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転生者のおめかし

「いってらっしゃーい!」

寝間着のショックが大きかったせいか、うっかりミラ姉の勧めるままに服を着て、気付けば私は馬車に乗せられていた。

馬車が動き出したとき、そのことに気付いてはっとしたけど、だからといって動いている馬車から飛び降りる運動神経も度胸もなく、店に着いたのによそ様の馬車に籠城する図太さもない。

もう一つついでに、あきらかに今着ている服の何十倍もしそうなドレスがショウウィンドウに飾られた店を前に踏みとどまりたい気持ちはいっぱいだったが、そのまま往来の人目にさらされる勇気もなかった。

あ、でもこのまま…

私が第三の手、走って逃げる、を思いついたとき、若様が言った。

「さあ、入ろう。ああ、手をかすべきか?」

それって、もし素直に入らないなら引っ張ってでも入るよという意味でしょうか。

本気で他意無く言ったのか、私を脅す意図があったのかは、その整った顔からは読み取れなかった。けれど、私が大いにおののいて固まったのは事実だ。

私の臆病者。

想像だけで降参してどうする。

このままじゃあ、あんたは絶対行けないお城に行くための外堀を埋められちゃうんだよ、と言い聞かせるのに、今この瞬間の恐れが優先する自分が憎らしい。

そうこうするうち、私は首を傾げた若様に軽く背を押され、非常に速やかにそのきらびやかな店へと足を踏み込んでいた。

「お待ちしておりました、マーカス様」

「やあ、今日はよろしく」

店主は美しい40がらみの女性で、うっとりするほど優雅なお辞儀をした。

彼女は私にも、優しく微笑んだ。

「ようこそおいで下さいました。お嬢様」

お嬢様とは誰ですか。

突っ込みたいが、もちろんここでもその勇気はないので、曖昧な笑みでごまかす。

店内には落ち着いた雰囲気の応接セットがあり、私はそこに座らされた。

ドレス屋さんというから、ハンガーに吊された洋服がずらっと並んでいるのを見て回るんだとおもっていたのに、お茶を出されたので驚いた。

おっかなびっくりそれを飲みながら、まさか若様が入る店を間違えたのだろうかと考える。

それからしばらくして、店主のマダムが従業員を従えて現れた。彼等は皆、たくさんの高そうな、布地を抱えていたので、やっぱりドレスのお店であっているらしいと理解する。

それにしても。

この布一反だけで、うちのA定食が何食食べられるだろう。大ぶりのカツとハンバーグに父ご自慢のチキンライス、おまけにサラダとコーヒーまでついた当店自慢のランチメニューは、肉体労働の男性陣からシェアして食べてデザートも、というお姉様方まで幅広い人気を誇る。

「こちらのお色など、お嬢様の可憐さを引き立たせると思いますわ」

現実逃避していた私は、目の前に広げられた淡い黄色の生地に、曖昧に微笑んだ。

「ええと…」

「いかがでしょう」

いかがかと言われれば、触るのも怖いです、が答えだ。

だってお値段を考えるだけで、身体が震えるんだ。

その上、これを買ってしまったら、確実に領主様に会いにお城へ行くことになる。

そう思えば、綺麗な布も恐ろしい以外の何物でもない。

気がつけば、今度はたくさんのドレスが広げられていた。私があまりに布に反応しないから、イメージが湧くようにとドレスを見せることにしたようだ。色も形もとりどりで、でもどれも私の今着ている服が何十着も買えそう。具体的な値段を聞くことは、怖すぎてできなかった。

何も言えずに俯いていると、珍しく大人しくしていた若様が首を傾げて言った。

「お前には注文がないのか?一応、母に女性には好みがあるものだからそれを優先するようにと命じられて来たのだが」

ああ、それで黙っていたんですね。さすが母親、息子のおしゃべりっぷりをよく分かっていらっしゃる。でも、ドレスだなんて着たこともない私には、好みなんて言いようがないんです。言えるのは、買いたくない、着たくない、行きたくないってことだけですよ。

