転生者のてんしょく
「分かったと、おっしゃいましたよね?」
「ああ」
「難しいけどなんとかする、と」
「言った」
「じゃあ何で、こうなったんですか!」
私は今生で始めて、胸ぐらを掴む勢いで人に詰め寄った。
うっかり若様を信じて休むこと小一時間。
そのわずかの間に、私の身分が決まっていた。
私は、下町の食堂の三女からお城勤めの治安対策補佐官とやらにいつの間にかジョブチェンジしていたのだ。
「落ち着け。奴らの案を退けつつお前の望みを叶えた結果だ」
若様のバカ様め!
私は彼の緑の目をぎんと睨み上げた。
「奴らの案って、これじゃあ髭や眼鏡の言ってたことと何も変わらないじゃないですか!」
「全く違う。今のお前の立場は、私の部下だ」
彼は、髭や眼鏡の案が採用される前に私の身分が決まっていたことをねつ造したのだ。これは決定していたことで、覆らせるのは無理だとアピールするために、今、私の名前を記した書類が隣町の転生者協会に早馬で届けられているという。
そんな工作をして食堂へ戻り、若様は髭と眼鏡に対して、『実はヘスター・グレンにはもうすでに、私の方から任命証を出しているのです。転生者協会へも申告済みですので、お二方のお言葉はひとまず、私の胸に留めさせて頂きますね』とうそぶいたのだ。
そんな話、聞いてない。しかし問題は、それより。
「でも、お城に残されるってことでしょう?!」
髭や眼鏡の言った、私の拘束案を退けるため、若様は私を自分の部下にした。しかし、その話を飲ませるためにこのバカ様は、『もともと通いのつもりだったが城に住み込ませることにしよう』と言ってきたのだ。
「それでも、髭の監視も眼鏡の干渉も受けない」
私には分からないが、それは確かに大きな違いなのだろう。
「でも、私は」
お城に住み込みで働くなんて、考えられない。
だってここに今日来るだけで、これだけ精神と胃壁をすり減らして、寿命を削っているんだよ?
それを、こんなシンデレラ城みたいな場所で、洗練された仕事人たちの中で、何よりこんなきらきら目が痛くなるような人たちを見ながら仕事をしろってことでしょう?
本気で死ぬよ!
若様が腕組みしながら首を傾げたので、きらきらの髪が眩しくて、これ以上見ていられなくて私は目を逸らした。
「独り立ちしたいのだろう?仕事はあるし、仕事内容はこれから考えるから今のところほぼないし、引きこもりのお前でも徐々に慣れることができるだろう。お前の望み通りじゃないか?」
何それ。強引すぎる。
至近距離で彼の革靴を睨み付けながら、私は奥歯を噛みしめた。
「…信じられない!」
「何故怒る?一応、お前の引きこもり具合は考慮して仕事を振る予定だぞ」
こんな条件はなかなか無いと思うが、なんて本気で不思議そうな声を出すのはやめて欲しい。
私だってそれは分かる。
それに、少なくとも彼がしたのは私のことを考えてのことで、疑いから拘束しようとしたあの隊長とは違う。それも分かっている。
ただ、どう考えてもやり方が強引すぎるし、やっぱり話が急すぎる。
若様は強引だ。最初からそうだったし、この城に来るはめになったのも、結局は彼のせいだ。その上必要に迫られてとはいえ、今度は人の職業と住居を勝手に一気に変えてしまうって、それはないと思う。
私はどうしても、ここで頷く気にはなれなかった。
「…やる気のない人間を部下にしても、良いことはないと思います」
「やる気は自分で出すものだろう」
ごもっともだが、若様、あんたが削いだのだ。ここまで徹底的にそがれたものはそうそうわき出てこない。
「目立つのは嫌ですから」
「城に呼ばれたり警備隊に周りをうろつかれたりして、何があったかと噂されるよりは、城勤めになったと説明がつく方が目立たない」
だから、お城に呼ばれたのも警備隊に目をつけられたのも、全部バカ様のせいじゃないか。
そもそもがお前のせいなのに、ましな選択肢を用意してやったと言われても頷けないんだよ。
私は人目もはばからず膨れた。
それがどれほど子どもっぽいことか、そして自分の精神年齢から外れた行動かは分かっていたが、話の通じない若様相手に、もう全身で訴えることしか思いつかなかった。
そうして河豚のように膨れていること数分、頭の上から、ため息が降ってきた。
「どうしても、嫌なのか」
私が黙って膨れていると、目の前の長い足が、姿勢を変えた。すぐ後ろにあったデスクに寄りかかったようだ。
「確かに、俺には責任がある。転生者としてしかお前を見ずに連れ回して、結果この騒ぎにまきこんだ」
私は何も言わなかった。
だって、その通りだと思ったから。
すると、若様はまた一つため息をついた。
「…どうしても嫌ならば、いい。かなり難しいが、…まあ、なんとかする」
私は思わず彼を振り仰いだ。
その口元は不機嫌そうに歪んでいるから、彼はそれを好ましいとは思っていないと分かる。
それに実際のところ、せっかくまとめた話を反故にした上に私が拘束されないように取りはからうことは、無理に近いことなのだろう。でも、そうなっても仕方がないと彼は今、認めた。
本当だよね、言ったよね、と至近距離で覗きこんだ目に問えば、諦めたような色が応えた。
「…とりあえず、今日は一旦家へ戻れ。馬車を用意させるから、隣で支度をしていろ」
私は、無言のまま頭を下げて隣の部屋へ急いだ。
先程そこへ、侍女さんが私の上着やバックを運んできてくれたのだ。
彼が不本意だろうと、仕方なく言ったのだろうと、私にはその言葉にしがみつくことしか思いつかなかった。
家に帰る。
そしてもとの計画通り、少しずつ独り立ちの準備をする。
いろいろとお城に来たことでうるさい陰口をたたかれるだろうが、それでも、多少時間はかかっても、そうするのだ。
広い部屋の奥の自分の持ち物の置かれた机に向かいながら、私は思った。
…でも、どうして独り立ちの場所がここではいけないの?
