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_君にまたこいねがう  作者: みなたけ6
末 白い少女
35/37

35 階段

「……いち、に、さん。いち、に、さん」


 陸は神社の長い参道を上る。思い出にふけるように、だれかに会うための願かけのように、三段ずつ数えながら。

 眼線をあげると、朝露に憂う木々の隙間から木漏れ日が宝石のように輝いていた。眼を細めると、太陽の光がハシゴのように細長く伸びる。

 涼しげで心地よい。地元の者からは無間階段と呼ばれる急な石段も、成長した今では足腰の鍛錬に丁度いいぐらいだった。


 中間地点の趣のあるくすんだ朱色の鳥居を潜る。

 今陸の耳に届く声は、セミの鳴き声だけ。街中の喧騒から離れ、人気のない場所特有の、気が安らぐ静けさに包まれている。

 ……静けさに包まれている?


「うぬ? なんか騒がしくねえか?」


 境内に近づくにつれて声が大きくなる。セミではなく人の気配だ。


「ううん? そういえば下にいっぱい自転車あったよね。お祭りでもあるのかしら」

「あれ、聞いてませんか? 前の大雨の時に落雷が落ちたとかなんとかで、あの神社ブレイクしちまったそうなんすよ。それで商店街の人たちが集まって対策会議をするって」 

「え」


 紫織は眼をまん丸にして、足早に階段を上る。

 カタカナ語の部分がよくわからなかったが、陸もタダならぬ気配にその後を追った。

 麓から数えて三本目の鳥居を潜り、やっと境内に辿り着く。

 濡れた青葉が貼りつく泥混じりの石畳。その脇には水の止められて苔むした手水場。少し進んだところにセミの抜け殻がくっついたままの無人の社務所。その向こう側には、薄汚れて少々頼りない狛犬。――鳥居の冠木にある猫の彫り物のほうが、躍動感があった。 