しかし店主のマダムの前でそうは言えずに、私はまた黙って俯いた。

「もし何も意見がないのなら、完璧に私の趣味でドレスを仕立てることになるぞ。…まあ、それもいいか」

彼は、そうしてあろうことか、フリフリピンクのドレスに手を伸ばした。長くて意外に節だった指がそのドレスを掴もうとする。フリフリの、ふわっふわの真っピンクを。

「これなんか…」

私は遮って口を開いた。

「青がいいです!」

「まあ、さようでございますか。ほほほ」

マダムは優雅に笑い、私の前に青いドレスを広げてくれる。

「このピンクも良いと思うが」

不満げに若様が推してくるが、それを私が着たら残念な七五三だ。

「青で。あ、この色が良いです」

「ああ、それもいいな。でも、形はこのフリルがいい」

「フリルは無しがいいです!できれば、形もあまり広がっていない方が!」

「そうか?あまり地味すぎないか」

「いえ、むしろ地味でいいです」

「まあまあ、マーカス様。お嬢様はドレスに慣れていらっしゃらないのですもの、できるだけ歩きやすい形がよろしいのですわ。それに、フリルがなくてもいくらでも可愛らしく仕上げられますわ」

それからマダムは、いくつかの絵を書いて私に質問をした。

体型に合うドレスを買って帰るのだと思っていたが、どうやらこういうお店ではその人にあわせて仕立てる方が一般的らしい。オートクチュールというやつか。

それってさらにお高くつくのでは、と気付いてぞっとする。

「あの、あるものでも…」

と言ってみたのだが、今度はマダムまでもがにっこり笑ってこう言った。

「それでは、お嬢様の背丈に合うものだと、先程のピンクのフリルになりますわね。まあ、あちらは若様も気に入っていらしたから、それでもいいかしら」

「やっぱり、青で…」

きっと嘘だと思ったが、笑顔のマダムが怖かったので引き下がった。

確かに私の身長はあまり高くないから、ああいう子どもらしい…ぷりぷりしたものしかないと言われても、強くは出られないというのもある。

「大丈夫ですわ、お嬢様。こういうときは、遠慮せず殿方に甘える方が礼儀にかなうというものですから」

ふふふと笑ったマダムに、甘えられるような関係ではないことを熱烈に説明したい。

この出費は確かに若様の財布から出るものらしいが、後々精神的な苦痛で支払わなければならないものなのだ。

それから、かかとのある靴と、小ぶりの鞄と帽子の話が続いたが、頭が飽和状態だったのでよく覚えていない。

「お嬢様の好みをお聞かせいただけて、よろしゅうございましたわ」

最後に見送りに出たマダムに、期待していてくださいね、と微笑まれ、私は曖昧に笑うことしかできなかった。

馬車に乗り込んだ私は、ぐったりしていて一言も話したくなかった。

「さて、次は食事だな」

「え?」

「もう昼だし、今から行けば予約時間にちょうどいい」

「待って下さい、なぜ食事をしなくてはいけないのですか?」

もう、準備はすんだはずだ。てっきり家へ戻るのだと思っていた私は、驚いていた。

「なぜ?腹が減っていないのか?」

「いえ、減りましたけど、そうではなくて」

「どうしても嫌だというなら、テーブルマナーだけ教えることもできるが、どうせなら料理があった方が良くないか?」

「テーブルマナー?」

「そうだ。土曜は軽い食事をしながら話すことになっている」

「うそ…」

領主様ご夫妻と、若様を前に食事会?

そんなの、喉を通らないに決まっている。

「本当だ。うちの料理人はなかなか腕がいいぞ。…で、どうする?うちで空の皿を前にマナーだけ教えるのと、予約した店で食事をしながら教えるのと」

うちって、お城でしょ?

お城にいく準備のためにお城に行くわけないでしょうが。

「…どちらもなしではいけませんか」

「頼めばうちでも食事を準備してくれるとは思うが、あまり使用人に無理は言いたくない」

そういうことを言ったんではない。

それじゃあ外堀どころか突然本陣だ。この人は、分かっていて言っているのだろうか。それならどこかのレストランで食事をする方がまだましだ。

向かいの席に座った美形は眉を寄せて、2人分くらい何とかなるかな、などと呟いている。僅かに眉にかかった前髪は馬車の中でもきらきらしていて、どんより暗い私の気持ちを逆なでした。

しかし、このままだとこの話の通じない人は、御者に城へ戻ると言い出しかねない。

私は、せいぜい恨めしい目を送りながら、一番ましな選択肢を伝えた。

「分かりました。…予約なさったお店で、お食事します」

「そうか?分かった」

にこりと笑った若様の頬っぺたを、思いっきりつねって引っ張って不細工にしてやりたい。

私はその衝動を、俯いてスカートを握ってやり過ごした。

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