ふいに胸に湧いた疑問に、私は戸惑いつつも答えた。
それは、だって、お城だもの。
…それはそうだけど、引きこもりの私にとっては、本当は家以外どこだって恐ろしい場所に変わりないでしょ?
若様が勝手に決めたことだもの。
…それでも、彼は私のために考えてくれたんじゃない?
でも、そもそも若様が巻き込んだのよ。全部が全部、強引すぎるのよ。
…それについては責任を認めて謝ってくれたし、今も私が嫌だと言ったらこうして、無理なことだろうに、なんとかすると言ってくれたじゃない。
そうだけど。
…ねえ、どうして若様の提案を受け入れてはいけないの?
その声を握りつぶすことができずに、私はのろのろと足を止めた。
分かっている。
結局、私はがっかりされるのが怖いのだ。
バックを手に鏡台の前に座ると、化粧道具を取り出す。
上の空だったが、帰る前に、泣いて流れた化粧を直さなければならなかった。
可愛らしい鏡台の中から、ぼんやりと冴えない顔をした娘がこちらを覗いた。
量の多い黒髪と灰色の目が、暗くどんよりとした印象に見える。
転生して16年、これが私の顔だ。金銀赤茶ときらきらした色合いの多いこの国で、姉や両親も明るい栗色の髪に青い目なのに、祖母に似たという私の色合いはどこまでも地味だ。
私はため息をついて、慣れない化粧道具を手に取った。この顔に化粧をしたのは今朝が初めてだが、前世は人並みにファンデーションやチークくらいしていたから、まあ何とかなる。
前世の私にも、姉が居た。
彼女はとても出来のよい少女で、前世の私はことあるごとに彼女と比べられた。両親にその気はなかったのだろう。しかし、お下がりを着れば、『あの子には似合ったのにねえ』と言われる。学校に行けば『あいつの妹か!』と期待され、そしてやがて『お姉さんとは違うんだな』とがっかりした顔をされる。そのたびに少しずつ傷付いた少女は、やがて、最初から頑張ることをやめていた。姉のようになろう、期待に応えよう、と頑張れば、苦しい。だから、『あんまり似てないんです~』と最初から予防線を張って、目立たぬように地味に過ごした。
おしろいを塗り直して、頬紅を付ける。冴えない表情の娘が、頬だけほんのり赤くしているのが滑稽だと思う。
はあ、とため息が漏れた。
転生して、前世を思い出したとき、私は周囲の期待の大きさに恐れおののいた。寄せられる街中の期待が怖くて、応える努力をしてみるより前に逃げたのだ。だって、努力をして結局駄目だったら、もっと辛いから。それはとても苦しいことだと、思い出してしまったから。
そうして逃げても、実は全然楽にならなかったのだけど。
だって、他ならぬ私自身が、自分に期待していたのだ。
転生した私は、前世の自分とは違う私は、もしかしたら何かできるのではないか、と。何度、家の中で密かに前世のことを思い出して、何か新商品ができないかと考えただろうか。そのたびに上手くいかないことに、何度がっかりしただろう。
私は、自分で自分にがっかりしていた。
だから若様に、お前は何もできない訳ではないではないかといわれて、かけらもうれしくなかったかと言えば、それはやはりうれしくて。
薄く引いた口紅が白い顔に浮いて見えるのが、密かに舞い上がっていたそのときの自分の愚かさを、代弁しているように思えた。
一通り整えて、片付けようかというところで、隣室から声が聞こえた。
「ああ、もしもし」
若様がまだいたようだ。この世界には電気はないが、携帯電話そっくりの、空話と呼ばれる機械がある。
「え?おれ?俺って、もしかしてお前、ロンか?」
若様は相当焦っているのか、声が大きくなった。
「どうした、何があったんだ!?おい、大丈夫か。・・・わかった、金ならすぐに用意するから、心配するな」
…若様!
それは…それは、オレオレ詐欺だから!!
ええい、もう。
私は扉を開けて、つかつかと若様のそばに歩み寄った。
彼の座った立派なデスクの上の紙に、指示を書く。
『そのまま話を続けて。お金は送るのじゃなく、直接渡すと言って。場所を決めて』
私の行動に若様は驚いた顔をしたが、『詐欺です』と続けて書き殴れば、状況を飲み込んだのか素直に頷いた。
ピ、とケータイが、じゃなくて空話が、切れる。
「…時間と場所は」
「13時に、駅前の公園だ」
「人を手配して、公園の出入り口に配置して下さい。あと、駅にも一応」
「ああ」
「お金は準備できますか」
「できる」
「偽物でかまいません。それを渡すと見せかけて、近づいてきた犯人をつかまえて下さい」
「分かった」
「詳しい指示は、空話で出します」
「分かった…」
とりあえず思いついたことを言い終えて、私はじっとりと彼の足下を睨んだ。
今だけは、死んでも顔を上げたくなかった。
「ヘスター」
「なんですか」
ものすごくうれしそうな若様の声が面白くない。
名前を呼ばれたって私は顔を上げない。
「協力してくれる気になったようで、うれしい」