転生者となやみそうだん
「うん、良かった。…うん、じゃあね、また連絡するね」
空話を切って、所定の位置に置くと、私は汗を拭った。
お城の空話室は風通しが悪いので、初夏からこちら、空話の度に汗だくだ。
「私も空話、買おうかな」
仕事がらみはいいとして、ギャビさんにするのも家族にかけるのも、このお城のものを借りている。
最近私用が増えているし、空話をかけるのもエネルギー源に謎の石を買わないといけないのでただではないし、そろそろ自分用を持つべきだろう。あ、でも買いにいけない。
そんなことを考えながら、執務室へ急ぐ。
数日前にようやくチラシの修正作業が終了して、その夜は久しぶりに前世へも潜れた。残念ながら空振りだったけど。
それからはまたロンに言いつけられる仕事を千本ノックのようにこなす日々に戻って、久々の事務仕事にダウン続きだ。今日はこれから協会の用事だから、昼食後に空話室に行く余裕もあったけど、多分帰ったらまた仕事の山を渡される。大急ぎで終わらせても、潜るのはちょっときついだろう。
執務室の扉を開けて数歩入ったところで、私はおいと声をかけられた。
何事かと振り向いたと同時にぐいと腕を引かれた。
バランスが、崩れる。
「うひゃ!!」
ぶつかったのは固い胸板で、私は思いっきり両手を突っ張って跳び起きた。
「ひどい声」
表情の少ない奴が、このときばかりは愉快そうに大笑いする。
「っロン!いちいちそういうことをするのは止めろ!」
ロンの嫌がらせ、私の悲鳴、ロンの暴言、若様の制止だ。
椅子に倒れ込むように…倒れ込んだ先に誰がいたかはこの際敢えて触れない…座らされた私は、私はやつと距離をとりながらその顔を睨んだ。
執務室に戻った日から、大量の仕事の合間に何度となくこいつの嫌がらせが挟まってくるのだ。
ちなみに若様の警戒は大分解けて、逃げられることはない。というか、ロンが私に嫌がらせをするので上司として止めなければと思ってくれている気がする…本当は若様がいなければむしろ大丈夫なんだけど。
何かというと、ロンが私を赤面させると、なぜか若様にも移るのだ。それに気付いたロンはさらなる娯楽を見つけたというように、若様が居るときに限ってこの嫌がらせをするようになった。人前で笑われる羞恥と赤面した若様につられるのとが加わって頭が沸騰してしまうから、三倍頭にくる。
今も、だ。今も、ちらりと見えた若様の耳が赤い。そして私は、頭にきてる。
「『ロンめ禿げろ貴様』何なんですか、全くもう!」
ロンは私の視線にも涼しい顔で笑い続ける。
「お前こそ今の暴言、説明してもらうぞ」
「セクハラ野郎に身分差も年齢差もないってことです。あんたに礼儀はいらないでしょう」
「セクハラ?俺はこんな子どもを女扱いした覚えはない」
つまり今のは子ども扱いだって言う気か?
言っておくけど、私は特別背が低いわけじゃあない。女子の平均身長一歩手前くらいだ。ただ、胸や腰がちょっと、ほんのちょっと年のわりにささやかなのは確かだけど、それに頬っぺたをつねられれば涙が湧く涙腺は人よりちょっと弱いかもしれないけど、それだけだ。
「…私」
「なんだ」
「これでも前世で少なくとも21までは生きてるんですからね!」
「だから?」
「だから、『ロン貴様』より、年上だったんですからね!」
私の言葉に、ロンはあろうことか吹き出した。
失礼な!
「21…」
わざわざ疑うようにこっちを見る若様だって、大概失礼だ。
私の雰囲気に気付いたのか、若様は咳払いをした。
「まあ、二人ともそのあたりで終わりにしろ。ロンはいい加減笑いやめ。…時間がないし、話を進めたい」
若様も失礼だったくせに。
ぷんと膨れて若様を見上げると、彼は私から目をそらすようにぱっと手元に視線を落とした。
そんな、あからさまに動揺しなくても。ロンにはどうせいろんな無駄遣いがばれているのにね、と私はこっそりため息をついた。
どうやら2人は話をするために私が戻ってくるのを待っていて、椅子に座らせたのは本当に用事もあったからだったらしい。だからって、セクハラされちゃ私の心臓と顔面の血管がたまったものじゃない。
「…今日までに確認された被害者の情報だ。ロンと私は一度目を通したものだが、改めて共通点を探したいと思っている」
この間、私がロン経由で伝えたことをすぐに調べてくれたらしい。こういうとき、若様の行動の速さはありがたい。
電話帳なんてない中で、どうやってピンポイントでこの街のご老人をターゲットにしたのか。被害者の情報はどこから漏れたのか。この点は、次の被害を防ぐためにもとっても重要だ。
「使っている床屋、買い物の場所、子どもの通っていた学校なども調べてみたが、今のところ共通点はない。他に調べるべきことはないか」
ずらりと並んだ項目には、パン屋、魚屋、八百屋など空話をかけそうもないものまで含まれている。
「名簿を作りそうなのは…」
顧客の情報を管理しているのはどこだろう?
