転生者、はたく
回る、回る。
世界が回る。
白と黒の、・・・じゃあない、カラーの、・・・ということは、これは、現実?
急速に音が近づいてきて、私は自分を呼ぶ声に気付いた。
「へスター!おい、へスター・グレン!」
「若様・・・?」
明らかに緑の瞳にほっとした色を浮かべて、彼は大きく息を吐き出した。
その様子に私は一瞬、また仕事中に潜って倒れたのか、と焦った。この前予想外に手間取った挙げ句に仕事中に心配をかけたのは記憶に新しいし、その後の諸々は目下忘れたい記憶ナンバーワンだ。今また思い出してしまったけど。
あれ、でも私、いつの間に執務室に行ったんだろう。その前に、いつ寝て起きたっけ?
私は恐ろしいことに思い当たって、ぞっとした。
「本当に申し訳ございませんでした」
社会人としてそれだけはあっちゃいけないことだし、有能でもない私には、勤勉に無遅刻無欠勤を続けるという最低限のラインがまさに最後の砦だったのに。
「・・・私、寝過ごして無断遅刻したんですね」
「違う」
半泣きになりかけた私の言葉を若様は即座に否定した。顔が、怖い。美形のしかめっ面は必要以上に怖い。
「え?違う・・・?」
それじゃあ、どういう状況なんだ。私は周囲を伺った。
クリーム色に薔薇の模様が透かしのように浮かぶ壁紙に、淡いローズピンクのカーテン。今座っているベッドカバーも揃いの色で、そこに同色の刺繍。私に与えられた部屋に違いはないが、カーテンは全て閉められていて、明るいのは照明のせいだった。
「夜・・・ですね」
よかった、つまり無断遅刻はしていないということだ。私はほっとして息を吐き出した。それと同時に、一気に今日の出来事が蘇る。
「あ!若様、アジトの方は」
「そんなことは後だ」
若様は私の言葉を遮った。そんなことって、と言いかけたけど、彼の声の低さに思いとどまる。頭上から降ってくる低音には、私の口を頭ごと押さえこむような迫力があった。
「夕食を運んできたメイドが、おかしいと言ってきたんだ。何度呼んでもお前が座ったまま動かない上、数時間後に起こそうとして揺らしたら倒れてもそのまま目覚めないと」
それで大騒ぎになってしまったらしい。
見れば、若様は帰ってきたばかりのような恰好だし、若様の後ろにはハンナさんや、いつも来てくれるメイドさんも心配そうな顔で私を見ている。
「お話の途中でございますが、口を挟んでもよろしいでしょうか」
「なんだ」
ハンナさんは若様に許可を得ると、眉を下げて私を見ながら言った。
「お嬢様は、昨夜もその前も様子がおかしかったと聞いております、そうでしたね、マリエ」
ハンナさんに話を振られた若いメイドさんは、赤茶の前髪をふわりと揺らして頷いた。
「はい。お嬢様は、私が食器を下げに来ると、いつも手伝おうとなさったりお礼を言ってくださったりするんです。それが昨日一昨日は、ベッドに座られたままぴくりともなさらなくて、私、よほどお疲れなのかなと思っていたんですけど・・・」
「ごめんなさい・・・ま、マリエさん」
ずっと恥ずかしくて聞けなかったけどマリエさんという名前を知って、私は緊張しつつ呼んだ。
すると彼女は顔をぱっと明るくして、ブンブン横に振った。うっすらそばかすが浮いた頬がほんのり赤らんで、その可愛さに私は状況も忘れてときめきかけた。
こほんと不機嫌そうな咳払いをした若様に、はっと意識を戻す。そうだ、遅刻じゃなかったとはいえ、私は今彼等に多大な心配をかけたところだったのだ。
「そのやりとりはあとにして、まずはへスター、今度こそお前を医者に見せる」
「いえ、大丈夫です」
「どこが大丈夫だ」
即座に拒否した私に、若様はますます声を低くした。普段そこまで低くない分、不機嫌さが伝わって怖いけど、私はへのへのもへじをイメージしてそれに対抗する。
「ご心配をおかけして本当に申し訳ない思いですが、これは病気ではないので」
お疲れの若様やすでに勤務終了後であろうお医者様の手を煩わせることではない、と私は主張したかったのだ。でも、若様には伝わらなかった。
「ごまかすな。ではなんだというんだ」
「これは・・・その」
