転生者のおきて
この世界には転生者協会というものがある。
これはかなり歴史のある組織で、大昔に転生者たちの横のネットワークを作ろうという目的で作られたという。
しかし実は、それは表向きの理由である。
本当の目的は、大切な掟を転生者に周知し、守らせることだ。
薬、爆薬など、危険なものはこちらに持ち込まない…これが、転生者協会の鉄の掟だ。
転生というものが初めてこちらで周知されたのは、はるか昔のことだったという。けれど、そのはるか昔の転生者は賢かった。自分以外にも転生により異世界の知識をもって生まれる人間が出てくるのなら、良いことばかりがもたらされるとは限らない、と考えたんだ。
彼・又は彼女は、その起きうる未来の不安を少しでも抑えるためにと、転生者に掟を設けた。
それは…
『一つ、この世界に武器や人の身体を害する知識を持ち込まないこと』
『一つ、それに関わる知識の一切は、たとえ家族相手であろうと他言しないこと』
『一つ、そうしたものを、たとえ広める目的がなくとも作ろうとしないこと』
この、協会内で転生三原則といわれる文言は、『言わない、作らない、持ち込まない』という合い言葉とともに協会の門をくぐった転生者に、最初にたたき込まれる。
また、この三原則に関わる具体的な禁止事項と、うっかり文言に触れかけた場合の罰則も順次教え込まれる。
そして月一回の定例面接では、三原則を遵守しているかどうか、確認されるんだ。
もちろん、禁止事項だけでは人を従わせることはできない。協会に属しても縛られるばかりというのなら、誰も入会しなくなってしまう。
昔の転生者の賢かった点は、そこに転生者の特権を設けたことだ。
転生者は、異世界にまつわる記憶を思い出した時点で、それを協会に届け出る。
そうすると、協会ではその人間の申告が真実かどうかを確かめるため、いくつかのテストを行う。
その内容は勿論部外秘だが、いくつかある異世界の歴史や地理に関わる、そこに暮らした記憶がなければ答えられない内容だ。
そして、審査を通った転生者は、協会から毎月給付金を受けとれるようになるんだ。
それは表向き、新たな技術や商品を世界に広めるための資金として渡されるものだけど、裏事情をひもとけば、転生者の行動を制御するためのアメでもあった。
「それでは、今月の給付金になります。では、また来月お待ちしています」
「ありがとうございます。…では、また」
両手で封筒を受け取る。
封筒には、風が吹いても飛ばない程度の厚みがある。
ふう、と思わずため息が出た。
毎月のこれをもらうたび、なにか肩に重しを載せられたような気分になる。
言い方を返れば、首に紐をつけられたような気分だ。
そんな気鬱を首を一振りして払い、私は横の人物に尋ねた。
「…分かりました?」
「ああ…」
金髪の美男子は、心なしか悄然として見えた。
私はあのとき、彼に、投資話の不自然さを指摘したのだ。
「そんなことはない、彼は信用できる」
「詐欺師とは、一見そう見えるものです」
「だから、さぎとはどういうことだ」
「明らかに若様の意欲につけこんでだまそうとしているでしょう」
「なに!?」
それでもなお納得しない若様に、私は自分の午後の用事を早め、そこへの同行を促した。
つまり、月一回、隣町の転生者協会支部で行われる定例面談への同行を。
転生者には給付金が支給されるから、わざわざ領主に投資を持ちかける必要などないことを、示したんだ。
それに、彼の話の不審な点はまだあった。
領主様ではなく、その息子である若様に話を持ちかけたこと。
急いでいるといって、領主様の不在中に話をまとめようとしていること。
しかも、それは彼が私を視察に連れ回した後であること。
こう来れば、転生者の知識で領地を豊かにしようと前のめりになっている若様が、それを知った人間のカモにされかけていることは明白だ。
ただし、転生者が投資を持ちかけることの不自然さはよく知らない人間には分からないことなんだろうけど。
事実、お付きの2人も特段問題視していなかった。彼等は護衛であってブレーンではなかったんだろう。
私は協会支部のロビーのガラス戸ごしに、彼等の筋肉のもりあがった背中を見つめた。
「ヘスター」
若様が私の名を呼んだので、私は意識を戻した。
「なんでしょう」
若様の緑の目が、私に向けられていた。その切れ長の目が思いの外静かで、私は彼が落ち込みから立ち直ったらしいことを知った。
「…お前のおかげで、助かった」
「それは、よかったです」
領主ご一家の資産が詐欺の被害に遭えば、領民である私も困る。
それに、跡継ぎがここまできても忠告を聞き入れないような愚か者ではなかったことも、領民としてはありがたい。目の前で行われた給付金の受け渡しと、その封筒の厚みを見て、彼は私の指摘を認めた。
「すぐに信じなくて、悪かった」
若様が謝罪を口にしたので、私は少し驚いた。彼には強引な勧誘を受けたし、正直な言葉に傷付きもしたので、我が儘坊ちゃんというイメージをもっていた。だから、事実を認めれば上々だと思っていて、謝罪を受けるとは思わなかった。しかし、何事にも素直な点は、彼の美徳でもあったようだ。
「…いえ」
私は一呼吸遅れて間抜けに返事をしたが、彼は気にしなかった。
「やはり、お前は自分で言うような何もできない人間ではないのだな」
「は…?」
うっかりまた、失礼な返しをしてしまった。
「その点に関しては、私の見る目の方が正しかったということだ」
うん、と若様がなぜか満足げに頷いたので、私は訳が分からなくて困った。
「お前は、会ってもいない人間が人の金銭をだまし取る罪人だと見抜いただろう?」
「ええ、まあ」
何そのまどろっこしい言い方、と思いながら私は頷いた。
「ヘスター」
若様がまた、笑顔で名前を呼ぶ。
何、なんでそんないい笑顔なの。
美形の快活そのものの笑顔を前に、私はなぜか、おろしたての布巾にうっかりソースを垂らしてしまったような気分になった。
胸に落ちたその染みは、どんどん広がっていく。
「お前が先程言っていた、『とーしさぎ』、とはなんだ?」
あれ?
もしかしてこれって、こっちにはない言葉だった?