転生者とゆうしょくを
顔色が悪いのは自覚している。目がはれぼったくてブスになってるのも。
だから、そんなにのぞき込まないでほしい。
「休んだ方がいいんじゃないか?」
若様、それは逆効果なんです。
「いいえ、今日はクロワッサンをおかわりするほど体調良好です」
嘘じゃない。朝もマリエさんの心配顔に対抗してパンもコンソメスープもおかわりしたから。若様の追及を適当にかわして、まとめ終わった資料をロンのところへ持っていく。
「次のお仕事はありませんか」
「残念ながらない」
朝も早く来てばりばり仕事を進めたせいで、さすがのロンの雑用ストックも切れたらしい。
仕方ない、自前で仕事を探そう。
「それでは、前にまとめていた詐欺の用語・事案集を修正していますので、何かありましたらお声掛け下さい。マーカス様も、よろしいでしょうか」
「わかった」
「いや、おかしい」
「他の仕事をした方がよろしいのですね」
「そうじゃない。ヘスター、お前、昨日からおかしくないか」
私は舌打ちしたくなった。
若様という人は、本当に、デリカシーとか遠慮とかをもう少しもって欲しい。様子のおかしい人にはおかしいとずばり指摘しないで、遠巻きに見守るものじゃないのか。
「いいえ、やる気が湧いて仕方ないだけです」
「いや、おかしい」
「どこもおかしくなどございません」
「どこもというなら説明してやろう。まず、朝から目を見ない」
目をじっと見つめれば思いっきり逸らす人が、何を言う。
「働き過ぎは置いておいても、態度がおかしいだろう。なぜ昼食まで自分の席で食べる必要があるんだ?」
「それは…中断したくない仕事があって」
「言いたくないのか」
若様の声が、低くなった。
「突然避けておいて、理由を言わないというなら、私は嫌われたと思えばいいのか」
何を言ってるのか、と恐る恐る顔を伺った私は、後悔した。
声が低いから、怒っているとおもったのに。
輝く金の髪の下の美しい顔は、悲しみに沈んでいた。美しい双眸の長いまつげが伏せられている様は、若葉が雨に打たれている様を思わせ、かすかに寄せられた眉に苦悩が漂う。
美形、ずるい。こんな美しいものを悲しませている私ってなんて悪いやつなんだ、と抱きたくもない罪悪感が湧いてくるじゃないか。理不尽だ。
「なあ、ヘスター。私は、お前に何かしたんだろうか」
それは、過去を振り返れば色々…いいことも悪いことも呆れることも赤面することも色々あるけど…
でもこうして心配をかけているのは彼には関係のないことなんだから、大人として謝るべきだろう。私は、自分の両肘を握りしめた。
「…違います。何も、なさってなどいません。ただ…私が一人で焦っていただけです。すみません」
うまく説明出来る気がしなくて、焦っていたと状況だけを口にした。そこに至る理由は言わなかったものの、頭を下げた私に、若様は首をふった。
「それなら、いいんだ」
「はい、ご心配をおかけしました」
若様が安心したように笑った。
「よかった。お前のクッキーを勝手に食べたことがばれて怒っているのかと思った」
「馬鹿…」
そんな見当外れな、と言いかけていた私はロンの突っ込みにはっとした。
「もしかして、木の実がのったものですか?」
「ああ、あれは旨かった」
なんてことだ。あれはギャビさんがわざわざ姉経由で送ってくれた大事なクッキーだったのに。一人で楽しもうと思っていたのに。
「なんだか減りが早いと思ったら…」
じっとりと睨んだ私に、犯人は慌ててロンを指さした。
「ロンもだ!むしろ、ロンが先だった!」
共犯者は顔色一つ変えずに私を見返した。
「ごちそうさま」
堂々と言われると、こっそり一人で食べる気だったとも言いづらい。しかも、私はいつも若様の買ってきた飴だの焼き菓子だのをもらっている身なんだから。
仕方なく、次からは先に断って下さいね、と言うと、二人はそろって頷いた。
でもロン貴様、本当のことを言えば、お前からおやつを分けてもらったことはないはずだ。
この日、夕方からロンはどこかへ出かけていった。
入れ代わりに扉がノックされて、振り向けば、とても可愛らしいお客様がいた。
「なんだ、ライナスか」
「お仕事中失礼します、兄上」
仕事場だという緊張からか、少し頬を赤くした少年は、それから私の方へちらりと目を向けた。
