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第2話 『贖罪の対価』

侵攻側について、少しだけ紹介してみました。怪しい爺とか部隊の細部についてはおいおいと。



〈帝國〉本領軍 ビェーダ演習場

2012年 9月11日(隠岐侵攻10日前) 16時23分(日本時間)



 この部屋はジメジメとした湿気で満ちている。このような部屋に長くいたら,うら若き少女ですらあっという間に腐り果ててしまうだろう。〈帝國〉本領軍実験部隊〈ラズドニク〉指揮官、ルスラン・ディ・シュクリャーロフ男爵は、辟易した気分が顔に出ぬよう苦労して表情を消した。

 実際のところ、石造りの室内は快適な環境に整えられている。部屋の主である〈帝國〉本領軍法兵(憲兵)将軍、ジェミヤン・ディ・マトヴィエ伯爵は汗ひとつかいていない。以前はこの地を治める領主の別宅として使われていたという城館は、現在〈帝國〉軍の司令部として利用されている。執務室の重厚な机の向こうからこちらをねめつけるマトヴィエ伯爵と、左右に控える法兵将校たちの瞳には、一片の好意も含まれてはいなかった。


「不満げだな、シュクリャーロフ男爵?」


 丁寧に撫でつけられた銀髪、秀でた額の下に配された切れ長の瞳に剣呑な光を湛えたマトヴィエ伯爵は、右眼窩にかけたモノクルの位置を直しながら冷たく言い放った。

 何だ、ごまかせていないじゃないか。

 シュクリャーロフはそれならばと顔面の緊張を緩めた。途端に、冷笑が端正な顔に浮かんだ。本領人にしては浅黒い肌、やや目尻の下がった瞳とすらりと通った鼻筋、瑞々しい唇を持つ彼は、美男子の範疇に有るのだが、どこか投げやりな雰囲気がそれを打ち消している。制服の着こなしがどことなくだらしないのもそれを補強していた。


「不満も不満、大不満ですよ、伯爵閣下。なぜ、俺の部下が首をはねられねばならんのです」

「罪を犯したからだ」

「は! 法兵のお考えになる『罪』というやつは、どうやら普通とは大分異なるようだ」

「貴様! 将軍閣下になんという言いぐさだッ!」

 嫌悪を隠さないシュクリャーロフの口調に、周囲に立つ将校がいきり立った。だが、当のマトヴィエ伯爵は顔色一つ変えず、左手で部下を制した。

「貴公が罪に問われているのではない、男爵。速やかに罪を犯した者を処分すれば、貴公も〈ラズドニク〉も今まで通りだと言っている」

 その、冷静だが断固たる言葉に、シュクリャーロフは内心焦りを覚えた。この鉄面皮、乗ってきやがらん。どうする……。



 罪に問われているのは、彼──ルスラン・ディ・シュクリャーロフ男爵が率いる兵科実験部隊〈ラズドニク〉の所属兵たちである。

 事態は単純だが、厄介であった。

 ここビェーダ演習場で、連日竜騎兵・ヘルハウンド兵・剣歯虎兵・トロール攻城兵・甲虫兵等々、新兵科の運用試験を繰り返していた彼の部下が、非番時に繰り出した酒場の帰りに夜道で地元の女たちを襲う賊を発見したのがことの始まりである。

 平素から、民を襲っては財貨を奪い、人々を殺す賊が出没すると聞いていたベリエフ伍長と兵たちは、すぐさま駆けつけ、これを追い払った。ベリエフたちは逃げる賊を追尾し、そのアジトを発見する。ベリエフは蟲笛で甲虫を呼び寄せ、兵と共に果敢にもアジトに突入した。

 激しく抵抗した賊は、甲虫を見て狼狽した。その挙句、一人が燭台を倒しアジトはあっという間に炎に包まれた。ベリエフたちは脱出したが、賊は全員焼死。周辺の民草は恐怖から解放された。


 問題は、その賊徒の中に近郊有力貴族の子弟が多く含まれていたことだった。


 当然、法の支配が建前の〈帝國〉である。地方長官(当然貴族である)と民警は、賊徒を身元不明で処理し、表向きはベリエフたちを激賞した。同じ頃、複数の城館でひっそりと葬儀が営まれた。

