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転生者のはつしごと

それから、三階に上がった。

考えてみるとさっきからずっとお城の中を歩いているけど、美術館の中みたいで現実感がない。ベルサイユ宮殿とまではいかないけど、このお城も、一領主のお城としてはかなりの規模だと思う。

ありがたいことにここは私的な空間だからか、ほとんど人に会わない。それで私はきょろきょろと周りを見回すことができた。若様は私のことなど気にせずすたすた歩いて勝手にしゃべっているしね。

廊下の奥から二番目の扉の前で、若様が立ち止まった。

「ここが、私の部屋だ。お前の肩書きは治安対策補佐官だが、現状城に治安対策という部署は無いから、私の執務室が仕事場だと思ってくれ」

「若様の執務室ですか」

彼は分厚い扉を開けると、さっさと中に入った。

「ああ。それから、その若様というのは何とかしろ」

おぼっちゃんよばわりされているようで嫌だと言うことだろうか。若様は若様なのに。

そんな思いが顔に出たのか、若様が軽く眉を上げた。

「うちは弟が2人いるから、それだと3人振り向くぞ」

並んだ美形が3人一斉に振り返るところを想像してしまい、私はぞっとした。

「分かりました。…長官?」

「…しっくり来ないな。それより、いつまで廊下にいるつもりだ?」

「…あ、はい」

これは、中に入れという意味だよね?なにぶんよそ様のおうちにお邪魔するのなんて16年ぶりくらいだから、勝手が分からない。

おそるおそる敷居を踏み越えていると、若様は、呼び方についてはおいおい考えようと違う話をしていた。

そうだよね、私のマイナーな逡巡になんて、気付くはずないよね。

なんだかちょっと馬鹿らしくなって、残りの距離はすたすた歩くことができた。一応、ソファーの側の高そうな絨毯は避けたけど。

私が中にはいると、若様は仕事について話し始めた。

当面は、私の詐欺についての知識を書面に書きおこして、分類することが中心になるという。

それと平行して、現在おきている事件について目を通していき、対策を考える。

「これなら、外に出ずにすみそうですね」

「だろう」

ほっとして言うと、若様は笑った。

「私には他にも仕事があるから、いつもここにいるわけではないが、お前はここでデスクワークだ」

そう言って示されたのは窓際に置かれた小型のライティングデスクで、さりげない花の象眼が可愛らしい。ちゃんとペンや紙類も用意されていた。

「私はこれから所用で出るが、昼食は届けさせる」

え、そうなの。到着早々一人で留守番か。

「3時には戻るから、それまでさっき言ったことを進めておいてくれ。必要なものがあれば、ベルを鳴らして侍女を呼べ」

言いながらも若様は襟元を正して慌ただしく扉に向かった。

どうやら急いでいるらしく、出ていったところに控えていた侍女がすかさず上着を着せかけていた。それを見て、私というイレギュラーのために若様や周りの人が時間も労力も割いているということを再認識させられた。

若様だって暇じゃないはずだ。昨日捕まえたオレオレ詐欺の犯人の取り調べもあるし、私への説明や案内をスケジュールに押し込んだ分、さらに忙しい思いをさせているのだろう。

一人になると、急に執務室がぐんと広くなったように感じた。

見回して目に入った敷物もソファも壁の絵も、どれもがシンプルだけど上品で、なんだか閉館後の美術館に一人取り残されたようだ。

私は、心細さを振り払うためにぱん、と頬を打った。

「よし」

帰ってくるまで、言われたことを頑張ろう。

やる気満々で始めた仕事じゃあないけど、引き受けたからにはきちんとするつもりだ。前世のコンビニバイトでは無遅刻無欠勤、今生も働き者と名高いグレン一家の末娘だ。それに、あんなお部屋に住まわせてもらう以上、いい加減なことはできないでしょう。

お茶の時間に帰ってきた若様は、私の書き出した詐欺の種類とその説明に目を通し、初日にしては上々だと言った。それから侍女さんが運んでくれたお茶を飲んで、指摘された点をもとに書き方を少し変えて、また机に向かう。

