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_君にまたこいねがう  作者: みなたけ6
承 妖しい少女
10/37

10 代償

「それはそうと、少年。その格好なんのつもりかしら? 妙な荷物まで持って、行楽に出かけるわけじゃないのよ」


 陸の天然な言動に乱された主導権を握りなおすべく、鑑は彼の服装をたしなめた。

 上は白地のシャツ、下は黒のズボンと、陸は通夜のときと同じく学生服姿だった。そのうえ、水玉模様のトートバックを提げているため、今イチ緊張感にかける。


「色々準備してたら着替えるのが面倒だったんだよ。それに妙なものじゃなくて姉ちゃんの食べものだ。あの様子だと、昨日からなんも食べてなくて、腹減ってるだろうからな。後、ドジなとこあるから、絆創膏とか消毒薬とか救急セットも一通り持ってきた」

「へえ。そういうところは意外としっかりしてるの、ね。なら、背中のはなんなの?」


 鑑は感心したように眼を細めて、小首を傾げた。陸が背中に担ぐ細長い革袋は、黒地でも汚れの目立つ年季の入ったものだった。


「こっちは、虎鉄丸(こてつまる)――木刀だ。姉ちゃんに会いに地獄に行くなら、武器が必要になるかもしれないだろ」


 長年愛用する紫黒檀の木刀――虎鉄丸を陸は革袋から抜き取った。そのまましっかりと正眼に構えて、踏みこむ。

 木刀を暗闇へ振るう。小手打ち、面打ち、胴打ち。そしてわずかに木刀を引き、突きを繰り出す。一連の動きは小さくまとまっていて、なおかつ鋭かった。


 陸は家の隣に大きな道場を持つ祖父に、小学生になる前から剣を習っていたため、腕っ節には自信があった。

 剣道をはじめる前も、木の枝や、パン切りナイフ、こどもの日に飾る鎧武者の模造刀と、身近なあらゆる棒状なものを振り回してきたのだ。なんとかは長いものが好きである。


「――多少の心得あるようだけど、そんなのひとりで国転覆させるようなものよ。そもそも地獄には戦しかけるのではなくて、潜入するのだから余計なもめごと厳禁よ」

「ぬ。念のためだって、念のため。それにいまから三年後には、国どころか海をもひっくり返す“秘剣・弐の太刀”を編み出してる予定なんだ。地獄なんて虎鉄丸一本で余裕だぜ」


 母親の役も務めようとする紫織を守ろうと手助けしてきたため、陸は言動に似合わずしっかりしていた。が、そんな陸もしょせんは夢多き中学一年生だ。

 魔法は無理でも、剣の道に不可能はない。自分に隠された力がいつか鍛錬で目覚めると根拠もなく信じているあたり、一年早い発病である。

 

「あら。それは頼もしい救世主(モーゼ)ね」

 

 鑑は薄い笑みを口許だけで浮かべ、耳にかかった髪を指で掻きあげた。黒銀の長髪が、銀水晶のように煌めく。

そ の仕草に陸が眼を奪われているうちに、彼女はさりげなく傘を閉じて地面へ置いた。そうすることで、傘より重いものは持てそうに見えない繊手を自由にする。  


 一足。彼女は屈んだ体勢から、陸の眼前へ馳せた。

 氷上を滑るような動きに、まったく反応できない。木刀を構えていたのに、陸がここまで無造作に接近を許したのは、はじめてのことだった。

 顔にかかる艶めかしい吐息に、陸の心臓の鼓動が早まる。


「――ぬえ? か、鑑?」


 月光に淡い燐を放つ白い肌。影を差す長いまつ毛。瑞々しい桜色の唇。彼女の端麗な顔立ちが、眼と鼻の先にある。

 精巧なガラス細工のような手が、すっと陸の胸元へ添えられる。

 さらに早まる脈動。それが胸のときめきなどでないと気づいたときには、遅かった。


「では救世主さん。人が決して破ってはいけない禁忌。さもしい生者を侮辱し、潔い死者を冒涜する――生死の理を覆す代償を此処に支払ってもらいます」 

 

