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_君にまたこいねがう  作者: みなたけ6
結 謎のままの少女
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29 帰路

 鑑の助力により、陸はようやく紫織を取り戻すことができた。 

 魅耶が創ってくれた地上への出口を見つめ、陸は達成感に笑みをこぼす。  

 まるで底が見えない夜の海のように暗い穴。けれど、その先には地上の光が待っている。

 なぜなら、そこから吹く風は優しく――そして温かい。 


「よし。じゃあそろそろオレたちも帰ろうぜ」 


 これから遠足にでも出かけるように、陸は元気よく言った。  

 明日からは夏休み。また悠也とバカをやったり、部活に精を出したり、それから……今度こそ勉強をがんばったりと、また楽しい日々が待っている。その隣には、姉の紫織が笑顔でいてくれる。 

 そんな今まで当たり前だったことが、陸はただ嬉しかった。一度失いかけたからこそ、今度はしっかりと紫織を助けられて誇らしかった。 


 ――だから彼は忘れていた。 

 遠足とは家に着くまでが遠足だということを。


「まって。そのまえに……」

「ん?」

「――あのときは傘、貸してくれてありがとう。あなたにとっては些細なことだったかもしれないけど、その想いにわたしはたしかに救われた」 


 長い髪が地面にこするほど深く頭を下げて、鑑は紫織へお礼を述べた。  

 顔を上げた時に見えた顔は、陸にとってまったくの不意打ちだった。 

 童女のはにかみのように、とてもうれしそうに白い少女は口許を緩めていた。 自分に向けられたものではないのに、陸は思わずその顔に見とれてしまった。


「いえいえ、どういたしまして。かわいらしい猫さんが雨に濡れずに済んだんだもん」

「……。……ぬ? ネコさん?」 


 なぜそこで、かわいらしいなどという言葉が出てくるのだろう? たしかに今の鑑は正直かわいいなと陸も思ったが、傘は鑑が貸してもらったのではなかったか。


「……さまつなことだから、聞き流しなさい」 


 陸の探るような視線に、鑑はそっぽを向いて、黒のワンピースの裾を弄った。


「ぬぬん? なんだそら」


 鑑の無表情ぶりは父の慎治とタメをはれるが、そのつたない動作は、明らかになにか隠している。


「もう。女の子同士の話を問い糺しちゃめっだよ」

「ずるっ。オレが隠しごとしたら姉ちゃん怒るくせに」

「それは悪いことを隠すからだよ」 

「……ぬぅ(雨に濡れてたネコが鑑ん家のやつだったのかな? 鑑が動物飼ってるなんて、はげしく想像できねえけど)」


 紫織は意味深に笑うだけだったので、陸は鑑と姉の間になにがあったか知ることはできなかった。ただ、互いに尊重し合っているような心地よい想いがあることだけは、うかがい知ることができた。


「まあ。いっか」 

 

