28 審判
「――お尋ねしますが、ほんとになんのお咎めもないのですか?」
黙って話を聞いていた鑑が、とろりと静かに尋ねた。魅耶の下手な対応に怪訝そうだ。
この話し方の鑑なら、もう危険はないのだろうと陸はその話に耳を傾ける。
「んん。うちの獄卒長だって“座位”に送り還されただけで喰われたわけじゃないし。現世と幽世の境界に“抜け穴”開けてくれたことを含めて全部目をつむるさ。今回ばかりはこっちが全面的に悪いんだからね」
「そう……ですか」
「それこそ、坊主たちがここに乗り込んでこなかったら、嬢ちゃんには十分な謝罪の後、望み通りの来世を過ごさせてやろうって思ってたぐらいなんだ。……だから、後の判断はお姫さんの裁量に一任するよ。要望があれば、大抵の無茶な要求も呑んでやるさ」
魅耶はそう豪気に胸を叩いて、顰笑した。
薄い唇を噛んだ姿が、決死の覚悟を決めた落ち武者のようで、すさまじく恐ろしい。
せっかくの美人なのに笑顔が残念なのは本当に残念だと、陸は思わず苦笑した。
「……心づかい痛みいります。なら、地上への帰り道おねがいします」
「ううん? 帰り道? それにそれだけでいいのかい?」
「……とりあえずは」
「むむ?」
なにか含むところがある大人な会話に、陸は唸ってみて――さっぱりわからなかった。
他になにが必要なのだろう? 菓子折とか罰金みたいなものか。けどそれはちょっと違うよなと、陸は筋を通そうとする魅耶へ好感を持ちはじめていた。
魅耶が豪語した望み通りの来世を過ごさせる、という言葉に一瞬、陸は剣と魔法の異世界で活躍することを想像し、首を振った。
死にそうな眼に遭うより、まったりと紫織たちとの日々を楽しむほうがいい。今回の体験で平和が一番だと骨身に染みた。
「……ふーん。なら、ほいさ」
訳知り顔で頷く陸を尻目に、魅耶はつまらなげに手刀を下ろした。
一閃。たったそれだけで、空間ごと斬り裂かれる。
大気が湾曲し、亀裂が広がり、その先にあったテーブル状の岩山がステーキのように斬り裂かれて、坑道のような横穴が現れる。
魅耶のなにげない動作で、現実世界への扉が開かれたのだ。
どこまでも続く暗がりは、地上ではなくさらなる地底に繋がっていそうだった。
しかしそこから、久しく感じることのなかった温かい風が吹きこんでくる。
「――これだけでいいのかい?」
「……ええ」
「まったく。ちっとは話せると思ったけど、他の奴ら同様、お姫さんもお堅いねぇ。折角こうして天災特例されたもの……ま。いいか」
「?」
努めて最低限に受け答えする鑑に、魅耶はやり辛そうに髪の毛をガシガシした。
「えっと、本当にありがとうございます、魅耶さん。烈くんとのトラブルをうまく収めていただいて……」
「……帰り道を用意していただき、ありがとうございます」
行儀正しく一礼する紫織に習って、陸も魅耶に頭を下げた。
烈と闘ったことに悔いはなく、むしろ当然のことで謝る気などなかった。
だがまた鑑に腹を貫かれて血を捧げるのはきつかったので、出口を作ってくれたことには、素直にお礼を言うことにした。
「ははっ、なに言ってるんだい。こいつもいい薬になっただろうから、こちらのほうこそありがとうだよ」
「……い、痛いです。右大看守様」
げしげしと烈の頭を叩きながら、魅耶は笑う。やはりそれは、悪代官が悪巧みをするような、そこはかとなく不気味な笑みだった。
でもその声は温かく、地獄の住人のわりにはいいやつなのだろうと、陸は会って間もないのに不思議と信用することができるのだった。
◆◇◆
「ああでも坊主。帰る前に出しとくものは、ちゃんと出しといてくれ」
「出しとくもの?」
陸は首を傾げた。魅耶は着物の袖の下を振っている。
心づけを要求するような動作だが、顔つきは卑しくない。
すっと薄まった黒曜の眸は、嘘偽りをすべて見通すように透き通っていた。
「ズルはいかんよ。余所様の冥銭、持ってるだろ。坊主から他の女の匂いがする」
「えええっ? お、女?! り、陸くん。お姉ちゃんの知らない内に女の人からお金をもらうような子になっちゃったの?」
紫織が、貧血を起こしたように立ちくらむ。本日一番の驚きようだった。
「ぬぬ? ……途中で女の人に紙をもらったんですけど、オレまだ持ってるんすか? ショウキを祓うために使ったとかなんとかって言ってたけど……」
変な誤解をする紫織をなだめながら、陸は看取った女性のことを思い出す。
