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転生者のおしょくじかい

前日に届いた薄い藍色のドレスは足首が隠れるほどに長い。

いつも着ているワンピースよりかなり長いし、幾重にも薄布を重ねてたっぷりと布地を使ったスカート部分が足に絡むし、動きにくい。でも、興奮した姉たちに朝も早くから着せつけられたので、背中に結んだ白いリボンのゆるみ具合も胸元の花のコサージュの角度もばっちり、服装の準備は万端だ。

気持ちの方は、言わずもがなだけど。

私の気持ちそのままの重苦しい黒髪は、いつ買ったのか覚えていない共布のリボンで、姉がハーフアップにして結んでくれた。

それをつぶさないように帽子を被るのだとか、転ばない裾さばきだとか、姉たちがいろいろ周りから聞いた情報を教えてくれたのだが、正直どれも自信がない。むしろ、いつもより少しかかとの高い靴で転ばずに歩けたら御の字のレベルだ。

だから、若様が来たときは、ついにこのときが来てしまったという気持ち半分、やっと終わりが近づいたという気持ち半分だった。もちろん、行かないですむなら今からだってそれが一番だけど。

お城へ行くこと、領主様に会うという緊張に加えて警備隊の不信の目にさらされるようだという謎の恐怖は消えないどころか増す一方で、それは強烈な胃痛となって私を襲っている。

「あのピンクも良かったが、これもよく似合うな」

馬車で迎えに来た若様は朝からこんなことを言ったが、嘘つけ、と私は思った。

あんなフリフリピンクを私が着たら、どこの七五三だとなるのに。もしかして趣味が悪いのだろうか。

だから、後半の褒め言葉ももちろん聞き流す。

「…時間はよろしいのでしょうか」

若様は、ああそうだった、と頷く。

そして、すっと手を差しだした。

「お手をどうぞ、レディ」

「!」

不覚にも、かっと顔が熱くなった。

よく似合う、で、お手をどうぞ、ときて、極めつけに、レディ?

こういうことを素面で言えるって、漫画の中だけの話だと思っていた。どういう精神構造してるんだろう。

「…レディなんて柄ではありませんから」

冗談ならこれで笑って終わりにするだろう。そう思って上目使いで顔を覗いて言ったのに、若様は真顔だった。

「いや、レディにしか見えない」

私は若様から慎重に距離をとった。

こいつ、天然たらしだ。

前から薄々感じていたことだが、この人は危険だ、本気にしたらバカを見ると、今確信した。

世間知らずの内気な町娘なら、今のでころっと引っ掛かっただろう。しかし私は曲がりなりにも転生者、前世では2次元に不毛な恋をしたこともある。直接の美形には慣れないが、俺様キャラも天然キャラもどんとこい、の耐性はもっている。その気もないのに意味ありげなセリフを吐く若様に心を乱されたりはしない。断じて、しない。

「どうした?」

なぜ手を出さないのだと若様は不思議そうに言った。

そして、何かを納得したように私の手へとその手を伸ばした。

違う!どうすればいいか分からないから手を掴まなかったわけじゃない!

私は辛くも手を握られる前に動いた。

「さあ、行かなくては!」

「…ヘスター?」

珍しく機敏な私の動きは、さすがに不審に映ったらしい。

「…遅れるわけには、行かないでしょう?」

取り繕った私の言葉に、それもそうかと頷いてくれる若様の馬鹿がつく素直さが、この時ばかりはありがたかった。


休日の下町に現れた領主一家の紋章付きの馬車、そこに集まった人々の目から隠れるように俯いて乗り込み、胃を抑えながら馬車の揺れを堪え、登城。

ここでも人目にさらされないようさりげなく若様を盾にして進んだ。

がくがく震える足をなんとか地面に張り付かせずに動かせたのは、皮肉にも朝イチのあの『お手をどうぞ』のおかげだと言える。うっかりのろのろしていて若様に手を握られるとかそれを人に見られるとか、その目の前の恐怖で身体が動いたのだ。

