転生者、かけぬける
「疲れた・・・」
慣れない人と顔を付き合わせて話すのは、かなり気疲れする。
私はよろよろと戻ってきた執務室で、マリエさんが差し入れてくれたアイスティのカップに頬をつけて休む。
あまり愛想の良くない印刷屋の彼女は、3日後に仕上がり見本を持ってくると言っていた。それから色決めをして、大体5日後が納品予定だ。
それまでは張り紙作戦はできないから、今まで通り自警団の皆さんの呼びかけ運動に頼ることになる。
でも、それだけでいいのか。すでにギャビさん以外にも被害者が出ていると分かった今、もっと何かできないのか、という思いが募る。
結局、どうにも落ち着かなくて、私は空話をかけた。
この時間、黒猫屋は大抵店いる。3コールで出た彼は、なんだと客じゃなかったので声のトーンを変えた。
「ごめんね、急に」
「いいって。なんかあった?気になるから、聞かせろよ」
お言葉に甘えて、他にも被害者が見つかったことを話す。一通り聞き終えると黒猫屋はうーんとうなった。
「それさ、まだまだ増えそうだな」
「え」
「だってさ、泣き寝入りしていた人もだけど、騙されたってこと自体に気づいてない人も、まだいるかもだよな」
はっとした。
ショックだとかそんな気持ちが先に来て、頭が回ってなかった。被害者が他にもいそうだと分かったんだから、その人たちを見つける方法も考えないといけなかった。ぼんやりしていた自分の頭を殴ってやりたい。
「そっか、そしたら…そうだ、ギルドに最近大金を急に引き出した人がいないかとか、確認した方がいいかな」
「そうしろよ。あと、配達屋とかな。異様に焦って配達を頼む人間がいなかったか。…下手するともう、同じ人が繰り返し騙されたりしているかもしれないぞ」
私は大事なことに気付いて息を飲んだ。
そうだ、詐欺の被害者は、騙されやすい人間としてマークされるんだった。
つまり、一度引っかかったギャビさんは、また何かの詐欺を仕掛けられる可能性が高いってことじゃないの?
どうして今までその危険に気付かなかったんだろう。
平和ボケしていた。この治安のいい世界の、さらに安全な家の中やお城の中に籠もってばかりいた私の神経は、すっかり緩みきっていたんだ。
「…ごめん、私、ちょっと行ってくる!」
「おい!ヘスターちゃん?!」
黒猫屋の声を響かせる空話を一方的に切って、私はとるものもとりあえず部屋を走り出た。
息が、きれる。
走ったのなんて、何年ぶりだろう。
お城から街への下り坂を、脇目もふらずに駆け抜ける。ぜいぜい言いながら、それでも立ち止まることはできずに小走りと早歩きを繰り返す。
大通りからようやく目的の横道に入ると、建物の陰になっているせいで少しじめじめした空気が鼻をついた。久々にかぐ、裏道独特の臭いだ。
裾の長いスカートは泥はねが付きそうで、こんな道を駆け抜けるのには適さない。でも、怖いことを思いついてしまった私は、どうしても最短距離で行きたかったのだ。
ギャビさんのところへ。
幼いころはよく、姉妹で遊びに来ていた。両親二人で切り盛りする店は忙しくて、手伝いにもならない末っ子の私はギャビさんに預けられていたのだと思う。暖かい暖炉のそばで、編み物をするギャビさんの膝にもたれかかりながら、絵本を眺めるのがお気に入りだった。私の好物が木の実入りのクッキーなのは、お菓子作りがうまいギャビさんがよく作ってくれたからだ。
小路の奥、赤い土壁の、小さな家を視界に入れて、私は足を止めた。違う、足が止まった。
この家には、子どものころの私がいる。でも、もう16の私は、今さらながらどうして良いのか分からなくなって、猫の額ほどの庭に立ちつくした。
数分そうしていただろうか。小さな玄関扉が開いて、小柄な老人が出てきた。彼女は私に気付くと、声をかけてきた。
「ヘスター?ヘスターじゃないのかい?」
びっくりした。
もう、3年は顔を合わせていないのに。まともにあったのなんて、もっと前のことだ。それなのに、彼女は、私にすぐに気付いてくれた。
「…うん、そうなの」
間抜けな返事をした私に、彼女は今さらながら驚いたようだった。
「おや、本当にヘスターなのかい?まあまあ、なんて大きくなって、立派になって」
「あのね、私…私ね」
何から話せばいいのか、分からなくなって言葉につまる。彼女はそんな私の肩を抱いて、さあさあと玄関へと導いた。