ぎこちなくポケットを探ってみると、黒いズボンから真っ黒焦げな紙が出てきた。
……渡されたときと違って、ボロボロになっている。
「ん。もしやとは思ったけど、こっちのこと、なんも知らない?」
「こっち? 地獄に来たのははじめてなんすけど……」
「そうじゃなくて――」
「あう~。あの、魅耶さん。陸くんが悪いわけじゃないんです。人からものをもらったらお礼を言いなさいって教えていた、わたしがいけないんです」
「ん。んむ。本当は他人の冥銭を持ってるだけでも駄目なんだけど、くすねたわけじゃないみたいだし……まあいいか」
低く頭を下げる紫織に気圧されながら、魅耶は黒焦げた冥銭を受け取る。
顔に近づけて眺めるのではなく、鼻をすんすんと鳴らしている。
匂いを嗅いでいるのだろうか? そのあたりは犬っぽいのかなと、陸は思った。
「ほう。黄泉路の瘴気や穢れから身を守るための霊験を、坊主を守護する強化呪符に変成したのか。そのうえお姫さんの仮の眷属にまでなったら、血も目覚めるか。いや、それよりも重要なのは意志力かな。こんな子供でもやはり隠者の系譜は侮れないねえ」
「……ぬ?」
どうやら鑑はもちろん、名も知らないあの女性にも、またもや助けられたらしい。
ひとりの力で烈に勝ったような気でいた自分が、陸は恥ずかしくなってきた。
「で。こっちは元々坊主のものだったものか。……およ? その年で既に十銭とは! 坊主はかなり善美の御霊を持ってるんだねえ」
「えっと……これですごいんすか? 女の人はもっと持ってましたよ」
目許を緩めて睨む(多分感心したのだろう)魅耶に、陸は自信がなく呟く。
「大切に思ってくれる人の数だけ、冥銭は多くなるのよ。だから子どもは人生が短かったぶん、必然的にもらえるお金も少なくなってしまう。そのせいで“賽の河原”で幼子が石積みする……なんて悪習があったりする」
「悪習、ねぇ。……まぁ今ここで議論しても仕様がないし、概ねそういうことさ。三途の川の渡し賃である六銭も持てない大人が山ほどいる中、坊主は立派なもんだよ」
「陸くん、すごくいい子ですから」
鑑の静かな説明に、魅耶がつけ加える。
小さな子どもを相手にするように頭をなで回されたが、陸は悪い気はしなかった。
我がことのように喜んでくれる紫織が、微笑ましかったからだ。
「ふうん……ってあり?! ちょ、ちょっ」
自分のことを大切に思ってくれている人。それがこの冥銭の額だけいる。
そのことがちょっぴり誇らしくて、陸は冥銭を握ったが、それが枯れ葉のように崩れてしまう。そのまま風に吹き飛んで、欠片さえ手元に残らなかった。
「あはは。ただの人間が強化呪符なんて一丁前にかけるから、呪詛対価で消えたんだな。一生をかけて培うものを一度の勝負で全部使った訳だけど、また一から貯め直せよ」
烈はしゃくに障る笑い方で、陸を小馬鹿にする。
……が。少ししてむっと顔を歪めた。どうやら顔の傷に障ったようだ。
「おい、鑑、これってそんな大事なもんだったのか? ……あ。さっきのやり取りってこのことか。どうしてオレの分のお金弁償するように言ってくれなかったんだよっ!」
「~♪」
「ええい、ムダにうまい口笛吹いて誤魔化すな」
鑑は歌だけでなく、口笛も聴き惚れるほど上手だった。
◆◇◆
「本当に、坊主たちのようなここを通るべきじゃない無辜のもんを巻き込んで悪かった。しっかり教育しとくから、できれば火車の事も嫌わないでやってくれ。――畏れられるのと嫌われるのでは違うからさ」
「はあ……」
恐れられるのと嫌われるとの違いがよくわからなかったので、陸は生返事をした。
というより相当大切なものを知らぬ間に使ってしまってて、気分がふさいでいた。
紫織など一円以上(百銭で一円になるので陸の十倍以上だ。魅耶が、久しぶりに個人で一円札持ってるの見たよと、感心するほどの大金らしい)持っていたのに、こういうところは妙に厳しいんだよなと、陸はふてくされる。
「――そういじけるなよ。冥銭を返さないのは、坊主のためでもあるんだよ」
「ぬ? なんでっすか?」
「死ぬまでお楽しみな冥銭の額が分かってしまうのは余り良い事とは言えないのさ。変な慢心は身を滅ぼしかねない。それこそ善行にこれで大丈夫、もうしなくていいなんてことはないんだし。三途の川を渡った後のこっわ~い裁判が待ってるんだからさ」
怪談話を語るような低い声音の魅耶の笑みは、それ自体がおばけよりも恐かった。でもそれは相手の将来を思いやったものだとわかり、陸には温かく感じられた。
