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_君にまたこいねがう  作者: みなたけ6
転 不思議な少女
15/37

15 閑話・発端

この話は、本編とは別の日の出来事となります。

――十年ほど前――


「うそつき。うそつき。うそつき」


 そう小さなぼーやは、泣いていた。

 吹雪にさらされ、石畳に立ち尽くし、社の前で泣き喚いていた。

  

「やくそくしたのに。みんなでまた“しちごさん”いこって、いったのに……」


 愚かでちっぽけで弱々しく。だれよりも泣きじゃくっていた。


「たくさん“ぱんぱん”ってしたのに。なんでママいなくなっちゃの? ねえ。すごいやつなんでしょ! ぼくのおねがい、きいてよ!」


 何度も何度も本殿の鈴緒を揺らしていた。ジャラジャラと。鈴を鳴らされた。


「もうネネとけんかしないよ。パパのいうこともきくよ。ぐりんぴーすも、のこさずたべるよ。ちゃんといいこになるよ! だから、ママをかえしてよ、かみさまっ!」


 母への思慕の念を募らせて、そうぼーやは慟哭していた。

 ぽろぽろと、ビードロみたいに小さな眼から涙をこぼしていた。

 煩わしい。それ以外に思うことなどなかった。なのに――


「こんなところで泣いていたら風邪、ひくわよ」


 そうわたしは彼に話しかけていた。


◆◇◆


――昨日・七月二十三日――


 その日は昨日までの大雨が嘘のような、雲ひとつない青空が拡がっていた。

 水たまりも夏の陽射しにすぐに乾き、大雨の名残として河川が多少荒れている程度の、ごく平穏な暑い一日になるはずだった。あのときまでは。


 にこやかに談笑する一組の男女が、橋の上にさしかかる。 

 恋人というには初々しさがなく、全体の雰囲気がどことなく似通っていた。

 おそらく姉弟だろう。陸と紫織だった。 


「あら? なにか声がしなかった?」


 おっとりとした少女――紫織が小首を傾げ、耳をそばだてた。


「いや、川の音じゃねぇか? ……うわ、すげぇ荒れてんなぁ」 


 快活そうな少年――陸が橋の下を覗きこみ、眼を丸くした。

 普段は鏡面のように澄んでいる河川は褐色に濁り、白い荒波が立っていた。


「いいえ。やっぱり……ほら。あそこ!」


 紫織の指さす先――そこに茶色の毛玉のようなものが動いた。

 仔猫である。増水する河川の中州に、取り残されていたのだ。 

 大自然の暴力に怯えるように、小さく縮こまって鳴いていた。


「……あのバカ。どうしてあんなとこに?」

「うう。どうしよ~」

「よし。オレが助けてくるよ」

「ダメよ!? 危ないでしょう。だれか大人の人に連絡しないと」

「だいじょーぶだって。それに人を呼んでるうちにチビが流されちまうかもしれねえぞ」


 川の流れは荒々しく、中州の砂利を徐々に削っている。すでに畳一枚ほどの面積しか残っておらず、水しぶきが何度も仔猫にかかっている。

 紫織は逡巡したが、結局陸の指摘と猫の鳴き声に根負けしてしまった。

 

「本当にだいじょうぶ?」

「ああ。思ったより深くないみたいだ。これなら、ゆっくりいけばいけるよ」

 

 ズボンの裾をあげて、陸は慎重に河川へ足を踏みいれていく。

 ただ当たり前のことをしようとしただけだった。紫織に格好いいところを見せたいという見栄も多少はあったが、単純に仔猫を助けたかったのだ。それなのに――

 

「あともうチョイ。――うっし。もうだいじょうぶだぞ、チビ」

 

 陸はなんとか中州にたどり着き、そっと手を伸ばす。

 水に濡れ、脆弱に震える仔猫を抱き寄せようとする。

 そんな、心優しい少女と純真な少年の美談になるはずだった。


「――え?」


 仔猫に触れようとして、陸は違和感に手をとめる。

 嗤っている。恐怖ではなく狂喜で震えるように、仔猫の口端が不吉に吊りあがったように見えたのだ。


「マヌケ」 

 

 だれかが声。たしかにそうせせら嗤った。


「――えっ? うわっ?!」

「うそっ。陸くん――!!」 


 微笑ましかった光景は、悲劇へ転じる。

 突如中州が崩れ落ち、陸は濁流のなかへ放り出される。

 息ができない。どこを蹴っても足がつかず、強い力に引きずりこまれる。

 紫織の悲鳴が遠くで聞こえる。……セミの鳴き声が近くで聞こえる。



「――なん、で……姉、ちゃん……」


 ――陸が気づいたときには、すべてが終わっていた。 

 川辺に打ちあげられた紫織は、蒼白な顔のまま眼を開かない。

 頼りになる大人がいまさら駆け寄ってくる。 


 仔猫は一鳴きして、茫然自失の体で立ち尽くす陸から離れる。

 その鳴き声は、ねっとりと陰険なものだった。

 動かない紫織をせせら笑うように、茶色の毛玉は軽やかに河原を駈け去る。

 河原のぬかるみに映った仔猫の眸は、血のように不吉な朱い色をしていた。


 この発端となる水難事件(・・)のことを、陸はショックで忘れてしまっていた。



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