 仲がいいのなら、それでいい。

 紫織のどんなこともやさしく包みこむような柔和な笑顔を見て、陸は大切な人を守ることができたのだと、静かに実感したのだった。


 ……だから彼は忘れていた。 

 まだ我が家には辿りついていないということを。

 笑みを浮かべる姉が、なぜいつもいっしょの弟と離れ離れになったのかを。 


◆◇◆


 魅耶が用意してくれた帰り道は、古城の回廊のように果てしなく、暗いものだった。 

 入り口から数十メートル歩くともう足許がろくに見えず、そのまま足を踏み外して闇の底へ落ちそうな錯覚さえ、陸は感じた。


 その暗く頼りない道に、もう恐いものなどないと思っていた陸もさすがに不安になったとき、鑑が松明のように暖かな光を爪先から灯して周囲を照らしてくれた。

 魔法使いさまさまだ。これなら細く狭い道も肝試し気分で歩ける。 

 明かりに照らされた道は、凹凸の少ない緩やかな上り坂だった。坑道のような一本道で迷う心配もなく、闇穴道とは大違いだ。

 なんでも幽地道(ゆうちどう)という真ん中の位の黄泉路らしい。


「――でさ。悠也のやつがさ……」


 明るい道中では、身振り手振りを交えた陸の元気な話し声と、テンポよく相づちを打つ紫織の笑い声が絶えず、賑やかだった。 

 非日常な体験をしたからこそ、平凡な話が恋しかったのだろう。

 陸の話す内容は、彼の今学期の成績のことや、友人の悠也と喧嘩したこと、今日学校であったことに、そしてこれからの夏休みのことなどであった。

 ……葬儀のことについては、まだ触れないようにした。


 鑑はそんな仲睦まじい姉弟に遠慮してか、一歩後ろを歩いて、聞き手に回っていた。晴れやかなふたりの表情と異なり、平静な美貌が灯に白く浮かびあがっていた。  

 童話の中の姫君のように長く美しい髪が明かりを吸って神秘的に煌き、対照的に彼女の背後には暗い影を作る。

 不意に陸は立ち止まり、目頭を押さえた。


「あり?」 

「どうしたの?」

「いや……。なんか目にゴミが入っちまったみたいだ。姉ちゃん、なんか悲しいこと言ってくれねえか」

「んん? そうね。そういえば最近、陸くんがわたしと一緒にお風呂入ってくれないのが悲しいかな」


 陸の無茶ぶりにも、紫織はのんびりとマイペースで答える。 


「あり、そだっけ? じゃあ家に帰ったらいっしょに入ろ……って、ば、ば、ば、ばか。 ばっかじゃねえの。い、いきなりなに言いだすんだよ!? 前、もういっしょには入らないって決めたばっかじゃねえか」

「ぶう。けちんぼ。いいじゃない」


 母恋しい駄々っ子のようにごねる紫織だったが、一五歳になり、その体つきは一段と女性らしい豊満さが出てきていた。弟であろうと、陸も変に意識してしまう。 


「ばかっ、ダメに決まってるだろうっ!」 


 顔を真っ赤にして、陸は顔を逸らす。仲睦まじい姉弟愛も、気難しいお年ごろの問題には勝てないようだった。


「……ばか。わたしだってはずかしいのに、こんなときぐらい……」

「ぬ? こんなときって?」

「何でもないもん。もう陸くんなんて知らないんだから」 


 ぷくぅっと、焼けたお餅のように紫織は頬を膨らませて、先に行ってしまった。


「へ? なに怒ってるんだよ、そんなに急いだら危ないぜ。……って鑑までさり気なく距離開けんなよ! 中学生になってからはさすがに入ってねえって」

「へえ。中学生になるまで入ってたんだ。ふうん」


 妙に生やさしい、口許だけの笑みを鑑は浮かべた。一番知られてはならない相手に弱みを握られてしまったと、陸は思った。


「むぐっ。……ああ、でもゴミは取れたか」


 今は眼に光る心の汗だけが、陸の友達だった。


◆◇◆


 陸と紫織が姉弟漫才をしながら、彼らは出口を目指す。

 とても仲のよい姉弟だ。あの程度のことなら、すぐに仲直りできるのである。

 生温かくもよどんでいた空気が、風の流れとともに新鮮さを帯びてきた。 

 出口が近いのだろう。夏独特の蒸し暑さを肌で感じられるようになった。 

 長い間薄闇の中にいたため、陸は地上の自然の光が恋しかった。 

 おのずと、足取りも早くなる。だが――それを遮るものがあった。 


「きゃっ」 


 ごんっと、ぶつかる音。紫織がくぐもった悲鳴をあげ、チェックの黒傘を落とす。 


「どうした? だいじょうぶか、姉ちゃん」 

「ううぅ、いひゃい。なにかにぶつかったよ」


 紫織は、涙目になりながら赤くなった鼻をさする。

 

「ぶつかったって……なんもねえぞ。ったく、バンソウコウ出すから待ってろ」

「そんなはずないよ。だってほら、ここに変な壁みたいのが……」


 紫織がドアをノックする仕草をすると、なにもないはずの中空で硬質な音がした。 

 紫織が叩いた箇所に、アクリル板のような透明の壁ができるのだ。

 

「んなバカな。ど、どういうことだ? オレはなんともねえぞ」 


 陸が触れようとしても、なんの問題もなく素通りする。 

 その見えざる壁は、紫織だけをかたくなに拒んでいた。

 透明な境界が、陸と紫織を隔てる。


「鑑。オマエはこれ通れるか?」 


 これまで何度も窮地を救ってくれた存在に、陸は助けを求めるように視線を送った。

 陸の視線の先には、さきほどのはにかみが嘘のような、白い少女の冷たい面持ちがあった。透き通るような美貌の中、冷徹な知性を匂わせる紅い双眸だけが、彼女の爪に灯る光を吸って妖しく輝いている。 


「通れるわ。でも彼女は通れない。だってそれは生者と死者の世界を分かつ境界だもの」 


 鑑はこの不可思議な壁のことを、よく知っているようだった。

 しかし、これまでと違い救いの手が差し伸べられることはなかった。

 紫織を見捨てるように、陸を無視するように、鑑はふたりの間を素通りする。 

「陸。ここでお姉さんにお別れを言いなさい」

「……え?」  


 背を向けたまま、鑑は冷淡に言った。 

 はじめて鑑に名前を呼ばれたせいか、陸はすぐにはその言葉に反応できなかった。




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