 貴族たちは裏で軍に手を回した。息子たちの不始末は明らかにできる話ではないが、だからといって命を奪ったベリエフたちを生かしておくことはできなかったのだろう。


『軍資材たる甲虫の無断使用。並びに部隊からの逃亡』


 シュクリャーロフ男爵の下に届けられた法兵司令部からの通達は『ベリエフ伍長以下5名の死罪』。軍司令部へ提出されたベリエフたちの『外出申請』はいつの間にか消え失せていた。普通ならばせいぜい『脱柵』止まりの規則違反が、不可視の力により飛行蟲の気嚢ほども膨らまされていた。



「部下の罪は、指揮官である俺に責任がある。処分するならばまず、俺でしょうが!」

 シュクリャーロフは己の胸を叩いた。死罪だと? 冗談じゃねぇ。

「貴公に罪はない。処分は兵に下される」

「ふざけるな!」

「いくら無礼な口をきこうとも、貴公が罪の一部をかぶることなどできはしないのだよ、シュクリャーロフ男爵」

 マトヴィエの目は、すべてを見抜いていると言わんばかりだった。このままでは部下の処断は避けられない。いっそ禁じ手を……シュクリャーロフが思い至ったその時、マトヴィエが表情を変えず言った。


「ところで、わが〈帝國〉軍は軍功をもってその罪を贖うことを認めている。私もその機会を貴公の部下に与えることにやぶさかではない。貴公も同意見だと思うのだが」

「俺たちを、どこで、何と戦わせようというのです?」シュクリャーロフは、どうせろくな話ではないだろうと思った。


「それについては、彼に聞きたまえ」


 ほれみろ、最低だ。魔女の婆さんの呪いだ。俺には少しは手加減してくれてもいいのに。


 マトヴィエ伯爵が視線を向けた先──部屋の片隅から亡霊が浮かび上がるかのように進み出た老人を見たシュクリャーロフは、そもそも仕組まれた話だったのではないかと疑った。



「フォッフォッフォ。御機嫌ようシュクリャーロフ男爵。本領軍付魔導師ガースパロと申す。この老いぼれに力をお貸し下さりますかな」





 ガースパロに誘われてシュクリャーロフ男爵が退出したのを見計らって、法兵将校たちが口々に罵った。

「何と無礼な男だ。たかが独立部隊の長風情が、マトヴィエ閣下にあの口の聞き様」

「抗命罪に問うことも可能だったのでは?」

「部下共々葬ってやればよかったのだ。あやつも部下の罪をかぶることで、部下の減刑を狙っていた様だからな」

 その中で、独りだけ落ち着いた顔つきの将校がいた。法科参謀であるその将校は、同僚たちをたしなめた。


「そりゃあ無理だ。あいつの父親が誰か知っているのか?」

「知らん。知るもんか」

「ファラレーエ元帥閣下だ」太古に禁じられた邪神の名を唱えるかのように、法科参謀は言った。さっきまで口々に罵っていた将校たちの顔が真っ青になる。

「〈帝國〉近衛軍司令官閣下の御子息だと?」

「バカな。そんな人物がどうしてあんな寄せ集め部隊の指揮官なぞ……」

 滑稽なことに、シュクリャーロフがその場にいないにもかかわらず、呼び方が丁寧になっている。怯えた顔の者もいる。

 動揺する部下たちを冷ややかに見上げたマトヴィエ伯爵は、静かに立ち上がると窓辺に立ち、カーテンを少し開いた。

「分相応だ」マトヴィエは言った。

 二階の窓から見下ろすと、遠ざかるシュクリャーロフの姿が見えた。

「奴は、祝福されぬ子なのだよ。部隊と共に日陰者の運命を背負っている」


 営庭に9月の爽やかな風が吹いた。ボサボサに伸ばしたシュクリャーロフの髪が風に煽られた。

 露わになった彼の耳は、常人と違い笹穂のように尖っていた。


 