若様が最初に引っかかりかけた投資詐欺から始めて、オレオレ詐欺、寸借詐欺などについて思い出せることを箇条書きで書いていく。あるといいと言われた具体例を考えるのは、一介の学生の知識ではなかなか骨が折れた。

転生以来こんなに文章を書いたことはなかったから、私はものすごく集中していた。

「ヘスター・グレン」

若様に肩を叩かれた私は飛び上がるほど驚いた。

「何度も声をかけたんだが」

立ち上がって椅子を倒した私に言い訳するように、手を引っ込めた若様が言った。

「すみません、聞こえていませんでした」

結婚詐欺について書いていたら、架空の被害者Aさんに感情移入してしまった。Aさんは町で出会った金髪の男性と恋に落ち、やがて2人は結婚を意識し合う仲になった。男性も、独り立ちして店をもったら、結婚したいと言っていた。Aさんは喜んで、2人の将来のためならと、自分が結婚資金としてこつこつ貯めていたお金を男性に渡してしまう…しかし、隣町にいい店舗を見つけたと言って契約に行った彼は、そのまま二度と戻ってこなかった。この金髪、なんて奴!

若様は私の手元の紙にさっと目を走らせると、ここだけやけに長いことに驚いたようだが、やがて頷いた。

「先ほどより分かりやすくなった。今日はここまででいい」

本当?苦労して書いたものを誉められると、嬉しい。

「はい」

本当ですかと念を押したい気持ちを胸に、私は深く頷いた。

「では、行くとするか」

「どこへです?」

「夕食へ」

私は、若様の答えを聞いて目を見開いた。

そして当然ながら散々抵抗したが、結果として私は領主様ご一家と夕食を共にすることとなった。

「母が自分の家だと思えと言っただろう。ならば、当然そうだろう」

全くあの人は、みたいな顔をしてそう言った若様には、是非とも反発心をはぐくんで欲しい。私のために。そして、食欲がないといった程度で医者を呼ぶというのなら、私の死にそうな顔色についてももっと心配して欲しい。

ともかく私は、これも仕事と自分に言い聞かせて、夕食に挑んだ。

「そうかしこまったものではない。お前より弟の方がよほどマナーがなっていないしな」

一般庶民の気持ちなんて分からない若様は、そう言って機嫌良く歩き出してしまったので、私は迷子にならないように必死でその後を追いかけた。

味については、覚えていない。

特筆すべきことは、その日の晩餐は4人だったということ。領主様はお仕事で帰っていなかったし、弟さんのうち1人は騎士学校に行っているとかで、ここには長期休みにしか帰ってこないのだとか。

「ヘスター、この子がうちの三番目の息子の、ライナスよ」

奥方様に紹介されたのは、きらきらと輝く奥方様譲りの金褐色の髪に青い目、血色の良いピンクの頬をもつ、まるで天使のような子どもだった。

まだ私の胸までもない小さな男の子で、最初、私は少しほっとした。

「お初にお目にかかります、ヘスター・グレンと申します」

「ライナス、挨拶なさい」

「…ライナス・エセルだ」

声は高くて可愛いけど、ぶすっとした口調だった。

私は、これは歓迎されていないらしい、と理解した。

考えてみれば当然だ、突然見知らぬ、しかも一般庶民の女が家族の食卓に割り込むというんだから。

天使に嫌われるのはすごく残念だけど、仕方ない。どうせ、8才だというライナス様は昼間は学校だろうから、私が彼と顔を合わせるのは夕食だけだ。

そう納得しようとしていたのだが。

夕食が終わって席を立とうというとき、後ろを通りかかった彼は言ったのだ。

「カラス女」

と。

それは明らかに私の黒い髪を揶揄した言葉だった。

…落ち着け、相手は子どもだ、そしてここは仕事場だ。

バイト先に気の合わない人や感じの悪い客が一人もいないなんて、そんな幸運ありえないんだから。

私は遠ざかる小さな背中を見送りながら、深呼吸をした。

ブックマークありがとうございます。

ようやくお仕事が始まりました。

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