「今日は母上たちがいらっしゃらないから、へスターを夕食に誘おうと思ってきたのです」
「まあ」
ライナス様がわざわざ誘いに来てくれたんだと思えば、すぐにでもついていきたい。実際、一応夕飯前までで就業時間は終わっている。でも、仕事が終わりそうにないしなあとデスクを見れば、やっぱりそこには厳然とした山がある。
どうしようかな。
「行ってこい」
私が迷っているのが見えたのか、若様が奥から口を挟んだ。
「別にどうしても今日中に済ませないと困る仕事じゃないしな。私も夕食はゆっくりとるつもりだ」
私の背を押すようにそう言って、若様は立ち上がって伸びをした。
自分も食べてくるから、早く行けということだろう。でも、それを見て私は思いついてしまった。
「あの、マーカス様」
「なんだ?」
首を解すように左右に倒しながら、彼はこっちを向いた。
ええい、女は度胸だ。
「今からお食事でしたら、皆で頂きませんか?」
言えた。
多少震えたけど、ちゃんと聞こえる声が出て、私はそっと安堵の息を漏らした。
だって、もうすぐ私はいなくなるから。ライナス様との夕飯もこれが終わりになるかもしれない。そうしたら、この可愛い少年は、また両親のいない夜を一人で過ごすのだ。それはよくない。よくないと思うのは私が貴族の生活を知らない上に、前世の価値観を残しているせいだろうけど、でも、私はそれが嫌なんだ。
「…だな」
言えたことだけでほっとしていた私は、若様の返答を危うく聞き逃しかけた。
「いいのですか、兄上!」
ライナス様が頬をピンクに染めて喜んでいる。ということは。
「ああ。せっかくのレディからのお誘いだからな」
朗らかに笑う若様の言葉にはたらしの片鱗が見えてちょっと引いた。でも、願った通りに兄弟の夕食が成立したから、素直に喜ぶべきだろう。
「ライナスとゆっくり話すのは久しぶりだな」
「はい…ありがとうございます」
きらきらした目で兄を見つめるライナス様は、本当に嬉しそうだ。子供らしいふっくらした頬は薔薇色に上気して、片時も無駄にすまいと一生懸命話しかける姿はいつにもまして愛らしくて眼福だ。恥を忍んで誘ったかいがあったというものだ。
「お二人でお食事なさることはあまりないのですか?」
私の問いかけに若様が答えた。
「学生のうちは、そういうこともあったな」
つまり、お仕事を始めてからは仕事優先になって、それが分かってライナス様も誘えずにいたんだろう。
両親も兄も忙しくて、邪魔になりたくないからとこの子は我慢していたんだ。
だから、そのうち居なくなる他人の私でも一緒にいてほしいと思ったんだ。
「へスター、ナスをやろう」
言いながらすでに皿にのせているくせに。私は苦笑してしまった。
「ライナス様、ナスがお嫌いなのですか?」
「…悪いか」
ぶすっとした顔は、良くないと自分で思っているからだろう。もともとこの少年は好き嫌いが多くない。何度も食事を一緒にしてきたけど、こういうことは初めてだし。
だから、私は笑った。
「いいえ、悪くありません。好きなものがあれば、多少は嫌いなものもあって当然です」
ライナス様が目を見開いた。
「ただ、嫌いでも、一口はお食べ下さいね」
丸く開いていた目がじっとり細められた。
「なんだそれは」
「これはライナス様のための料理ですし…それに一口ずつでも食べていって、好きになれたら幸せでしょう」
私は皿に積まれたナスの中から一番小さなものを選んでフォークで刺した。
そっと差し出せば、ライナス様はしぶしぶという顔で口を開く。可愛らしい唇にその欠片が消えるのを見れば、こらえきれない愛しさに頬が緩んでしまった。
お節介をいったから、拒否されるかもと思ったけど、彼は分かってくれた。こういう子だから、言えたのでもあり、言ったのでもある。きっと分かってくれると思ったから、言えた。相手の言葉が耳に痛くても聞き入れるようないい子で、何より私なんかを慕ってくれた子だから、ついお節介を言いたくなった。
可愛いこの少年が、これからも兄と夕食を楽しめるといい。それで、ゆくゆくはナスも美味しいと食べられる大人になるといい。直接見ることのない未来だけど、そう想像できることが幸せな気分にしてくれて、私はにまにましながらナスの小山を平らげた。
