転生者のおでかけ
翌朝、残念ながら現れてしまった若様、マーカス・エセルは、ちらりと見た限りでもきらきらと輝いていた。
直視しなくてよかった。だって、このきらきらと並べて見られると思うと、憂鬱が増すじゃない?
おつきの人というのか、護衛というのか、剣を腰に帯びた人間が2人彼の後ろにいて、これに私を足した4人が本日の視察のメンバーらしい。
「少し様子が変わったな」
「…姉が喜びます」
「なんだ?」
「いえ」
若様は姉たちの努力を認めたようだった。
私はぐったり疲れ切っていたので、両側に少し垂らした黒髪の下の頬を染めるようなエネルギーはなかった。
いや、そうでなくてもうっかりときめいたりしないけど。
そんな不毛なことには意識を向けず、むしろ若様の姿も目に入れないように俯いて、私はただただ、移動を始めたその人の足下を見て歩いた。
人見知り兼、準引きこもりの私にとっては、こんな目立つ人と外を歩くなど、拷問に等しい。耐えろ、庶民には耐えがたきを耐えなくてはならないときがあるんだ、と自分に言い聞かせる。
若様は道中、自分の話をした。
「つい先日、中央の騎士学校を卒業したんだ」
国の中心、王宮のたつ都には、騎士学校や貴族のための特別な学校などがある。
私もそれくらいは一般常識として知っていた。でも、騎士学校を卒業した人間は皆騎士になって王族や関所を守るのかなあと思っていた。
あ、でも落ちこぼれは就職先をもらえないというようなこともあるのかもしれない。
私が失礼なことを考えたのが分かったように、若様が立ち止まった。
「近衛騎士団への推薦もあったのだが、私は長男だからな。いずれは領地経営をしなくてはならない身だ、お断りした」
へえ。
じゃあなんで騎士学校に行ったんだろう。無駄じゃない?領主の収入には領民の血税も含まれているんだ。無駄遣い反対。
「騎士としての腕は、領地の兵をまとめる際に重要になる」
ああ、そうでございましたか。さすがに領主ご一家も無駄な投資はしないらしいと知り、私は一領民として安心した。
とはいえ、こんな普段考えもしない財政問題に思考を漂わせているのははっきり言って逃避で、私は若様が1人でよくしゃべるのをいいことに、黙って現実逃避をしているんだ。
この人は本当によく話す。こちらの答えを要求しないところが非常に楽ちんだし、あと、なかなか良い声をしている。特別低いわけでもないけれど、こういうのを、奥行きがある声というのだろうか。
それにしても、この停止時間は少し長くはないだろうか。
立ち止まったままの若様を不審に思ってちらっと目を上げると、彼は街を見下ろしていた。
この街は坂が多いから、少し高台に上ると、領内がはるか遠くまで見渡せる。
私の住んでいる下町の地域も、その奥に広がる農村部も。はるか遠くで、馬が馬車を引いていた。
この街には甘いおはぎがあって、カルタがあって、おにぎりもある。
今のところ、プラスチックなどの石油製品はないのだけれど、地球以外の世界からの転生者が伝えた別のエネルギーのおかげで電気はつくし、蛇口をひねれば水も出る。
しかし、見える景色が中世ヨーロッパのようなことに、未だに私はどこか慣れない。それに、遠くから聞こえる訓練中の兵たちの声も。
ぼんやり街を見ていた私は、若様の声に現実に引き戻された。
「しかし、今は有事ではない」
ああ、騎士の腕の話をしていたんだっけ。
「私は考えたんだ。平時に領主がすべきこととは何かと」
それは、なんだろう。敵から領地領民を守る以外の、領主のすべきこと。
でも、それは領主様の考えるべきことで、一領民にすぎない私には、関係がない。
だから私は、また俯いて若様の靴を見ていたんだ。
しかし、眠い。
昨日夜遅くまで支度をさせられていた上、ここまで坂道を上ってきた疲労も重なって、私の視界はぼんやりと白んできた。
ボンネット越しの柔らかな春の日差しを受け、意識は半ば夢の国に旅立とうとしていた。
「ヘスター、どうだ」
そこに名前を呼ばれたものだから、私は驚いて飛び上がった。
「はい?!」
まずい、目を明けたまま寝ていたことがばれただろうかと焦る私をよそに、若様はうれしそうな声を出した。
「そうか、承諾してくれるか」
「あの、なんのお話でしょう」
なにか承諾という言葉は嫌な響きだ。恐る恐る目線を少し上げて尋ねると、領主は何を言っているのだという顔でこちらを見ていた。あ、目が緑。
「だから、お前の力を貸せという話だ。この領地をより豊かにするために」
…どの流れでそうなった?