 紅の眸が、血に濡れた剱のように冷徹に光る。

 陸は別人のような鑑になにか言おうとした。畏れからではない。努めて無表情を装う彼女の淋しそうな眼に、ただ一言もの申したかった。

 だが、彼の口から出たのは、鮮やかな赤色だった。


「……なん、で?」


 真っ赤な血が、陸の口からあふれ出す。

 理由がわからないまま彼の握力がなくなり、虎鉄丸を落とす。 

 腹が燃えるように熱い。陸は激痛の原因を突きとめようと視線を落とし、がく然と眼を見開いた。 

 

 たおやかな細腕。陸の身体と同化している。

 真っ赤な血が白い肌を伝い、彼女を妖しく染めあげる。

 彼女の掌底によって、陸の腹が型抜きされた生地のようにあっさりと貫かれていたのだ。


「――おま、、なに、を……」

「君の望みは、もう一度姉に逢うことなんでしょう?」


 婉然と、朱に笑む白い少女。おぞましいほど美しい、口許だけの哀しげな笑み。

 腕が抜き取られ、陸の腹から違うもののように血が噴き出す。

 くずおれる。血で喉がつまり、四肢に力が入らない。熱いのか寒いのかわからない。ただ、きもちわるかった。

 陸の視界が眩む。かすんでいく視界の中、木の下の花束だけが鮮やかだった。

 たくさんの花。それはここで流された紫織のために捧げられたお供え物だった。 


(――ああ。そういうことだったのか)


 そこで陸は気づく。姉に会わせてあげるというのは、死ぬということだったのだ。

 生きたまま紫織に会えるなんて、そんな都合のいい話、あるはずがない。 

でも、それも悪くないかもしれない。 

 なにかが、ふわりと自分の身体に触れるのを陸は感じた。優しげで心地よく、それでいてひやりと冷たい。


 これが死の感触なのか。心地よい喪失感に身を委ね、陸は目蓋を落とした。 

 陸の意識は闇へ逆しまに堕ちていく。闇よりも暗い深淵の底へ沈んでいく。 

ふと、だれかの“俺を一人にしないでくれ”という言葉が、陸の脳裏に過ぎったが、すべては暗黒に呑まれていった。


◆◇◆


――

――――

――――――


「ほら、少年。いつまでも寝てないで」


 ――刹那か永遠か。どれほどの時間が経ったのか。 

 不意に、闇に沈んだ陸の意識を呼び戻す声がした。


「早くおきないと……つぎは左目もらうわよ」


 とろりと美しいが、舌足らずで感情の起伏が乏しい声。 

 物騒なことを声色ひとつ変えずに言うのは、間違いなく鑑だった。  


「……ふざけん、な」

 

 目蓋が凍りついたように重い。何度か意識して瞬きして、やっと焦点があう。

まず陸が見たのは、自分の腹部だった。

 白いシャツが破れ、どす黒い血でアップリケのようにべったり塞がっている。しかし、肝心の痛みがない。

 陸が恐る恐る服をまくってみると、素肌があるだけで傷は跡さえなかった。


「あり? どうなってるんだ」


 はたして自分は腹を貫かれたのか?  

