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転生者とはなとハンカチと

走ってきたせいでほどけてばらばらになっていた髪は、おばあちゃんが結い直してくれた。

「ヘスターの髪はたっぷりしていて、気持ちがいいねえ」

真っ黒いだけの髪を誉められて、くすぐったい。そうだ、ギャビさんは昔から私のことはなんだって褒めてくれるのだ。

「そんなふうに言ってくれるのはおばあちゃんだけだよ」

くすぐったくて笑ってしまう。

「本当のことだよ。私の可愛いヘスターは、誰にも負けやしないよ」

過去の私は、この言葉が怖かった。でも今は、ただ嬉しい。思えば、できのいい姉の陰にいた前世から、私はこんな手放しの賛辞を受けたことがなかったのだ。現世は三姉妹の末っ子だから、どうしても面倒をみられて心配される存在だったし。

「今日は急にごめんね」

「来てくれてありがとうねえ。また、遊びにおいで」

「うん、また来るね。いい?おばあちゃん、変な電話がきたら、まず相談してね」

「わかったよ。ヘスターも、頑張りすぎて体を壊さないようにね」

「うん、ありがと」

何度もお互いに念を押して、何度も振り返って手を振りあって別れる。

そうして小路の角を曲がった時だった。

急に腕に痛みが走った。

私は驚いた。気付けば腕を捕み上げられていたのだ。

「ヘスター・グレンだな。君には、事件について聞きたいことがある。同行願う」

騎士の制服だ。

ああ、やってしまったんだ。

私はやっと自分の失敗に気づいた。強制連行、収監といった単語が浮かんで、さあっと血の気が引いていく。

「い…嫌・です。放して下さい」

捕まれた腕を引っ張ったけど、相手はびくともしない。それどころか、相手の手を剥がそうとしていたもう片方まで絡めとられてしまった。両手の自由を奪われて身を固くした私を面白がるように、男は言った。

「残念ながら拒否権はない」

私はかっとなって言い返した。

「何の権限でそうおっしゃるんですか?」

男は笑った。

「警備の騎士が一般人を連行するのに、何の不思議がある?」

そしてひとの両手を拘束したまま、歩き出そうとする。

「痛!放して下さい!」

痛かろうが叫ぼうが、どうでもいいことなのだろう。

私の声なんか、蚊ほどにも響かない。それでももう一度声をあげようとすれば、男はぞっとするような声でこう言った。

「あまり騒げばあの老女が出てくる。公務執行妨害など、老人に言い渡したくはないが」

それは私の喉を凍り付かせるのに十分だった。そのまま強ばった身体が引きずられていく。

忙しい夕刻、商店の建ち並ぶ表通りはますます賑やかで、裏道に注意を払ってくれる人も・・・

「その手を放せ」

大股に近づいてくる影は、金色の髪をなびかせていた。

「若様…」

見たこともないような鋭い目をしているけど、たしかにそれは、若様だった。

「ヘスター・グレンは私の協力者だ。彼女を勝手に連行されては、仕事にならない。それとも、お前はエセル家の威信をかけた事業に泥を塗る気があるのか?」

いつも穏やかな緑の瞳が、まるで炎のように見える。

その気迫には騎士も怖じ気づいたのか、もごもごと口ごもる。

「いや…これは、命令で」

「ほう。つまりお前は、エセル家に含みがあるのはお前の上司だと、そう言うのだな。お前の言動は上司の意向だと」

「いえ、その」

「はっきりと言えないのなら、私の邪魔をするな」

彼が騎士の腕に手をかけると、うっと苦しげに呻いた騎士の手が離れて、私の手は解放された。

即座に若様の腕が私の肩をつかんで、私の体は強い力で馬車の方へと運ばれる。

足は半ば宙を蹴っていた。

両肩に食い込む指は痛いほどの力だ。

そのまま抱えるように馬車に押し込まれた。

「この、大馬鹿者!」

大音量で怒鳴られて、私はびっくりして固まった。

見上げた若様の猫のようにつり上がった目が怖すぎて、目を逸らせない。

「何のために、お前を城に閉じ込めていたと思うんだ!一度捕まればどうなるか、わかっているのか?」

「は、はい」

「いや、わかっていない。連行された人間の扱いがどういうものか、お前に説明するべきだった」

天井の低い馬車の中で、私を座席に押し付けるようにして若様な唸る。

「怖いのは牢に繋がれることじゃない。ダドリー伯の尋問だ。お前は奴にとってかなり邪魔な存在だ。最悪、取り調べと称して眠ることも食べることも許されずに拷問紛いの責め苦が続く」