ライナス様から口直しに私の皿に残っていたエビを要求されたので、それを分けてやっていると、若様が言った。
「なかなか面白い理屈だったな。両親の言葉か?」
はっとしたようにライナス様が身を引いてしまったので、海老は彼の口でなく皿に置いてやった。二人だとよくやっていたけど、考えてみればお行儀が悪いやり方だった。天使のような少年に雛鳥のように口を開いてねだられるのはとても楽しいのにと、残念に思いつつ、答える。
「いえ、前世の家族です」
今の両親は気に入らないなら食べなくていい、と皿ごと下げるスパルタ式だ。そう話せば、エセル家にはあり得ない荒療治にライナス様が目を丸くしたのが可愛かった。
「それからギャビさんは残しても何も言わないのですが、悲しい顔をしましたね」
あれは、子どもながらに罪悪感がわいて、全部食べたものだった。
私がしみじみ思い出していると、若様もまたしみじみと言った。
「へスターには、前世と現世の分で、人の倍の愛情がこもっているんだな」
私は虚を突かれて彼の顔を見つめてしまった。ただの軽い世間話のつもりだったから。
「…そうでしょうか」
間違いない、と言わんばかりに若様が頷く。それから、戸惑っている私を他所に、彼は最高に美しい笑顔で言った。
「ライナスにお前の中の愛情を分けてくれて、ありがとう」
…相変わらずだ。
恥ずかしいことを平気で、本気も本気で言っちゃうんだ、この人は。さすがタラシ。タラシはタラシでも、女タラシだけじゃない、子どもも年寄りもたらす人タラシだ。だから、つまり、ここに他意はない。
私は動揺を苦笑でごまかしつつ、海老の香草焼きに目を落として、最後の一口を口に運んだ。
さっきまで楽しんでいた料理の味が分からなかった。駄目だ、美しすぎる若様の笑顔に舌も心臓も不具合をおこしている。
何か別のことを、とあのきらきらと優しさで出来た笑顔を押しやって、真面目なことを考える。
そうだ、さっきぼけっと美形を眺めていたのは、若様の『倍の愛情』発言に驚いたからだった。確かにこの体には知識だけじゃなくて、家族との思い出もいろいろ詰まっているけど、そんな風に考えてみたことはなかった。転生者といえば、もっているのは転生知識というのが世間の見方だし、私自身もそう思っていたし。
でも、振り返ってみれば、前世の私は出来のいい姉に萎縮していたものの、可愛がられていたし、私の方でも姉を頼りにしていた。両親だって、姉に比べて出来が悪い私のことを過剰に心配していた。それって愛されていたんだなと、今さら思う。
そうか。私は前世で受けた愛情分、人よりたくさん愛された記憶をもっていることになるのか。
若様って、顔が良すぎるしおしゃべりだからあんまり頭がいいイメージなかったけど…と私はそっと彼の方を伺った。
こっちがはっとするようなことを言った張本人は、運ばれてきたデザートを前ににこにこ相好を崩している。だらしないくらい、とは言わないけど、若様で治安ナイト様でもある彼に憧れている街のお嬢さん達が見たら、イメージが崩れるくらい、ではある。
私はこっそり笑いをかみ殺して、ほっとした。若様は、若様だ。
デザートが全員分そろうと、しばらく押し黙っていたライナス様が唐突に言った。
「一口は、食べることにする」
「え?ガトーショコラ、お好きでしたよね。一口しか食べられませんか?」
お腹でも痛いのかと心配して見れば、少年は少し頬を紅潮させてむっとした顔をした。
「違う。…へスターは前世で、ナスの食べられる幸せな大人になったんだろう?」
ああ。
黙っている間ずっとさっきの話について考え続けていたのか。この子、やっぱり天使だ。
愛しさが込み上げたけど、可愛いなんて言おうものなら噛みつかんばかりに怒るのは分かっているから、必死で堪えて微笑むに留める。目からこぼれ出てしまう愛しさばかりは、勘弁してもらおう。
「さすがです。あ、ただ私は…もともとナスは好きでした」
苦手だったのはチーズだとライナス様の好物を挙げれば、彼は面白いくらい驚愕の反応を見せてくれた。
ごめんなさい、ライナス様。
ストレートに答えなかったことを、心の中で詫びる。
ごめんなさい、私は、自分がどんな大人になったか覚えていないんです。
ヘスターがお城を去る日が近いとばかり準備を進めていますが、お話は第一部完結後第二部に入る予定です。