 鳥居が他とは少し違うこと以外、そこは典型的な小さな無人の神社だった。それでも神社だけ古色蒼然として立派だったのに、その奥にあるはずの建物は……


「……そんな~、ひどい」

「……マジで完璧にブレイクしちまってるな」

「……“ブレイク”って壊れたって意味だったのか」


 本殿は無残な瓦礫の山と化していた。

 落雷で火災でも発生したのか、真っ黒な木片が哀愁とともに転がっている。

 古いながらも歴史のあった荘厳な建物は、もうどこにもなかった。

 現実から目を逸らすように、悠也が重々しい口調で陸へ問いかける。


「……陸くんや。一応聞いてやるけど、ブレイクをどういう意味だと思ってたんだ?」

「いや。だれがこんなボロ神社を買うんだろうって」

「はぁ? なんだよ、それ」

「もうっ。陸くん、夏休みは英語の勉強いっぱいしようね」


 ……Break をBlakeと陸は思い違いし、芸人やタレントなどが“急に人気が出た”の意味を“売れた”と解釈したために起こった勘違いであった。

 ややこしい。それがわかった紫織はすばらしい。


◆◇◆


「お。紫織ちゃんたちも神社の様子を見に来たのかい? ご覧の通りひどい有様だよ」


 陸たちに気づき、小太りな男性が気さくに手をあげる。肉屋の主人だ。 

 他にも古本屋の店主。和菓子屋のご隠居。酒屋の女将。八百屋の若大将などなど。腕を組んで難しい顔で話しこんでいる商店街の大人たちがいた。

 子供が秘密基地を造りたくなるぐらい大きなクヌギの木の下で、自分の店のことなどそっちのけで壊れた神社をどうするか議論している。

 話し合いは難航しているようで、肉屋の主人以外陸たちが来たことに気づいていない。


「おはようございます。あのう、この神社もしかしてこのままなくなっちゃうんですか?」


 三人を代表して紫織が、肉屋の主人に危惧することを訊ねる。


「いや、その心配はいらないよ。地元の有志も、みんな再建することには賛成なんだから」

「――そうなんですか。よかった」

「ああ。僕たちにとってもこの神社は思い出深い場所だからね。――けど問題はどうやってここまで機材を運ぶかなんだよねえ」

「こおれ。まさか神聖なお社に重機でも持ちこもうっていうのかい? 罰当たりだよ」

「そうは言ってもご隠居……。全部手作業となると時間もお金も――」


 和菓子屋のご隠居に叱られた肉屋の主人は、困った顔で長すぎる参道を見下ろした。

 確かに建て直すとしたら、どうやってこんな小高い丘の中腹まで必要な機材を運ぶかが問題だろう。

 

 大人たちとの話は紫織に委ね、陸と悠也は神社の焼け跡に近づいた。

 奇跡的に賽銭箱だけは焼け残っていた。 

 陸はおもむろに財布を取り出し、五円玉を投げ入れる。 

 チャリンという金属音ではなく、カコンという木の底にぶつかる貧相な音がした。 


 ……どちらにせよ、陸は久しぶりに聞いた音だ。

 久しぶりすぎてなにを願おうか迷ったが、とりあえずこの神社が元通りに直りますようにと、陸は手を合わせておいた。五円じゃ全然足りないだろうけど、気持ちの問題だ。


「陸が賽銭入れるなんて珍しいな。お前って神さまなんて信じてなかったはずだろ?」

「流石に今日は特別だ」


 秘密の遊び場がボロボロのままでは、陸も困る。それに――


「……そういえばここの神社の神さまってどんなヤツなんだ?」

「さあ? 商店街だからエビスさまみたいな商売繁盛の神さまじゃね? どっちにしろ雷に打たれるなんて、大したことないやつなんだろうけど」

「ううん? どうだろう。前に聞いた話だけど。昔、偉い祭司さんがお呪いに使ってた、国宝級の銅鏡が祀られてるだってさ。ここは神社の門前町として栄えたってわけね」


 ひょっこり戻ってきた紫織の説明に、陸の心臓が迫りあがる。


「どうきょうって、“鏡”のことだよな」


 モンゼンマチがなんなのか今イチわからなかったが、そんなことはどうでもよかった。

 あの白い少女と同じ発音のものがまつられている。 

 偶然だとしたら、それはできすぎだろうか? 

 ずっと昔。おぼろげな記憶を辿ると、なぜか陸はここでも彼女を見た憶えがあったのだ。泣きじゃくる幼い陸の前に彼女が現れた。そんな記憶が。 


“たくさんのものが得られるよう、泣いてないでがんばりなさい。

愛おしいものをなくさないよう、もっと強くありなさい。

――なにもせずに立ち止まっていては、辛いだけなんだから”


