転生者のたいこう
口を開いたはいいが、食卓の全員の視線が集まったことに緊張して喉がつまった。
こんな恐ろしい面子の前で、何を話せばいいんだ。
私は人見知りの引きこもりだって言ってるでしょ、だから最初から言ってるでしょ、ととりあえず一番手近な若様を頭の中でなじって、ふと気付いた。
そうだ、これしかない。
私はもはや絞りかすでしかない勇気をぎりぎりと振り絞って、息を吸い込んだ。
言え、言うんだ。
「引きこもっているので、そのようなことはできません」
悲しい告白をした。
食堂を、静寂が支配した。
あれ、奥方様が目を潤ませている。
「あ、でも今月は転生者協会の面談以外にも、一度二軒先の八百屋に入れ物を返しに行きましたけど」
ちなみに協会へは通りを突っ切って火車に乗って行かなければいけないが、こればかりは代理不可なので、毎回帽子を目深に被って裏道から行く。毎月気が重いが、これのおかげで私が引きこもりにTHEではなく準の字を付けられているとも言える。まあこの外出も、言葉を交わすのは顔見知りの協会職員さんくらいだから、ぼっちの方にはしっかりTHEが付くけど。
皆様の憐れむような視線があんまり痛かったから、八百屋にもいったとアピールしたのに、場の空気は和まなかった。
八百屋は早くから店を開けて準備しているので人気のない日の出直後に行けて、気楽なのだ。でも、これだって一応八百屋の人間と話すから、立派な外出だ、と私は言いたい。
ごほん、という咳払いで沈黙を破ったのは、髭の男だった。
「しかし、お前と家族以外に、それを証言できる者はいるのか」
ちょっと何言ってるの、髭男!引きこもりは誰にも合わないから引きこもりなんだよ!
そう思ったが口に出す勇気はなく、私は俯いた。
変わりに口を挟んでくれたのは奥方様だった。
「おやめになって、ダドリー伯。若い娘さんが、こんなことを恥を忍んでおっしゃったということが何よりの証明でしょう」
奥方様がハンカチを目に当てながら言ってくれたので、髭も黙った。
ありがとうございます、奥方様。ただ、私もかなりのダメージを受けましたけど。やっぱり、私の生活って『こんなこと』なんですね。
「ダドリー伯のご心配は理解できますが、彼女自身が犯罪に手を染めたという証拠もありませんし、それを連行しようというのはさすがに人道的とは言えませんね」
それまで黙っていた眼鏡の男が静かに口を開いた。
確か、彼は何かの文官。後は忘れた。
「確かに彼女の知識は危険です。しかし、それは彼女個人の思想ではなく、前世では一般的な犯罪についての知識なのでしょう?」
私は必死で頷いた。
彼の言葉を肯定すれば家に帰れるのではないかと思って。
「ならば、彼女個人を捕らえても問題は解決しないのでしょう」
そう、その通り。
しかし彼は眼鏡を少し押し上げると、こう続けた。
「まあ、どうしても心配だとおっしゃるならば、協力という名目で警備隊へしばらく留め置いて様子を見てはいかがでしょう」
え。
それって、名目が違うだけでは?
そうじゃないの?
私の混乱をよそに眼鏡男は、その間も同様の事件が続くなら私の知識は解決に役立つし、逆に収まるようなら私の関与をもう一度調べればよい・・・などとぬかした。
「それならば、彼女も知識を生かすことができ、不満はないでしょう」
何故そうなるの?
私はもう、何がなんだか分からなくなっていた。
さっき私は無実だと説明したのに。皆、残念な子を見るような目で見て、こいつには確かに無理かもって顔してたのに。眼鏡だって、私を捕らえても仕方ないって、いってたじゃない。
それなのに、どうしてまた、城に留め置くとかそういう話になっているの?
疑っておきながら、知識は役立てろ、それで不満はないだろうって、どういう神経で言ってるの?
