転生者のきゃくじん
「ここにヘスターという娘はいるか!?」
立派な身なりの若者が現れたのは、4月の始めのことだった。
私はいつも通りに食堂の厨房で皿を洗っていた。
なぜって、我が家には娘が三人もいて、上の二人はおっとり美人と愛想良しときているから、接客は足りているんだ。おまけに二人の看板娘を目当てに割とお客が絶えないので、厨房もお皿もフル回転とくれば、三人目のおちびは昔から皿洗いに駆り出されていた。そういうわけで、16になった今でもそれは変わらない。
水仕事で手が荒れるけど、単純作業は嫌いじゃあない。それに、人前に立たなければならない接客よりも数倍良い。
上の姉モナのようにしっとりと『ご注文は?』なんてとても聞けないし、2番目のミラのように『また明日待ってまーす』なんて常連さんに笑いかけることを考えると卒倒しそうだ。
家族は私の内気を誰に似たのかと不思議がる。両親ともに根っからの商売人だ。しかし、私としては何も不思議なことはない。なぜなら、私のこの性格は、前世から引き継いだものだから。前世の20年弱と現世の16年、そう考えれば実に堂に入った内気、堂に入った人見知りじゃあないか。
まあ、悲しいかな、誇るべきところでもないけど。
そんなことを考えている内に汚れた皿はほぼ洗い上がった。
ランチタイムもそろそろ終了、今日のまかないは何かなあと想像してみる。ああでも、さっき店の方が騒がしかったから、新しくお客さんが入ってきたならもうしばらく待つかもしれない。
残っていた魚でムニエルなんてしてくれるといいなあと、私は洗い場の縁にもたれて空腹に耐えていた。
するとそこへ、
「ヘスター!」
店の方から姉のミラが顔を出した。
「なあに?ミラ姉」
動く気配のない私に、姉はしびれを切らしたようだった。
「早くおいでったら!あんたにお客さん!」
そう言って私の返事を待つことなく、手を引っ張って厨房から引きずり出そうとする。
「ええ?だって私接客は…」
「誰も接客しろとは言ってないでしょ。いいから早く」
ミラ姉は待つということを知らない。そして強引だ。それだから彼女に注文をされる客は大抵『いつもの!』と言ってしまうんだと思う。普通はそれで通らないぞと思うのだが、彼女の場合はそれが笑って許されてしまうキャラクターなんだ。
そんなわけで私はドナドナドナと子牛のように店へ連れ出された。
店で働いていながら、私はお客がいる時間にこちらへ来ることはあまりない。
だから、数人残っていた客は珍しげに私の顔を見た。
ああ、嫌だなこういうの。かあっと頬が熱くなり、手のひらが汗ばんでくる。誰もとって食べやしないわよ、とミラ姉が耳元で言ったが、食われなくても苦手なものは苦手なのだ。自分だってなんの害もないチョウチョが怖いくせに、と思う。
終始俯いて歩いていたせいで、私は目の前の客に気付かなかった。
「私はマーカス・エセル。お前がヘスターか?」
マーカスと名乗った若者は、じろじろと私の姿を上から下まで眺めると、少し首を傾げた。
実によくある反応だ。
「ヘスター・グレンか」
もう一度確認されて、さすがの私も答えないわけにはいかない。
しかたなく、顔をあげないまま小さくうなずいた。
ちらりと見えた足先の高級そうな革靴とズボンの裾だけで、萎縮してしまう。キャメルの靴は先までぴかぴか光って、ズボンはしっかりと目の込んだ生地だった。お偉いさんだ、粗相をしたらどうしよう、と心配が募る。
自分の荒い綿地のエプロンを握りしめて、ごくりと唾を飲む。
「…どうも、思っていたのと違うな」
彼が本心を包み隠さずに口に出したので、私は大きなダメージを受けた。
ええ、いつものことですよ。
転生者というと、こちらの人間は、もっと華やかな美少女とか、天真爛漫な町娘とか、賢そうな意志の強い瞳とか、そういうものをイメージするんでしょ。
もう、そういう反応はこの16年で嫌と言うほど体験済みだ。
慣れてはいるけどね…と、腹を立てるよりも切なさが先にきて、鼻の奥が少しつんとした。
もう、いっそのことこのまま泣いて厨房に逃げ帰っちゃおうかな、なんて思うけれど、そんな度胸もないときている。だから、仕方なく私は早く終われ早く帰れと念じながらその場にとどまり続けた。
ところが、そんな私の心中なんて察することもなく、若者は言ったんだ。
「まあ、いい。ヘスター・グレン、明日から視察に付き合ってもらう」