 母を失って泣いていた陸に、彼女はそう道を示してくれたはずなのだ。


「そうだよ。あと、奥社のほうではその祭司さんが飼っていた猫さんも“御先神(みさきがみ)”――守り神として崇められてるんだって」

「へえ、そうだったんすかぁ。全然知らなかったな。だからここの神社って鳥居に猫が彫られているんすね」

「わたしも知ったのはつい最近だけどね。タイムカプセルはたしかその辺りに埋めたはずだから、ついでにいってみましょうか?」

「うへぇ。まだ上るのか……」


 紫織の誘いに呻く悠也と異なり、陸は静かに頷いていた。 


◆◇◆


 土がむき出しでろくに整備されてない獣道のような参道をさらに上ること十数分。

 身体中から汗を垂らしながら、陸たちはこぢんまりとした社に辿り着いた。

セミの鳴き声さえも遠く、静謐で神秘的な雰囲気を醸しだしている。地元の者でも訪れることの少ないそこは、一種の聖域だった。


「そうだ。思い出した、思い出した。“恐き銀の猫見つめる先に財宝は眠る”だっけか」

「そういえばそんな暗号を作ったりもしたね」


 懐かしげに紫織と悠也は、鬱蒼と茂る鎮守の森を見渡す。 

 陸だけは、小さめの鳥居に視線が釘付けとなった。

 鳥居の上の冠木の部分に一匹のネコの彫像が彫られている。塗装が剥げ落ちているせいか、その色がどこかあの白い少女の髪の色に似ていたのだ。


「……かわいらしいネコさんって……まさかな」


 獲物を狙うような鋭い目つきのそれは、かわいげなんてこれっぽっちもない。

 ネコの像の下に、名前らしきものが彫られていた。 


―――月矛鏡美禰袴比売―――


「ぬぬ。つき、…かがみ、び……ひ、ばい? むずっ。なんだこら? ――なあ姉ちゃん、あの漢字って読むんだ?」

「んん? ええとね……。たぶん“つきほこのかがみのみねこひめ”かしら」


 難しい。舌を噛みそうな長い名前だ。御先神。人でも妖でもない――けれど心優しい神さま。それがきっと……


「二人ともなにやってるんだ? 早くトレジャーハントするぞ」

「おう。ちょっと待ってくれ。今行く」 


 陸はもう忘れないよう、片眼を眇めてその像を見つめた。目蓋の裏に今にも動き出しそうな精緻なネコの姿を写し取り、白い少女と重ねる。

 おもむろにポケットに忍ばせた紙――“ヒマワリ”に折った折り紙を供えて手を合わせた後、足踏みする悠也の元へ駆けていった。


 交代で地面をスコップ(紫織が準備よく用意していた)で掘り起こす。

 土が黒っぽく湿り気を含んでいたころ、石とは異なる澄んだ金属音が鳴った。 


「おっ!」

「ビンゴじゃね?」


 期待を胸に手で土を退けていくと、四角い金属製のクッキーの箱が出てきた。 タイムカプセルというには貧相なものだが、小学生が用意できるものとしては上出来だろう。

 お菓子箱についた土を丁寧に払いながら、紫織は懐かしげに微笑む。 


「わぁ、そうそう。これこれ~。どんなもの入れたんだっけ」 

「さあ。なんだったかな」 


 だからこそ、この胸の高鳴りとともに箱を開けてみるのだ。 


「――うぬ」 


 牛乳瓶の蓋。昔描いた絵。折り紙で作った手裏剣。ビー玉。花の冠。ドングリの首飾りなどなど。箱の中身は一見してガタクタばかりだった。 

 でも陸は、不思議とがっかりはしなかった。

 手にとってみると、懐かしさや様々な思い出がこみ上げてくる。 

 お金にして遊んだ牛乳瓶の蓋の中でも特に珍しい種類のもの。よく飛ぶお気に入りの手裏剣。プレゼントに作った花の冠や首飾り。

 子供の宝物。それはきっと本人にしかわからないが、かけがえのないものなのだ。


「わっかんねぇな。俺はあの頃はなにが大切でこんなもの埋めたんだよ? というかそもそもなんでタイムカプセルなんか埋めたんだろ?」


 ――訂正。本人さえ覚えていない場合がある。いや、この場合は――


「えぇ。覚えてないの? 悠也くんが親の都合で転校することになって、みんなで思い出を残そうってやったんじゃない」

「でも結局、あれって悠也が引っ越すんじゃなくて、従姉妹が引っ越してくるってだけの勘違いだったんだよな」

「そうそう。勘違いでよかったよね」

「でも、あははっ。あんときのおまえってば、今思い出しても傑作だよな。ベソかいて絶対忘れるんじゃないぞ、ってお別れ会の次の日に気まずそうに……」

「うわっ、うわぁぁあ!!? このっ、やっと忘れられた俺のダーククロニケルをよくも堀り起しやがったなっ!!」


 思い出の品を前に、昔話に花が咲く。 

 タイムカプセルは、埋めたものを掘り起こすのではなく、その時の思い出を掘り起こすことが楽しいのかもしれない。

 陸はそんなことを悠也の赤くなった顔を見て思うのだった。

 



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