「嘘つきは閻魔さまに舌を引っこ抜かれちゃうって話ですね」
「ひでっ。地味に痛そうだな、それ」
「……誰も楽しくてそんな事するわけじゃないさ。でも罪を裁くものがいなくなれば、人モノは大概楽な方を選んでしまう。縛られることのない本当の自由を与えられたら、すぐに堕落しちゃうからねぇ」
挙げ句の果てに、裸虫に訓戒を与えるはずの妖魔までこんな様じゃ困ったもんだよと、魅耶は烈の頭をぐりぐりした。……足が地面に埋まっていく。
地獄も現世と同じく、色々と大変なのだろう。
けど、悪人を裁く者まで悪者とは限らないというのかと、陸は地獄に対する認識を改めた。むしろ警官や判事が悪徳では、取り締まりようがない。
「さて、と。閻魔庁への報告はあたしがやっとくから、火車はとりあえず帰りな。心配して青くなってたぞ」
「っ、母様! も、申しわけありません。お、お願いします」
くるぶしまで沈んでいた烈の身体が、瞬間、赤い旋風となる。どこにそんな力が残っていたのかと思えるほどの、驚くべき速度だった。
暗いかげりのある顔で、魅耶が烈の頭に乗せていた手を握りしめた。
「あいつの母親。産後の肥立ちが余り良くなくてね」
「――え」
「長子としての使命感で、どうにかして活きのいい死体を手に入れて喰わせてやりたかったんだろうさ。悪食の火車にそんなの喰わせても余計駄目なことぐらい、分かっているはずなのにね……」
「……」
「――いや、すまない。他者が心に抱いた思いを勝手に知ったように言って若者を惑わすなんて、あたしも悪い妖魔さね。……およ?」
そのあいだに、烈が猛スピードで引き返してくる。
ハアハアと、烈は胸元を辛そうに抑えると、鼻血をすすって陸を睨んだ。
「おい、人間」
「――なんだ、猫妖怪?」
「おまえさんが死んだらその時は俺が責任持って運んでやるからありがたく思えよ。ぬけてるおまえの姉も、賽の河原で石積みしないでいいようしっかり送ってやる。あと、次は絶対負けないからな」
烈は矢継ぎ早に言って、返事を待たずにまた荒野を駆けていった。
その様子に魅耶は小さく笑った。ゾッとするほど綺麗な笑顔だった。
「本当に友の息子を殺さないでくれたこと、感謝するよ。……そろそろ坊主は居るべき場所に帰りな」
闇穴道での数奇な世間話もこれで終わり。
魅耶は、陸、紫織、そして最後に鑑をしばらく見つめたあと、後ろ姿で片手を挙げて薄闇の中へ溶けていった。お酒がよく似合いそうな、姐御のようにさっぱりした女性だった。
「けどどういう意味なんだ? オレは死んだら、また猫妖怪と戦うはめになるのか?」
「……。さあ? 若い妖魔の思考なんて、わたしにはわかりかねるわ」
「ううん? きっと閻魔さまの裁判が終わった後、順番待ちに関係なくすぐに運んでもらえるんだよ。よかったじゃない」
鑑の素っ気ない返事のあとに、紫織の嬉しそうな声がのんびりと響く。
「よかった……のか? たぶん運ぶだけで、行き先は天国とは限らねえと思うぞ」
「きっと行けるだけいいよ」
「……。そうね。少女の言うとおりなのかもしれないわ、ね」
「……ぬぅ。そうなの、か?」
捨て台詞を残して赤錆びた大地の果てに消えていく烈に、陸は眉間にしわを寄せた。
はた迷惑な妖怪だったが、陸の胸に怨みや憎しみは残らなかった。
悪ぶってはいても、性根があまり邪悪なものに感じなかったからかもしれない。
だからだろう。地獄の住人たちに気を取られて、陸は鑑のその顔を見逃していた。
本話の奇蹟
五行外 影操の理 体現式
影を触媒にした時空に干渉する別世界の理。空間跳躍。
これを詠唱なしの所作のみで行えると、一流の証とされる。
○魅耶
職業 地獄の右大看守 レベル????
クラス 闇の眷属 魔、仏
種族 地獄の番犬・特級
属性 羅睺
性格 豪胆(胆力+++、武力+、魅力-)
ステータス ※バグキャラ 天災特例を受けている
体力 ???(+2) 武力 ???
速力 ??? 技量 ???
知力 ??? 魅力 ??(+7)
胆力 ??? 呪力 ???
装備
武具 なし その身ひとつで、大量破壊兵器たり得る。
防具 黒絹の着物 防御+2 魅力+7
使用特殊技能
魔性(特) 神性(上) 隠密(上) 加減(上) 死の門番(上) 凄惨な笑顔(特)
魔法技能
魔導型変現法(特) 鬼道系練度・究 神道系練度・弐 陰陽道系練度・捌
聖道型変現法(中) 仏教系練度・伍 耶蘇教系練度× 回教系練度・弐




