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転生者のおでかけ3

翌日と翌々日、私はひどい筋肉痛に悩まされた。

それはもう、熟練したはずの皿洗いでうっかり一枚皿を割ってしまったほどだ。小さい皿で本当によかった。母は損失を容赦なく小遣いからさっ引く気だったから。

あの後、なんだかんだで強引な若様は、人の話を聞かずに帰ってしまった。

そして三日目。

「…本当にまたいらしたんですか」

「当たり前だろう」

私はつきそうになったため息をそっと逃がした。

姉たちは今日もしっかり私の支度をしてくれたので、私は竜胆色のワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織っている。今度は中2日時間があったものだから、カーディガンは姉たちに新調させられた。

まったくやる気のない私をよそに、彼女らは若様の気まぐれが一度で終わらなかったことを喜んだ。

私はといえば、別のことに忙しかった。

それは、例の筋肉痛との戦いが一つ。

それから、もっと重要なのは、どうやって若様の考えを変えるかだ。

彼は、きっと思い違いをしている。

百歩譲って、私が世間知らずなことは認めよう。

しかし、彼は私にその気がないだけで、やる気になれば転生前の知識を生かして何かができるに違いないと思っているんだ。

そこが、間違いだ。

私が彼との視察にやる気がないのは否定しないが、そもそもやる気があろうと、何もできないことに変わりはない。前回きちんと説明したはずだが、これを彼は信じていないんだろう。

だから、今度こそきちんと顔を上げて歩いて、それでも何も気付かないというところを見せよう。

そうすれば、若様もこんなことは無駄なんだと気付くだろう。


「今のパン屋はどうだった?」

クリームパンもコロッケパンもチョココロネも、シナモンロールも並んでいるパン屋を出て、若様が聞いた。

私は答える。

「美味しそうでしたね」

若様は包み隠さず落胆を顔に出したが、私は気にしない。むしろもっとがっかりしてくれて構わない。

「本当か?」

「ええ」

別に私は、がっかりされるために嘘をついているわけではないんだ。パンが美味しそうだったのは素直な感想だし、パン屋にはレジさえあるんだから、本当に何も言うことがない。

数分前に入った洋品店で、素敵でしたねと答えたのも本心だし、その前の駅ですごいですねと答えたのも嘘じゃない。

確かにこの世界には地下鉄もないし、鉄道は王都以外では網の目のように張り巡らされているとは行かないが、それは指摘しても仕方がないことだからだ。なぜなら、この世界の鉄道は別の異世界から導入されたエネルギーで走っているので、電車しかしらない、しかも鉄道マニアでもなかった私が言えることなんて特にない。

この日の午前いっぱい、私は精神力を振り絞って顔を上げて歩ききった。

普段ほとんど出歩かない、出たとしても地味な色の目立たない服を着て俯いて通り過ぎるだけの私がこうして歩く姿は物珍しいんだろう。もしかしたら、本当に誰だか分からずに、領主一家の若様が連れた見知らぬ娘と思われているのかもしれない。どちらにしても、じろじろと顔をのぞき込まれるのは人見知りの私にはかなり堪えた。

意識しないと自然に下がっていく顔と、それを支えようとする筋肉とのせめぎ合いで、顎の下あたりがぴくぴくする。

そんな状態だったんだ、若様に問われたことに期待はずれな答えを返し続けたのは演技でもなんでもない。悲しいかな、本気で精一杯の答えだ。

そんなやりとりが続いたせいだろうか、帰り着くころには、彼は私と同じくらい疲れた顔をしていた。

「お前にやる気がないことは、わかった」

若様は、店の近くの広場で立ち止まると、呆れたようにこう言った。

何を見ても反応しない私に、さすがに若様も諦めたのだ。

ため息をついても絵になるとは、美形は得だなと私は思った。

今日1日まっすぐに見ていたけど、彼の容貌はなるほど整っていて、姉たちが美男美男ともてはやしていたのも頷けた。ただ、やや細い身体の線や顎のラインを見ると、私としてはまだ美少年というカテゴリーに入れたくなるけども。

私は、そんな全く関係のない考え事を隠して頷いた。

「やる気の問題ではありませんが、お役に立てないことに変わりはないと思います」

もっとも、この場に際しても無関係のことを考えてしまう辺りで、やる気の方も希薄なことは否めないんだけど。

若様は、はあとため息をついた。

そして、とうとう帰りを切り出した。

「…今日はもう、帰る」

「はい」

よし、と言いたくなるが一応抑える。

私も今日は珍しく午後から用事があるから、できるだけ早く帰って欲しかったのだ。

「この後、大事な投資の話を聞くのだ」

「そうですか」

どうやら、私には関係のない話が始まった。

最後までおしゃべりな人だと思ったが、これで彼の声を聞くのも最後だと思って、多少は寛大な気持ちで聞けた。なにせ、彼はなかなか声が良い。

「これが素晴らしい話でな。なんでも彼は転生者なのだが、これからその知識を生かして新事業を展開する予定らしい。投資すれば必ず儲かるというのだ」

必ず?

転生者に、投資?

私の胸に、洗ったばかりの皿に真っ黒い蝿がとまったときのような陰が差す。

それは、なんでこんなものがという困惑と、ささやかな嫌悪感を伴うもので、小さいけれども無視できない。

「…その話、いつ来たのですか?」

恐る恐る、というか嫌々尋ねた私に、若様は何故そんなことを、というように首を傾げた。

「昨日だが」

やっぱり。

胸に差した陰は、もはやはっきりとした暗雲になっていた。

「領主様や、奥方様はご存じですか?」

「いや、先方が、なるべく起業を急がねばならないらしくてな。まあ、両親は今週不在だから、あとから知らせて驚かせようと思っている」

ああ、もう。

私は盛大なため息をついた。

「若様、それは、おそらく投資詐欺です」

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