目眩がする。
今にもナイフとフォークを落としそうだ。
本格的にまずい、と思ったとき、先に別の方向からガチャンと無作法な音が響いた。
「大丈夫か!?」
テーブルの反対側に座っていた若様が立ち上がって私の方へ来る。
彼は私の手から銀器を抜き取ると、そのまま手を引いた。
「皆さん、お食事中ですが一旦失礼します。へスター嬢が倒れそうですので」
「若様!」
「まあ、大変。我が家の恩人に何かあっては困るわ。マーカス、彼女を頼みますよ」
不自然なほど大きな声で奥方が言うと、控えていたメイドさんたちが一斉に動いた。椅子が引かれ扉が開きそして廊下にでるやいなや速やかに閉じられた。
見事な連携ぶりに、何か打ち合わせがあったのだなと思った。とりあえず拘束されてしまう前に、領主様ご一家のテリトリーへ入ってしまえとでもいうのだろうか。しかし何かを尋ねる気力もわかず、私はただ、子どものように手を引かれて歩いた。
そして、この部屋に座らされた。
窓から入った優しい風が室内を通り抜けていく。
炎天下の朝礼のように長く、白刃を突きつけられるように恐ろしい食事会を抜け出したが、私はまだ緊張していた。
侍女さんが出してくれた温かいお茶が胃袋と心に染みこむが、強ばった身体は力の抜き方を忘れてしまったようで、まだ上手く背もたれに寄りかかることもできなかった。
「ダドリー伯の言ったことは心配するな」
「…」
その男の目を思い出して、私はぶるりと震えた。
「お前には恩はあっても罪などない。連行などさせないから、安心しろ」
「…当たり前です」
私は小声で強がりを言った。
彼は小さく笑った。
「そうだな」
「…でも、あの眼鏡の人の意見は採用されるのではないですか?」
あのダドリーという男は頑なだったし、彼の権限を考えると、眼鏡の案は妥協点として領主様も頷かざるえないかもしれない。だから、若様もあの場で話を済ませずに私を連れ出したのだろう。
そして、今も私の問いにはっきり答えない。
「お前は、望まないだろう」
私は強く頷いた。
若様は、ため息をついた。
「もとはといえば、私もお前を転生者としてしか見ていなかった。特別な知識を持っているはずだ、だからそれを生かすのを望むはずだとしか思っていなかった」
やめてよ、今さら。
「これでは、ダドリー伯のことを言えない。お前は転生者である前に、年下の、普通の娘なのにな」
今は、言わないで。
「悪かった」
謝らないでよ。
急に年下扱いしないでよ。
ふ、と私を支えていた何かがほどけた。
多分、若様が謝ることはないと否定するとか、許すとかするべきなんだろう。でも、そんな余裕は全然無かった。
必死で外面を保っていた糸が途切れたように、身体が言うことを聞かなくなる。取り繕った表情がばらばらとこぼれ落ちて、視界がぼやけた。
手の中でカタカタと音をたてだしたティーカップを、私は必死でテーブルに戻した。
「…私は」
上手く呼吸ができなくて言葉を途切れさせた私を、彼は待ってくれた。
「自分に特別なことができるなんて思わないし、望んでもいません」
情けないくらいに声が震えて、どうしようもないから両手でのど元を押さえた。
「…何もできなくてもいいから、どうにか人並みに外を歩けるようになって、家族のお荷物にならないように独り立ちしたいだけです」
情けないくらいささやかだが、悲しいことに準・引きこもりの今の私には、困難な野望だ。
「独り立ちしたいんです。早くちゃんとしないといけないんです。だから、本当は急いでるんです」
こんなふうにお城に来たりドレスを着たりして噂の種になっている暇なんてないんだ。
思わず漏れたのは、恐い思いをしたという訴えでも、不当な扱いへの怒りでもなく、こんな明後日の方向の言葉だった。
誰にもするつもりはなかった話。人に言ってどうなるものでもない、私のささやかな決意とどうしようもない悩み。
こんなことを口走ったのは、さっき髭男に言われた言葉のせいだと思う。『身を立てていない寄る辺のない人間』というあの言葉は、私の胸にとげのように突き刺さっていた。まさに今の私を端的に現していて、それが何より悲しかった。
転生者の多くは、前世の知識を生かして新商品を開発したり新しい商売を始めたりして成功を収めている。そこに入れないばかりか、外を歩くことさえ怖がって家族のお荷物になっている自分が、本当はいつも情けなかった。
胸の中の固まりを吐き出し終えて、私ははあ、と息を吐いた。
何をやっているんだろう、私。
若様にだって、今の状況への責任はあっても、わたしの内情なんてなんの関係もない。
確かに訳の分からない状況で、当たれる先は目の前の人しかいないけど。でも、話すならこんな駄々っ子のようなことじゃなくてもっと実のある話をするべきなのに。
精神年齢はいい大人なのに、年下扱いされて本気で幼児退行したみたいで、すごく恥ずかしい。
私がそう思えるくらい冷静になるまで、若様は黙ってそこにいた。
何をしているのだろう。
ほんの少し震えが落ち着いたのでそっと視線を上げて伺えば、彼は腕を組んで考えこんでいた。
呆れて、別のことを考えていたのだろうか。
そう思って見ていると、気付いた彼がこちらを向いた。
かすかに視線が絡むと、私がびくりと目を逸らす前に彼は尋ねた。
「その独り立ちというのは、結婚して家を出るという意味か、それとも仕事を見つけるという意味か」
考えていたの、そこなの?
自分で勝手に話しておきながら、つっこんで聞かれると思っていなかったので驚く。
私は、ハンカチを目に当てた。
「どちらでも。どちらにしろ、まずは…引きこもりを卒業しないと」
涙と一緒にさりげなく鼻も押さえる。
「つまり、人と接する訓練をしつつ、結婚相手もしくは仕事を探したい、ということだな」
若様の言葉で言うと、私の鬱々とした願望も、なかなかあっさりと明るい目標に聞こえるから変だ。
「…まあ、そうなりますね」
少し拍子抜けして、私は彼を見上げて頷いた。
すると目があった若様は、声を明るくした。
「よし、分かった。難しいが、何とかする」
そして彼はしばらく待つようにと言い置いて部屋を出て行った。
置き去りにされた私は、ぽかんとその後ろ姿を見送った。
「おかわりはいかがですか」
タイミングを見計らったように差し出されたお茶を一口飲むと、なんだかどっと疲れが押し寄せてきた。
まあ、とりあえず若様に任せておこう。
泣いたせいなのか頭がぼんやりして、いろいろ考えるのが面倒になった私は、そのまま背もたれに身体を預けた。
後から思うことだが、このとき何故彼の清々しい笑顔を怪しまなかったのだろう。この顔が私にとって面倒な方向の『分かった』だと、そろそろ分かっても良かったのに。
『たいこう』と付けましたが、対抗というより抵抗だなと気付きました。でも、『退行』部分が書きたい話だったので、サブタイトルはこのままにしました。