そうして城について食事会が始まった。

なんだかきらきらした部屋で、きんきらな食器がたくさんで、綺麗な服の人たちと食事をした。

我ながらよくやっていた、と思う。

顔は上げられないまでも、失神もせず、出された食事をけいれんしそうな胃に詰め込むこともできた。

相手が全く知らない、今後会うこともない人たちだったことがむしろ良かった。ここでどんな失敗をしようが後の人生に関係しないから、むしろ私にとっては城に入るまでの方がよほど大事だった。こうなるとやっぱり、私の引きこもりは、単純な人見知りじゃなくて街の人たちの期待に応えられないことへの恐れなんだろうと思い知らされるけど。

ともあれ、そのようにして会は途中まで和やかに進んでいた。

領主夫妻は私に感謝を伝えて下さって、予想以上に気さくな奥方様のおかげもあって、私もかちんこちんになりながらもなんとか返事をしていたと思う。

問題はやはり、警備隊長だという髭の男だった。

基本的に警備隊長は領主様の部下だが、自治の行き過ぎを抑えるためなのか国王が任命権をもっており、かなりの独自裁量が認められている。つまり、領主様にとっても領内で尊重せざるを得ない相手なのだ。

その彼が、私が領主様に問われて詐欺についての説明をすると、まるで私こそが詐欺師だというように詰問してきたのだ。

「転生者はそのような邪悪な考えをもつのか」

と言われた私が返す言葉を無くしたのは、仕方ないと思う。

そんな私にそいつは言った。

「図星か。お前のような邪な人間をやはり領主様方に近づけるべきではないな」

「ダドリー伯、口を慎みたまえ」

領主様がたしなめたが、ダドリーは止まらなかった。

「しかし、この娘の話したことは近頃起きていた事件とも重なる点が多いではありませんか」

「それは彼女が転生者だから、知識として知っていただけのことです。転生者協会へも、『さぎ』という異世界言語の存在は確認済みですし、この世界での犯罪が発生した時期と彼女が『さぎ』について話した時期の前後関係については、私が証言できます」

そう口を挟んだ若様に、ダドリーは言い含めるように話した。

「いいですか、若様。それはこの娘が潔白だという証拠にはなりません。それにたとえこれまでの件に無関係だとしても、そういう考え方ができるという時点で危険です。やはりこの娘は、野放しにするべきではないと、申し上げます」

あまりのことに私は目を白黒させるしかなかった。

この髭男は、私を疑っているだけでなく、もし無罪でも危険人物だと、そう言っているのだ。これでは若様が証言した協会への確認内容も、彼には意味を持たないということになる。

「ダドリー伯。貴殿の忠心は分かった。しかし、我が領の転生者は彼女以外にも存在する。彼等を皆捉えるというのかね」

「転生者にもいろいろおります。この娘のいた異世界と、その思想が危険なのです。…それに、何かで身を立てている者よりも寄る辺を持たぬ者の方が犯罪に走りやすいものです」

私はかあっと頬に血が上るのを感じた。

「それは彼女に失礼です。彼女は私が被害に遭う前に助けてくれた、言わば恩人なのですよ」

「それすら、若様を謀るための策かもしれないではありませんか」

何を言おうと信じる気のない髭男には、若様の言葉も、子どもの言い分かのように軽くあしらわれてしまう。

見かねた領主様が再び口を開いた。

「罪状もなく領民を拘束する気かな?そうなれば、転生者協会も黙ってはいまいよ」

「このまま連行すれば、問題にはなりますまい。娘は領主様の面前で不敬を働き、連行されるのです」

「そのようなことはなりませんよ。彼女のどこにそんな不敬がありましたか。むしろ、礼儀も言葉遣いも貴族の娘と遜色のないものでした」

領主様ご夫妻が庇ったので、ダドリーは忌々しげに私を睨んだ。成り行きを見守っていた私はその目に射抜かれて固まった。

切られる、と思った。

ダドリーの目は、少しでも落ち度があればそれを理由に切り捨ててやるのにという思いを雄弁に語っていた。

私は視線を皿に落とし、手の震えを必死でこらえた。

これは、何か言わなくては。このままでは私は何だか分からない理屈のまま疑われ続けることになる。

「私、わたし…」

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