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転生者、じっかにかえる

連日残業が続くほど忙しいけど、実は私自身の仕事は急ぎでないものがほとんどだ。

ただ、他二人が遅くまで働いているのを見ながら、仕事を残してお休みなさいと言いにくいだけで。ロンの渡してくる仕事の量がまた、残業すればギリギリ終わる絶妙な量なんだ。これは、急ぎでない仕事も混ぜ込んで毎回ギリギリこなせる量を渡してきているんだと、さすがに最近気が付いた。

だから、前もって頼めば、少しくらい外出できると思う。

「よし、行こう」

話をすれば、若様はあっさりと翌日の街行きを決定した。決定した、というのは、私の外出だけじゃなくて、若様も含めた翌日の予定決定、ということだ。

「最近街の様子も見ていないしな。ついでに自警団の団長にも会ってこよう」

そう言いながらロンと日程調整を始めてしまった。任命証があっても一人で外を歩かせるのは心配だというのが彼の主張で、ロンも異論がないようだった。前に連行されかけたとき助けてくれた張本人を前に、私は素直に従うしかなかった。

基本的に若様も年中無休で働いているから、たまに半日くらい私用で出かけても、全く公的に問題にならないらしい。考えてみると、この職場はかなりブラックだ。別に強制じゃないとはいえ、就寝直前までの残業が当たり前、休日無し、ついでに同僚のセクハラ付きときている。私がもともと月に休みが数回の食堂の娘じゃなかったら、一月で辞めさせていただきます、だったかもしれない。

そんなことを考えながら私が今立っているのは、いつも馬車に乗り込む場所じゃなくて東棟一階のコの字の角だ。ここから先は、役人も行き来する場所になるので、準備をして、ここで若様を待っているのだ。

つまり、今日は徒歩で街へいく。

この数か月で、私の行動半径は拡大している。

場所で言うなら、お城の東半分に、裏庭に、黒猫屋と転生者協会。人で言うなら、エセル家の皆様、勤めている皆さんに黒猫屋とナンさん。この辺りはもう心拍数が上がらない。

家族以外と朝の挨拶もするし空話だってかけるし、おまけに大勢の前でスピーチさえした。

我ながら目覚ましい成果だ。私の脱・引きこもり独り立ち計画は着実に進んでいるんだと、思っていた。

でも、今、私は背中の冷や汗を無視できない。

この前、ギャビさんに会いに行ったときも徒歩だったけど、あのときは何も考えてなかった。

まともに歩いたのはいつ以来だろう。

「初出勤ぶりか…」

あれから進歩したつもりだったけど、やっぱり今、体は硬直している。さっきから違うことを考えて気を紛らわしたり、声を出して緊張をほぐそうとしているんだけど、どっちもあまり成果はなかった。

ああ、足がすくんできた。

嫌だな、と思う。

本気で、初出勤の朝みたいだ。

変わってない自分に自嘲していると、肩にぽんと手が置かれた。

「待たせたな」

若様だ。

「さあ、行こう」

うん、わかってるし、さっさと行きたいと思ってるんだ、私だって。

情けなく顔を強ばらせている私を見下ろすと、若様は、ああと頷いた。怯懦に気付かれた、と私は思った。

でも、若様は何を思ったか手を差し出してきた。

「お手をどうぞ」

…何この人。

どうやったら今の私がエスコートしてほしいように見えたんだろう。私は本気で若様の目が心配になった。

「あのぉ」

なんだ、と首を傾げた彼は心底不思議そうで、私は気が削がれた。

「…大丈夫ですので、遠慮します」

この、ナチュラルジェントルマンめ。胸の中で毒づきながらも、大丈夫と行った手前動くしかない。

未だ引っ込められない彼の手のプレッシャーに、私はえいと一歩踏み出した。

角を出ただけなのに、玄関ホールのざわめきがさっきより大きく聞こえる。それが見えない壁のようで、私は足を止めそうになった。

そのとき、ふっと背中に温かいものを感じて、身体が飛び上がるようにして前に出た。

脚も俄然動き出す。

立ち止まるなんて、とんでもない。

だって、だって、ねえ。

若様から背中に手を添えられる羞恥に比べれば、ホールに人が何十人いようと関係ないでしょ。

「今日は足が早いな!」

機嫌よく追い付いてくるけど、若様、だからもうその手をしまって下さい!