「ギルドとか」
商業ギルド、工業ギルド、職種によって色々なギルドに入る。この世界でのギルドは、銀行がわりでもあり、農協などの組合がわりでもある。だから、いろんな個人の情報を把握しているのだ。
でも、若様は首を横に振った。
「元仕立て屋、元兵士に現役鍛冶職人もいる」
当然、ギルドは違うことになる。
それからもあれやこれやと意見を出したものの、大したことは思い付かず、私が出かける時間が来た。
「黒猫屋にも相談してみます」
「ああ、そうだな。ナン女史によろしく伝えてくれ」
「その辺で拐かされるな」
「!分かっています」
失礼なことを言うロンを軽く睨み返してから、私は廊下に出た。
すでに朝のうちに奥方様から着せ替え人形の儀式を受けているから、このまま帽子だけ被って出発だ。黒猫屋がいるので奥方様のチョイスはいつものように地味系だから、気楽だ。今度から外出の必要があるときは、『黒猫屋が一緒です』とごまかしてみようか、とふと思いつくが、すぐに頭を振って撤回する。あの麗しの奥方様に嘘をつくだなんて、そんなことをしたら私の舌は腐り落ちてしまう。落ちなくても申し訳なさで自分から落としたくなる。
いつもの横手の出入り口に行くと、黒猫屋の馬車が来ていた。一商人でありながら仕入れ用の幌馬車とは別にきちんとした屋根付きの馬車を持っているんだから、やっぱり黒猫屋はやり手だ。ちなみにグレン家に馬車はない。駅が近いし街中だからいらないというのもあるけど。
今日は黒猫屋と一緒に転生者協会に行くんだ。
それこそ転生者協会も、ギルドと同じく転生者の個人情報を把握して管理している組織だ。協会は国中の転生者の所在とその前世のバックボーンを把握していることになっている。それならと、少し前にある質問をしていたんだけど、その回答をようやくもらえるのだ。
待たされたのは、多分守秘義務と開示請求のどちらを優先するかでもめたせいだと思う。
私たちの請求は、エセル領にいる元地球生まれの転生者が何人いて、どういう人物かを教えて欲しいというものだから。
こればかりは、いくらナンさんでも簡単にはいかなかった。でも、こうしてお呼びがかかったと言うことは、とにかく協会上層部から何らかの回答が得られたということ。
道中、黒猫屋はいつもより口数が少なかった。
「なんか、今日暗くない?」
黒髪、黒目、鼻高め、相変わらず、相手に緊張感を与えない程度にいい男だけど、若干声にも顔つきにも張りがない。
黒猫屋はへらりと笑った。
「あ~、まあちょっと出がけに鼻緒が切れてねぇ」
「不吉な予感がするって?店名に黒猫入れてる人が、何言ってるの」
誤魔化す気もない戯れ言を挟んで少し笑うと、彼は姿勢を崩してため息をついた。
「最近、うちとかぶる商売してるやつがいるんだよ」
「へえ。ライバル業者?」
でも、黒猫屋は便利屋兼お取り寄せ業者の元祖としてそれなりの地位を築きつつある。転生実業家の強みというやつで、転生者が始めたということが元祖の証明のように見られ、それだけでも他から一歩ぬきんでることが出来るはずなのだ。そう簡単に、ライバルに困らされることはないだろうに。
「いやあ?ライバルとは言えないんだよな。微妙~にターゲットをずらしてきてんのが、何とも嫌な感じでさ」
聞けばその店は、若年から中年層の女性という現在の黒猫屋の主な客層を避けて営業しているらしい。
「だから、表立って潰しにもかかれないっつうか」
「将来的に販路を拡げるはずだったところを先取りされちゃったんだ」
なるほど、黒猫屋が落ち込むわけだ。実業家というのも、なかなか楽じゃない。これだけ繁盛してる黒猫屋でも悩みがあるんだから、難しいものだ。
私は、彼に相談するつもりだった件をこっそり引っ込めた。黒猫屋には本業があるんだから、いつもいつも私の相談事ばかり受けさせるわけにもいかない。
それからしばらく私は、日頃世話になっている感謝をこめて黒猫屋を元気付けた。




