仲がいい。

日曜は協会の休業日だけど、ナンさんが鍵を開けて待っていた。

お休みだからか彼女の髪はいつもと違って下ろしてあって、上半分だけ結い上げた髪型が普段より柔らかな印象できれいだった。

私は細くて滑らかな栗色の髪に見とれていたけど、黒猫屋は何も言わなかった。いつもみたいにしつこいくらいちょっかいをかけるのかと思ったから、少し意外だった。…まあ、そんなことはいいんだけど。

無人のロビーで、私たちはお茶を飲みながらお仕事の詳しい説明を受けることになった。

「第一段階は、転生者同士が相談できるようなつながりを作りたいの。現状では転生者同士がロビーで交流するのを容認しているだけで、積極的に介入はしていないでしょう」

そう言われても、私はそのロビーに座ったことすらない。だから、隣で脚を組んで寛いでいる人に話を振ってみた。

「黒猫屋は、ロビーでいろんな転生実業家と知り合いになったの?」

「そうそう。ちなみに、バーンの街に目をつけたのもそこで知り合った奴から噂を聞いたからだし」

私の質問に答えてくれた黒猫屋に、ナンさんは何かを思い出すようにため息をついた。

「こういうギラギラした野心家は、ロビーに居座って勝手に交流していくのよ。でも、そこに入っていけない人間もいるのよね」

私は深くうなずいた。

引きこもり中の私は、月に一度の面談のときにしか協会に来なかったけど、それだって他の成功している転生者に会いたくなくていつも人の少ない時間を狙っていた。うまくいかないときって、誰かに相談するのさえ怖くなって、自分からは動けなくなる。

「だから、話が合いそうな先達と引き合わせる仲介業務を試験導入しようと思ったの」

支部長も了承してくれたし、とナンさんはあっさり言った。さすが、仕事のできる女。

「相変わらずの猛犬ぶりだな。あの人のいい支部長にまで噛みついたのかよ」

私は、やや薄くなった頭に丸めがねをかけてにこにこしている支部長の顔を思い浮かべた。

黒猫屋はにやにやしていた。非難めかしているけど、その顔はすごく楽しそうだ。

ナンさんは冷たく目をすがめた。

「そちらこそ相変わらず無礼ね。支部長は私の企画書を読んで試す価値があると言ってくれたのよ」

そんな流れで、半分は二人の口論だったけど、仕事内容はわかった。

要するに、やることはこの前聞いた通り転生者の先輩としての悩み相談で、私が担当するのは小さいうちに覚醒した転生者だ。主な悩みは、体が幼いままなのに、急に大人だった前世の記憶を思い出したことによる戸惑いだと予想される。そういう5才から10才までの転生者が、呼び掛けに応じて領内全土から来るのだということだった。

ちなみに黒猫屋は前世の記憶が邪魔をして土地に馴染めなくなってしまった人たちを担当するらしい。彼はおにぎりを求めて移住した口だし都でいろんな転生者と関わってきたから、適任だと思う。

「もう何人か希望者が集まっているの。早速来週からスタートするから、よろしくね」

毎週中日の昼過ぎから、ほぼ1時間交代で4,5人の転生者と話していく。一度で来なくなる子もいるかもしれないし、毎回来ることになるかもしれない。そこは気にしなくていいと言っていたけど、問題は私の対人能力で果たして黒猫屋と同じ役目が果たせるのか、だ。

「大丈夫よ、まずは、ただ話を聞くだけでもいいの」

「オッケーオッケー」

「貴方はもう少し真剣に捉えて頂戴」

ナンさんは私を励ましてくれたけど、混ぜっ返した黒猫屋にヒートアップして『ここでの成果に今後の協会の改革がかかっているんだから』と言っていた。

聞けば聞くほど、私で大丈夫かと不安が募る1日になった。


その不安を持ち越したまま、私は書庫にいる。

オレオレ詐欺に関係して持ち出していた大量の資料を、若様が一旦戻すと宣言したからだ。

急にすっきりした若様の本棚では今、謎の像や壺がさらに主張を強くしている。当分ここに仕事相手を入れない方がいいな、と私は強く思ったけど、若様は分かっていなそうだ。

例の如く大量の本を前に、若様は自分も運ぶと言いだした。

ロンは止めなかった。そして奴は手伝おうともしなかった。だから今、私は仕方なく若様と二人で力仕事をしているわけだけど、今日も若様は良くしゃべる。

「今週は視察の予定もないから、事件の事務処理を進められるな」

「そうですね」

処理、と言っても、肝心の黒幕は雲隠れしているし、犯人グループの裁判も残っている。だからとりあえず、ではあるんだけど。

「ああ、そうだ。水曜は協会に行くんだったな」

若様が声のトーンを下げたのは、多分ロンに怒られたことを思い出したからだ。あの後、若様はロンから1時間以上も交渉のなんたるかを説明されていた。

そのロンは、『俺がいたら絶対2時間までに抑えた』と冷たい目をして言っていたけど、協会に手伝いに行くこと自体は反対しなかった。借りは早めに返した方がいいし、取引材料が私一人で済むのなら安いものだと思ったらしい。まあ、事後処理の今私じゃなければいけない仕事なんてないし、ロンにとっては痛くもない出費なんだろう。