 寝起きのように霞がかかる陸の頭では、うまく状況が整理できない。困惑気味に視線をさ迷わせた陸は、鑑の姿を見て口をへの字に曲げた。


 まぶまぶと、鑑はおにぎりと食べていた。ちょこんと岩に腰かけて、優雅に水筒のお茶まで嗜んでいる。陸がトートバックに入れてきたものである。

 これ以上ないほど、鑑は夜の河原でくつろいでいた。まったりした顔は、陸の腹を貫いたことなど些事にも思っていない様子である。


「へえ、これはマグロの油づけにしょうゆをあえたもの? あむ。近ごろのって、いろんな具はいってるのね。けど邪道だわ。塩のが一番なのに……」

「おい、なに勝手に食ってやがるんだっ! 姉ちゃんのだって言っただろ」

「水ぐらいならいいけど、ほかの食べものは没収よ。いまから行くところに、においの強い死骸(たべもの)なんて持ちこんだら、どうなるかわからないもの」

「行くってどこに……」


 荒々しく言いかけ、陸は鑑の視線の先のものに息を呑んだ。

 月明かりだけが光源の夜の河原で、木の根元が不思議な光を放っている。

 オーロラのように揺らめき、地面ではなく西部劇で見るような不毛な土地を映している。それは陸が先ほどテレビで見た光景にちょうど色をつけたものだった。


「すげえ。こんなのマジで魔法じゃねえか」


 川辺にできた不思議な穴の中心には、一本のカキの木。枯れた枝木の影を静かに伸ばし、不気味な存在感を放っている。 

 ふと陸は、家のカキの木に登って紫織に叱られたときのことを思い出す。 


“――柿の木に登ったらめっだよ。落っこちたら三年しか生きられなくなっちゃうんだよ。それに木の根っこはあの世に繋がってるんだからね――


 そんなの、折れやすいカキの木に登らせないための作り話だと思っていた。


「驚くのはあと。穴が閉じるまえに、君の姉探しにいくわよ」

「なっ。ほんとに。ほんとに姉ちゃんに会わせてくれるのか、鑑」


 この川辺で溺れ死んだ紫織に会いにいく。

 改めて言われたことで、陸はすがるように身体を震わす。それに対して鑑はぼんやりと眠たげな眼を眸すら動かさずに、澄んだ声を返した。


「当然でしょう。言葉には、霊的な力が“言霊(ことだま)”として宿っているのよ。わたしは人みたいに約束ごと偽って、命枯らすようなまねしたくないわ」

「……そっか。ありがとう、鑑」


 難しいことはわからなかったが、陸はしっかりと鑑へ頭を下げた。だれかに助けてもらったら、ちゃんとお礼を言いなさいという紫織の教えどおり。


「……。これは契約なのだから、礼いらないわ」


 照れ隠しか。鑑は素っ気なく言うも、人差し指に毛先を絡めてくるくる弄った。顔の表情がわかりにくいぶん、ちょっとした人間味のある仕草に安心を取り戻す。 

 これから紫織を迎えにいく仲間なんだ、と陸は自分に言い聞かせて腹をさすった。


「よし」


 落とした虎鉄丸を革袋にしまい、水筒と救急セットだけになったトートバックを大事に握りしめ(炊飯器に残ったご飯を全部おにぎりにしたのに、鑑は相当お腹が空いていたようだ。家でも金目のものというより、なにか食べるものを探していたのだろうか?)、陸は前を見据える。視線の先には冷たい風が吹きあげてくる地獄へ通じる穴。

 この先に紫織がいる。会って抱きしめる。その笑顔に触れる。もう手を放したりしない。いっしょに家に帰るんだ。

 強く口唇を結び、陸は決意を新たにする。

 けれど地獄に潜入する前に、ひとつ聞いておきたいことがあった。


「でも、鑑? おまえって、マジで何者なんだ?」


 楽観的で大抵のことでは動じない陸でも、さすがに鑑の素性を不審に思った。

 はっとする美貌を誇り、ぞっとする気配を放ち、不思議な力を持っている。

 そしてなにより、彼女はどうして自分のことを助けてくれるのだろうか?

 紫織に借りた傘を返したいから。本当にただそれだけの恩義のために?


「ぱーね。女の秘めごと知りたがるなんて、男としてなってなくてよ」


 訝しむ陸の視線を遮るように、鑑は紫織の傘を差して質問をはぐらかす。


「――謎とは、謎のままぞよき」


 古風に、謎とは謎のままがいい、とつぶやいた彼女の表情は、傘の影に隠れて陸には窺うことはできなかった。




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