転生者はころんでもただでおきたい
翌朝、部屋に運ばれた朝食を恐縮しながらいただいて、言われた時間に執務室へ向かう。
私が朝食をいただいた直後というのは、どうやら使用人の方たちの食事時間らしく、廊下に人は居なかった。
ノックをすると、返事がある。若様はなぜか少し疲れた空気を醸し出していたが、すでにデスクで仕事を始めていた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
ああ、これすごいな。
朝から朝食を持ってきてくれたメイドさんと若様で、家族以外と二回も挨拶している。
私は密かに自分の成長に感動していたのだが、若様はさっさと用件を言った。
「今日、協会本部からくる職員に会うから、お前も同席してもらう」
2日目にして、この部屋以外での仕事が来た!思ったより早い。
でも、ゆくゆくはお城の外でも仕事をしなくてはならないだろうから、これもリハビリと考えて頑張ろう。
一気に緊張した私に、若様はついては、と話を続ける。
「補佐官として対面するに相応しい服を着ろ」
若様がデスクの陰からバサッと何かを取り出した。
ピンクのものがふわっと広がる。
なんだ、コレハ。
それは、以前食事会で着たような・・・むしろもっとふりふりの、少女趣味全開のドレスだった。
「・・・これを、着ろと?」
若様はこくりと頷いた。
「私はこれで十分です!」
私は思わず自分のワンピースを抱きしめた。
これだってくるぶしまでの長さがあるし、昨日姉から届いたばかりの新品だし!
しかし、若様は疲れたようなため息をついた。
「これは両親の命令でもあるんだ。お前の扱いは、この領内の転生者協会への態度と見なされかねない。・・・母は単に着せたいだけだろうが」
そのピンクのひらひらは、奥方様の趣味でしたか!若様かと思ったら!
朝からお疲れなのは、もしかして奥方様にハイテンションでこれを押しつけられたからだったのか。
でも、いくら若様がお疲れだろうと、無理は無理だから。
色々強引さに流されてきたし、今も奥方様のお顔が浮かんだらうっとりしかけたけど、これはどうしても譲れない。いくらロング丈だろうとそんなアイドルみたいな桃色フリルは、精神年齢20以上の私の羞恥心が耐えられない・・・!
「着替えろ」
「このままで!」
「お前の部屋に侍女を待たせている」
気付けば、若様と私はドレスを挟んでぐぬぬ、とにらみ合っていた。
「部屋に行け」
「遠慮します」
若様は強引だが、私だって頑固だから、掴まれた腕を引っ張り合うような事態に陥ってしまった。
それだけならまだ良かった。でも、この時はいろいろ悪い条件が重なった。
磨き抜かれたつるつるの床。まだはき慣れないヒールのある靴。それから、思いっきり力を入れて引っ張り合っていたところへ、何かに気付いた若様がふと力を抜いたこと。
うそ。
「おい!」
天上が見えた。
私はそのまま後ろへひっくり返ったのだ。
あ、まずいこれは脳震盪コースかも。
頭を打つ、と思った私は目を瞑ったのだが、衝撃は意外にも軽いものだった。
そして身体の上に感じた重みと温かさに目をあけると。
なにい!?
どアップ、美形がどアップなんですけど!
近いよ!
その瞬間、若様が庇ってくれたのだとか頭を打たなかったのはそのせいだとか、そんなことは全て私の頭から飛んでいってしまった。
「どいてください!」
渾身の力で胸を押したが、若様はなんのことだというように眉間に皺を寄せた。しかも悔しいがびくともしない。
「大丈夫かヘスター。顔が赤いが、どこかぶつけたか」
顔が、赤いとか、言わないでよ!
混乱した私は泣きそうになって目を閉じた。
だって近すぎるから目をどこにやっても、若様の顔とか、金髪とか、胸とか、首とか、いろいろ見えてしまう。
「!おい、泣いているのか。やっぱりどこか痛いんだな!?」
もうそう思っておいていいから、離れてよ。私のことは転がしておいていいから、頭の後ろから腕を抜いてよ。
彼氏いない歴を着々更新中の私には、刺激が強すぎるんだよ。ちなみに16年じゃないよ、前世で生まれたときからだよ!
まるで理解していない若様は、助けを呼ぶべきか、いや頭を打ったなら動かすわけには、と呟いている。もうどうしたら良いのかわからなくて私は顔を覆った。
「ヘスター、聞いているか?・・・教えてくれ、どうしたらいい?」
若様が耳元で囁いたときだった。
バン!と扉が開いて、知らない声が怒鳴った。
「こんの、バカ様め!」
スパーンといい音がして、ふいに身体の上の体温が消えたので、私は恐る恐る目を開いた。
銀髪の少年が、若様の襟首をつかんでいる。
そして彼は氷のような目で私を睨んだ。
「どこのご令嬢か存じませんが、執務室まで乗り込んでこのような行為に及ぶとは。ご家族に知れて嘆かれる前に、早くお帰りになってはいかがです?」
は?
なに、このような行為って。
私は目を丸くした。
「誤解だ!私は何もしていない」
「まだ、だろう」
「違う!滑って転んだのを庇っただけだ・・・あ、ヘスターお前はまだ起き上がるな。頭を打ったかもしれない」
私は急いで起き上がった。嫌な誤解をされたことが分かって、一刻も早くこの場を離れたかった。
「・・・大丈夫です。若様が重くて起き上がれなかっただけですから」
「そうなのか?それは良かった」
「・・・良くはなかったですけど」
「良くないのか?!やはりぶつけたのだな。今医務室へ連れて行く」
なんでまた近寄ってくるんですか?お姫様抱っことかとんでもありませんから!
ちょっとこの人、話が通じないんですけど!?