私は迷った。前世の記憶に潜っていることは、できれば言いたくなかったのだ。だって、潜って実際に役に立つ情報をつかめるかはわからない。成果がさだかでない以上、個人的な努力を人に知らせたくない。これは期待されたくないという私の過剰な自意識の問題だと、わかってはいるのだけど。
でも、今は、こんなに迷惑をかけたあとだ。言わない訳にはいかないだろうと、私は観念した。
「前世の記憶に潜っていたのです。私はその間、現実の全てを感じなくなるらしくて」
「記憶に潜るとはどういう意味だ?」
若様は不可解なことを聞いたというように言った。私は一から説明した。
「転生者は、前世の記憶をもっているといいますが、普段使っているのは、以前思い出した前世を、今の記憶に焼き付け直したものなのです。前世は覚醒以降徐々に思い出しづらくなると言われるため、一般的に転生者は皆この方法をとって、前世を見返したいときには、精度が高い、焼き付け直した方の記憶を確認します」
「つまり、記憶は原本とコピーで2箇所あると?」
若様の言い方は私には不思議だったけど、まあ、そう思ってもらってもいいかなと思ったので、頷く。
「はい。ただ、今思い出したい内容は覚醒直後の私が関心をもっていたこととは大分違うので、精度が低くなっていても、元々の・・・若様の言う原本の記憶に潜っていたのです」
それで、周囲に反応しなかったり、少し長い時間がかかったりしていたのだと説明したけど、あまり皆の雰囲気は明るくならなかった。
「あの、だから、お騒がせしてしまいましたが、大丈夫なのです」
私は念を押してみた。でも、むしろ若様の発する空気は硬くなってしまった。
「理由は分かったが、それで身体に負担がないと、どうして分かる?現にお前の顔色はこのところひどい」
「青白いのはもともとです」
言い張ったが、私はこの人がときどき私以上に頑固なことを忘れていた。
「もともとに輪をかけて白いと言っているんだ。どうしても医務室に行かないと言い張るなら、担いででも連れて行く」
「か、担・・・?!」
そこは、お医者様を連れてくるとか、そういう案が出るところじゃないの?!居候の身で医者を連れてこいなんて勿論言えませんけど!
しかし若様に私の心の声が通じることはなく、ハンナさんとマリエさんもあらあらと面白がるような目で見るばかりで、助け船を出してくれることはなかった。
きっと若様も疲れて気が短くなっていたのだろう。そのうちに見切りをつけた彼は、さっさとベッドに近づいてきた。
そしてなんのためらいもなく人の膝裏に手を入れようとしたのだ。
私は、私はどうしたかというと。
ばしっ!と・・・
思わず若様の手をはたき落としてしまった。
響いた殴打音の後の、しーんとした室内の空気が、いたたまれなかった。
雇い主で上司で居候先の跡取り息子さんの、それも一応厚意の手を、叩いてしまった。これって、問題だよね。不敬罪で今度こそ牢獄行き?怒鳴られる?でも、若様も悪いと思うんだ。だってうら若き乙女の身体に、直接じゃなくても、膝裏とか、絶対普通に触れない場所に手を伸ばしたんだから。いやでもやっぱり叩いちゃったし・・・
私がはたき落としたフォームのまま固まっていると、若様が暗い声を出した。
「そこまで嫌がられるとは・・・」
「も、申し訳ございません・・・!思わず・・・」
「いや・・・」
怒ってはいないようだけど、その代わりものすごく、暗い。もしかして、拒否されて落ち込んでいるのか。そうだよね、厚意だものね。それに、この外見じゃあ、女性に拒否されること自体が少ないだろうし。そう思うと、また口から謝罪がついて出る。
「あ、あの、本当に、申し訳ありませんでした」
「いや・・・」
どんよりというしかない若様には不似合いな空気が、彼にまとわりついている。私は、内心若様だって悪いと思っていたくせに、本気で罪悪感に襲われてしまった。それで、何とかしなくてはと焦っていたのだ。
「ええと、お医者様へは自分で!今すぐ、ちゃんと、自分で歩いて参りますので!」
結局私は若様をひっぱるようにして自分で医務室へ向かうことになった。
そして、言い渡されたのは、過去視の禁止と、二日間の静養。
「この立派なお城で働きもせずに食っちゃ寝しろって、それこそ胃痛になります!」
礼儀も忘れて叫んだ私の主張は、時間外労働に駆り出されたおひげのお医者様に、まるまる却下されたのだった。