水若酢神社付近 国道485号線上 隠岐の島町

2012年 9月21日 18時16分



「来ました」

「よし、良く狙えよ。大事に撃て」

 国道上に横向で停車したパトカーを盾に、有吉巡査と近賀巡査長は拳銃を構えた。震える手を押さえ込み発砲する。日没を迎え分単位で暗くなる周囲の山々に、乾いた音が木霊した。

 背後では悲鳴を上げて町民が逃げまどっている。路肩に突っ込んだバスが白煙を立ち上らせ、額から血を流した初老の男性がよろよろと彷徨っている。


 発砲。ニューナンブの銃口が煌めく。二十メートル先で、腰の曲がった小人がひっくり返った。だが、似たような姿のものたちはあとからあとから湧いて出るようだった。

「お巡りさん! どうすればいい?」 

 駆けつけてきた消防団員が大声で怒鳴った。有吉はそれどころではない。五発発砲し終えたことに気付かず、カチカチと引き金を引く。

「軽トラに乗せられるだけ乗せて五箇中まで逃げろ! 早く! 女子供らぁ残すなよ」

 先輩の近賀巡査長が薬莢を地面に捨てながら叫んだ。消防団員は壊れたロボットのようにかくかくとうなずくと、転んで泣いている子供を拾い上げ軽トラへ走っていく。

『町民のみなさんは、最寄りの避難場所に避難して下さい。繰り返します──』

 防災無線がスピーカーから割れた音を響かせる。辺りは大混乱だ。


 パトカーに先導され町民を乗せたバスは、島の北部にある水若酢神社付近で襲撃を受けた。避難民でごった返し渋滞する国道上に突如複数の矢が打ち込まれたのだ。

 バスはハンドル操作を誤り、路肩に突っ込んだ。有吉と近賀はパトカーを降り、東から迫る謎の集団に対し警告を発した。しかし、返ってきたのは矢の雨だった。


「近賀先輩。弾が……」

「だよなぁ」

 周囲を逃げ惑う町民の多くは、消防団員が軽トラや自家用車に乗せて五箇中学校方面へ脱出を開始している。あと、10分ほど稼がにゃならん。近賀は腹をくくった。

「有吉、パトカーに乗れ」

「へ? 逃げるんですか? まだ、町民が」

「いいから、乗れ」

 訝しげな有吉巡査を無理やりパトカーに乗せると、近賀巡査長も運転席に滑り込んだ。

「じゃ、行くか」


 二人を乗せたパトカーはタイヤを鳴らしながら急発進すると、ぞろぞろと集まる不審者の群れに向けて、猛スピードで突っ込んでいった。



 9月21日夕刻

 隠岐の島町長が詰める町災害対策本部には、五箇、布施、中村といった島北部から東部に至る各地区から悲鳴のような報告と救援要請がもたらされていた。そのいずれもが正体不明の集団に襲われているという内容である。中条、五箇、中といった駐在所に配置された警察官や、パトカーやバスで住民の避難誘導に向かった警察官たちは必死の活動を実施しているが、事態は既に町が対処できるレベルを超えている。

 3ヶ月前に舞鶴、綾部、福知山の京都北部に位置する地方都市を襲った惨禍は、各地の自治体警察の人員と装備の拡充をもたらしてはいたものの、隠岐の島警察署は数百に上るであろう集団を押しとどめる能力は有していなかった。

 もはや、あの『北近畿騒乱』と同様の事態が進行していることを疑う者は、少なくとも行政・治安関係者には存在しない。

 町長は住民を可能な限り避難させるよう警察及び消防に指示するとともに、島根県知事に救援要請を発した。これを受けて、県知事は政府に防衛出動を要請、政府も速やかにこれに呼応した。


 太陽は既に西の水平線に没し、島後の山並みは暗闇に包まれ始めている。一部の地区では停電が継続し、また別の地区では火災による赤い炎が周囲を照らしていた。

 天候は晴れ。ただし9月22日の夜半からは接近する台風17号の影響により風雨が強まるだろう。

 

当然のことながら、この物語はフィクションですので実際のあらゆる事柄と関係ありません。

次はしばらく時間が空くかと思います。

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