「とにかく、お上がりなさいな。ね?久しぶりに上がっておくれ、ヘスターの好きな木の実のクッキーもあるよ」
私は、声にならずに頷いた。
手作りの敷物、懐かしいクッキーの匂い、壁に掛けられたドライフラワー。
全く変わらないその部屋を見たら、ぼろりと言葉が口をついて出た。
「聞いたの。…金時計のこと」
ギャビさんは一瞬おやというようにまたたいただけで、すぐに恥ずかしげな笑みを浮かべた。
「おやまあ、ヘスターまで心配させちゃったねえ」
申し訳ないとでもいうようなそのトーンに、私は頭を強く横に振った。
「ごめんなさい。もっと早くに、会いにきていれば、おばあちゃんに気をつけてって言えたのに」
「ヘスターが悲しそうな顔をすることじゃないよ。お金はねえ、もういいんだ。もともと息子の仕送りだけでやっていけるんだからね。それより私は、かわいいヘスターがこうして心配してきてくれたことが嬉しくて」
ギャビさんはそんなことを言う。
どれだけあの時計を大事にしていたか、私は知っているのに。毎日磨いて、旦那さんを思い出しているように愛おしそうに眺めて。
「あのね、私」
吐息のような声だったけど、ギャビさんは聞き取ってくれた。台所へ向かいかけていた小さな身体が、こちらを向く。足、悪いのに引き返させてごめん、と心の中で謝る。
「今、お城で働いてるの。若様が詐欺事件を解決するお手伝いしてるの。つまり…おばあちゃんを騙した犯人を捕まえる手伝いをしているのね」
「お城で?まあすごいじゃないか」
あの小さかったヘスターがねえ、とおばあちゃんは目尻をぬぐった。
「私はずっと思っていたよ、ええ、私のヘスターはいつか必ず大人物になるってねえ」
「違う」
私は思いきり首を振った。さっきから、首を振ってばっかり。だって、全然伝わらない。
違うんだ、褒められることじゃない。
今、褒められちゃいけない。
むしろ、ちゃんと怒られて、責められなくちゃいけない。
「違うの。そうじゃなくて、私、転生者だから、おばあちゃんが騙された手口も、知ってたの。知ってたのに、何もできなかったの!おばあちゃんが騙されたの、私のせいなの!」
わめくように言った私に、ギャビさんは驚いたように目を見開いた。でも、すぐに優しい目元に皺を増やしてこう言った。
「いいえ、ヘスターは何も悪くない」
「違う」
「違わないよ」
「だって…」
首を振り続ける私の顔が、おばあちゃんの両手で優しく抑えられた。そのままおでこを合わせるようにして目をのぞき込んだおばあちゃんは、見つめた目から注ぎ込むようにして言った。
「私にはわかるよ。あんたはね、昔から人が困っていると放っておけない、優しい子なんだ。だから、こうして心配してきてくれた。こうして、騙された人間を助ける仕事をしている。たいしたことじゃないか」
「優しくなんか」
「優しい私のヘスターだよ。ヘスター、心配してくれて、来てくれてありがとうねえ」
優しいのは、優しいのは、おばあちゃんだ。
でも、おばあちゃんの言葉は呪文のように、凝り固まった胸の奥のしこりをゆるゆると溶かしていく。
それが、髪を撫でられるたびに涙になって出て行く。やがて一番古い大きなしこりが溶けると、それは言葉になって出てきた。
「あのね、私、自分のことがずっと情けなくて、嫌だったの。そんな自分をおばあちゃんには見られたくなかった。ずっと、来なくてごめんなさい」
「おやおや。そんなことを気にしていたの」
「私、ごめんなさい。守れなくて、ごめんなさい」
「大丈夫、ヘスター、大丈夫だよ」
しわだらけの手が何度も何度も、繰り返し髪を撫でる。
「大丈夫だから、泣かないで、ヘスター。ありがとう、ありがとうねえ」
ギャビさんの前掛けがぐっしょり濡れて重たくなったころ、私の涙はようやく止まった。
それを見ると、ギャビさんはにっこり笑って、私にお茶を出してくれた。
麦茶にミルクがたっぷりとお砂糖が一匙入った味は、今考えるけど謎だけど、小さいころの私のお気に入りだった。添えてくれた木の実のクッキーも、私の好物。
硬めのそれをポリンと噛み締めると、控えめな甘さが広がる。ギャビさんそのままの暖かい味が、私の中に染みていく。ああ、私にはずっと、これが必要だったんだ。ずっと避けてきたけど、ここにあったんだ。




