転生者のきたく
駅前の公園のベンチに、1人の青年が座っている。
爽やかな萌葱色の上着は、遠目に見ても上等だし、ただ座っている姿だけでも品がある。惜しむらくは、彼がずっと時計を見たり周りを見回したりと、落ち着かない様子であることだろうか。
公園を通り抜ける人々は、先程から皆見目麗しい青年に目を奪われていたが、待ち人がいるらしい彼の様子を見て、声をかけることはなかった。
その青年に、男が近づいていく。
「あの、エセルさんですか」
「はい、貴方は…?」
声をかけられた青年は、強ばった面持ちで問い返した。知り合いでは、ないらしい。
「僕はロンに頼まれた者です。ここで貴方から荷物を受け取るようにと…」
男の言葉に、青年がはっと立ち上がった。
「そうでしたか。それで、ロンは大丈夫でしょうか」
「彼は今捕まっています。急いで金を持っていかないと、どうされるか」
「ああ、金ですね。それならここに」
青年が胸元から出した包みに、男が手を伸ばした。
その手を、青年が掴む。
「あの…?」
戸惑った男に、にっこり笑いかける青年。
「少し話を聞かせて欲しいのですよ」
「いやしかし、急がないとロンが」
「ロンなら大丈夫。あの後、連絡が取れましたから。何故か空話はつながりませんでしたが、確かめようと思えば他にも方法はあります」
男の顔がさあっと青ざめた。
「ひっ!」
手を振り払って逃げだそうとした男だが、青年は見かけによらず力が強いようで、振りほどくことができなかった。
そうこうするうちに、四方からわらわらと兵が集まってくる。
通りがかりの人間は、一体何があったのかとその騒ぎを見守っていた。
美しい青年は、その中心で笑顔のままこう言った。
「さあ、なぜロンがならず者に囚われたなどと言いだしたのか、ゆっくり話してもらおうか…ということで、ヘスター、無事終了だ」
男は、片手で自分を軽々と拘束したまま空話でどこかへ報告する青年を、周囲を囲む筋骨隆々の兵士たちを、見た。
最後の望みをかけて公園の出口へと目をやるが、そこにもいつの間にか兵士の姿があった。
嵌めるつもりが、嵌められたのだ。
そう悟った男は、がっくりとうなだれた。
「…というわけで、治安対策補佐官とやらをするのでお城に勤めることになりました」
しんと静まりかえっていた家族は、この一言で沸き上がった。
お城に行ったら疑われて捕まりそうになって、その後成り行きで詐欺師をつかまえる手伝いをして、という話をしている間、すごいことになっていた眉間の皺も、一気に消えた。
「やったわね!ヘスター」
「すごいじゃないの、外に出る気になったのね」
「大丈夫だ、お前ならできる」
「ちょっと、痛いよ」
「全く、あんたときたらハラハラさせて」
姉たちに抱きつかれ、両親に頭を撫でられ、もみくちゃにされながら私はほっとしていた。
良かった、と思った。
皆喜んでくれている。それも、私がお城勤めになることよりも、家から出る決意をしたことを誉めてくれる。出世したり何かを成したりすることを期待して喜んでいるんじゃない。本当に、なんていい家族なんだろう。
家族の反応を見て、私はほんの少し、気持ちが明るくなった。
若様が目の前でオレオレ詐欺に引っかかりかけたものだから、ついうっかり手を出してしまったけど、直後にものすごい後悔に襲われたのだ。
あれだけ騒いで、拒否したのに、勢いで口を挟んでしまったのだもの。
『その場で指示します』って、その場ってどこに行く気なんだ、私。家から出るのもままならない引きこもりのくせに!と自分を罵った。
無かったことにして走って逃げ帰ろうか、とも思ったけど、若様はしっかり聞いていたようだし、誤魔化そうにも筆談してしまったから、証拠もばっちり残してるし。
そんなこんなで俯いて固まっているうちに、若様に片手を確保されていた。
「急いで準備をしなくてはな」
「あの、なぜ私まで」
「指示を出すと言っていただろう?」
「!外は…!」
きっと私は壮絶な顔をしたのだろう、若様はああ、と納得して立ち止まった。
「緊張で判断が鈍っても悪いし、仕方ないな」
物分かりのいい若様の提案で、空話で指示を出すことで勘弁してもらえた。
そこで空話を受け取ってしまったのが、後の祭りだ。現場に出向くことを免除されてほっとしていた私は、逃げられないところまで追い込まれたことに気付かなかった。気付いたのは、若様がいろいろ手配して警備兵を一隊連れて出て行ったあとだった。
手元になぜか二台も準備された空話でその場の状況を複数実況中継されながら、まさか大事な場面でぶちっと切るわけにもいかず、半泣きで指示を出したのだ。
そんな濃厚な1日をぼんやり思い出していると、ぽたりと前髪に水滴が落ちてきた。
「…ミラ姉、泣いてるの?」
見れば、あの勝ち気で短気で明るい姉が、私を抱きしめたままぼたぼたと涙を流していた。
「本当に、本当に、良かったね、ヘスター」
ミラ姉が、嗚咽混じりに言えば、モナ姉も微笑む。
「若様が貴女に会いに来たとき、私たち、これはチャンスだと思ったのよ」
「チャンス?」
「そうよ。貴女がもう一度笑って外を歩けるきっかけになるかもって、話していたの」
ミラ姉は、ずずっと鼻を啜った。
「ヘスターったら、いくらお出かけに誘っても頷かないし、髪も切りにいかないし。だから、若様をだしに前髪を切らせてよそ行きの服を着せた貴女を見たとき、私たち、涙が出るほど嬉しかったんだから」
ああ、だからあんなにテンションが高かったのか。
私は納得した。
確かに、眉が見える長さまで前髪を切ったのは久しぶりだった。それに、明るい色の服を着たのも。でも、そこまで心配されていたとは。
「…大げさだよ」
「大げさでも、いいの。だって、本当に嬉しいんだから」
ぐちゃぐちゃの顔で笑う姉を見て、私は、成り行きとはいえ若様の提案を受けて良かった、と思った。