若様の指が、肩を揺らす。

「ご、めん、なさい」

私は唇の隙間からやっとのことで言った。死や尋問より、今は目の前の若様が怖い。よく笑いよく怒る彼だけど、こんなふうに目をつり上げて怒り狂ったところは見たこともなかった。美形が怒ると、普通の人の3倍凄みだ。

顔怖い。怖いけど、でも、助けてもらって泣いちゃ失礼だ。

反射で湧いた涙をこぼさないようにぐっと堪えて、若様を見上げ続けた。

そうしていると、こんな時なのに、だんだん頬が熱くなってくる。私のしょうもない顔面は、自分自身の恐怖心もこの美形が怒りに目をつり上げていることも関係なしか。

「こんな脆弱な体じゃ、下手すれば死ぬんだぞ!飲まず食わずで朦朧としたところに自白を強要されて、だから、待っているのは、つまり…ああ、もう!」

ほら、若様の怒りが増してしまう。感情が高ぶり過ぎてか、若様の言葉が途切れて顔が赤くなってくる。

「お前は…!本当に…」

「ごめんなさ…」

苛立ちが募りすぎてか言葉を途切れさせた若様に謝罪を伝えようとした私の前に、突如ハンカチが差し出された。

「とりあえず、その顔を止めろ。泣き止め」

「は、はい?」

そんなこと言ったって、拭くほど目元は濡れていない。とりあえず受け取ったけど、これ、どうしようか。

そんな思いで若様を見上げると、彼はなぜか慌て出した。

「早く、拭け」

若様は私が話が怖くて泣いたと思ったらしかった。別に若様の話のせいじゃないのに。若様のせいには変わりないけど。

どう説明したものかと、私はもう一度ハンカチから若様へと目を動かした。

「!」

突然視界が真っ暗になった。

若様は何を思ったか、ハンカチを強引に私の顔に押しつけたのだ。

何これ。

目隠し?それとも、一応涙を拭く的な?実際の効果としては、押さえつけられたせいで若様の顔が見えないついでに鼻が痛かった。もともと低い鼻だけど。

はあああ、と頭上で若様が長い息を吐いたのが聞こえる。ハンカチ越しに押しつけられた長い指が、それとともに少し緩む。

「城に戻って、どこにもお前がいないとわかって肝が冷えた。大体の事情は黒猫屋から聞いて察したが、一人で外に出るとは、本当に…生きた心地がしなかった」

「ごめんなさい。居ても立っても、いられなくなって。何も考えていませんでした」

状況は分からないが、なんだか普通の声が出た。若様の怖い顔が見えなくなってか突飛な流れに拍子抜けしてか、落ち着いたことは落ち着いたみたいだ。

「一人で危ない真似をするのは、勘弁してくれ」

それから、そっと頭に手のひらが移動して、俯かされて、子どもにするように頭を撫でられた。こんな騒ぎを起こしたし、今日ばかりは子ども扱いも仕方がないなと思う。私は、大人しくその手に頭をゆだねた。

しばらくそうした後、座席が揺れた。隣に人の体温を感じて、若様が座ったのだと分かった。

「…馬車、出すぞ」

疲れたような、いつもより低い声がそう言ったので、はいと頷く。

それから、ほんの5分足らずの距離を走って、馬車はお城に到着した。

今のうちに、お礼を言うべきだろう。私はハンカチを畳んで若様の方を振り向こうとした。

「!やめろこっちを見るな」

「へ・ぶっ」

顔を押さえられて私はびっくりした。鼻、今度こそつぶれるんですけど?

「…まだ目が赤い…隠していろ」

前に人の大泣きを見て無神経なことを言っていた人の、謎の気遣い。

これはよくない、まずい、などというよく分からない呟きも聞こえる。第一、これまで散々目を合わせろといっていたのはそっちなのに。若様、何かおかしなものでも食べたんだろうか。

かなり怪しんだものの、助けてもらった恩があるので黙っておく。でも、これでどうやって歩けばいい?

困っていると、背中を大きな手で押された。

「あの、若…マーカス様」

「なんだ」

「ありがとうございました」

「もう、いい」

「マーカス様」

「なんだ」

「この蛇と女の人柄のハンカチ、露天で買われましたね?端が少しほつれています」

「いいんだ!東国の織姫の祈りつきなんだから」

初見だからロンや私の見ていない間にまた新しくカモられたんだ。思わず苦笑してしまう。

相変わらず、おかしな人だ。窮地に颯爽と現れて助けてくれたかと思えば、安物の謎のハンカチを差しだして・・・押しつけて・・・くる。

でも、かなり、優しい。

「直して、お返ししますね。ちゃんと縫製すれば、まだまだ使えそうですから」

更新時間がいつもより遅くなり、申し訳ありませんでした。

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