目的は、私の空話を購入することと、自警団の団長さんに会いにいくこと、それから実家に顔を出すことだ。つまり、半分以上私用に付き合わせることになる。

連日若様も残業していたことを思うと、わざわざ二人で出ることはなかったと申し訳なさが湧いてくる。ただ、それを話すことはできなかった。なぜなら、前半ハイスピードでとばしすぎた私は息を切らしていたし、それになにより。

久々の街行きで、若様がたいそうおしゃべりだからだ。

「この前はスイカが売っていたが…」

「あそこの主人は…」

商品の話から小売り店の主の髪型の話まで、実によくしゃべる。仕事中は割と黙っているから忘れがちだが、そうだ、彼はこういう人だった。

「マーカス様、それはロン様に怒られるやつです」

何度目かで若様の安物買いを止めながら、私はため息を押し殺した。この人に見る目というものはないのか。

おかげで連行されかけた路地への恐怖心とか、そもそもの街への怯えとか、そういうものもどこかへすっ飛んでしまった。

最初に行ったのは私の実家だ。

本当に久しぶりの実家だ。姉たちに涙目で抱きしめられ、父や母に頭を撫でられるのは気恥ずかしいながらもうれしかった。

昼休みの店内で私が家族と話している間は、若様も待っていてくれた。

うちの家族は最初こそ若様の同行に恐縮していたけど、もともと私と違って外向的な人々なので、すぐに気にせずしゃべり出した。この気負いの無さはつくづくうらやましい。うちの店の素朴な椅子に足の長い若様を座らせていることに、私は内心でひやひやしているのに。まあ、ご本人は楽しげに父とメニューについてしゃべっているから、いいんだろうけど。

「可愛い恰好してきたからびっくりしたわ」

「奥方様が、準備してくださったの」

「珍しく明るい色だと思ったら、そういうことか。それにしても、良くしていただいてるんだねえ」

姉と母は若様への挨拶を終えると、真っ先に私の服装について聞いてきた。淡い黄色のワンピースや爽やかな萌葱色の麦わら帽子は、私が自分で選ぶわけがないと見抜かれているのだ。ちなみに奥方様と侍女様軍団に抜かりはなく、私の黒く厚ぼったい髪も半分編み込んで軽やかに仕上げてくれている。いつものように体中暴かれてからかわれて精神的にがりがり削られたけど、家族がこうして喜んでくれるのを見ると、そのかいがあったと思う。奥方様たちに改めて感謝だ。

「この前送った小包は開けた?」

「うん。ありがとう。気に入ったよ」

「あ、そういえばあんたのスリッパだけど…」

「母さんたら、お城にそんなもの…」

「ねえ、ヘスター。本当にお庭って…」

「若様、もしよければこちら…」

あれやこれやと尋ねられ、父は謎の気遣いで若様にうちの人気メニュー鶏のすっぱ煮を勧めて姉たちに止められ、最終的に食べてみたいという若様の一声でそれをお茶受けに皆で一服した。

そうして駄菓子だなんだと土産をもたされ、そろそろ出ようかというところで、母が言った。

「そうだ、時間があったらギル君のところにも顔見せてやりなさいよ」

「え?ギルに?」

そうよ、と頷くと母は当然のように言った。

「だって、昔からあんた、あの子に面倒見てもらってたじゃない。ちゃんとやれてるって、安心させてやりなさい」

面倒を見られていた記憶はないんだけど。

ふに落ちない私を見てか、ミラ姉が口を添えてくる。

「ほら、学校でも…」

ミラ姉が言うには、ギルが周りの子に目を光らせてくれたから、私に意地悪する子がいなかったのだとか。そんなことは全く知らなかった。確かに友だちは作らなかったけど、誰からもいじめられなかったのは単純に姉達がいたせいかと思っていた。

驚く私に、家族は皆呆れたようなため息をついた。

「まあ私は、今日はいかなくても良いと思うけど、ね」

モナ姉がちらりと若様を見ながらそう言って、この話は終わった。確かに、若様を連れているのに寄り道を増やすのは悪いと私も思う。

何度か振り返って手を振って、私たちは店を後にした。

「行かないのか?」

少し歩いたところで若様が言った。

その声が低めで、やっぱり寄り道はやめて正解だと私は思った。

「行きません。遅くなりますし。自警団の団長さんのところへも行くのでしょう?」

そう言えば、若様もそうだな、と返してきた。

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