止められないのは幸運だと思う反面、前世に潜らない私はいなくてもいいんじゃないか、という卑屈な根性がうずく。そして、そんな私でナンさんの役に立てるのか、とつながって不安の連鎖はエンドレスだ。

反対されたら困るくせに、お前なら安い取引だと言われるのはしゃくで不安になるなんて、本当に私と来たら、贅沢になって困る。私は一度強く頭を振った。

「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」

改めて頭を下げた私に、若様は不思議そうな顔をした。

「何だか、暗くないか?」

頭の中のグチャグチャが声に出てしまったらしい。出入り口を背にして逆光で顔が見えにくいからって、油断していた。

私はため息をついた。

「少し、不安で。…もうやるしかないのですけど」

こんな、仕事に関係ない感情を打ち明ける気はなかった。出てしまったのはきっと、この薄暗い書庫のせいだ。

そう決めつけて情けなさに俯いていると、若様がえ、と不思議そうな声を上げた。

「大丈夫だろう?」

…おい。なんだ、それ。

無責任なほど脳天気な励ましに、私はじっとりと若様を睨んだ。

何を根拠に言っているんだ。

私の心の声を読んだのか、若様はこちらに身体を向け直して付け足した。

「いや、適当に言った訳じゃないぞ。ヘスターなら大丈夫だろう、と言ったんだ」

身振り手振りで必死さは伝わったけど、その根拠が分からない。

最初の一言があんまり軽かったから、大丈夫と言われても喜べないしそうですかなんて笑えなかった。

「…もう結構です」

冷たく言ってまた本をしまい始めると、彼は小さく苦笑して、私の方へと手を伸ばした。その手は思わず首を竦めた私の頭をぽんと叩いた。

見た目より大きくて硬い手が、髪越しに熱を伝えてくる。

一瞬つぶった目を恐々開くと、若様は少しかがんで私の顔を覗きこんだ。緑の目が、入り口からの僅かな光を拾って優しく光っている。私はうっかりそれに見入ってしまった。

「ヘスターは困っている人を見過ごせない性格だろう?それに、ライナスのように敵意を向けてくる子供にも、ちゃんと向き合える。ナン女史のいう役割に向いていると、私も思う」

…どうしよう。

誉められて、今度こそちゃんと理由を告げられたのに、何故か胸が苦しくなった。

きゅうっとおかしな具合に心臓が締め付けられる。

それで、私は彼の言葉を否定した。

「…ライナス様は、もともと優しいお子様だったからで…」

相手が違えば、そうそう上手くいかないだろう。

そう小さく言い返せば、若様は宥めるようにまた手を動かした。私はますます痛みを訴える胸を、どうしたらいいか分からなくて、ブラウスの上からぎゅっと握りしめた。

「それに、あのナン女史がお前に頼みたいと言ったんだろう?それなら、お前には出来ると判断したということだ。あの人の目を信じろ」

ぽんぽん、と頭に乗った手が、不安を払うように動くけど。

確かにナンさんを信じるのは、自分の力を信じるよりも簡単だけど。

でも。

それより何より、胸が苦しい。息が出来ない。

このままこれが続いたら、心臓発作か呼吸困難で死んでしまう。

私は気力を振り絞って息を吸い込んだ。

「すそそそぉですね!」

「うわ!?」

変な声を上げた私に、若様がびっくりした声を上げる。でも、私はそれにかまわず言い切った。

「大丈夫な気がしてきました!!ありがとうございます!」

お礼ついでに頭を90度まで下げて、若様の手から逃れた。

「ん、ああ、それなら良かったが…」

急にのせる場所を失った若様の手が宙にさ迷う。

うっかりそれを見て、かっと血が上った。あの手が、長い指が、私に、触れていた。脱したはずの心臓発作の危機がまた私を襲う。

「ぁわわ私、残りの本を運んできます!」

私は大急ぎで若様に背を向けて、廊下へ飛び出した。

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