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第1話 『接触』

第1話です。

本格的な戦闘はまだまだ先になるかもしれません。よろしくお付き合いください。



国道485号線上  隠岐の島町

2012年 9月21日 13時26分



 国道485号線は、島後を南北に縦断する基幹道路である。西郷港から北上し、山中を抜けて島の北東部布施港へと続く。

 数日前から島の上空に広がっていた雨雲は東へと抜け、空はつかの間の青さを取り戻している。国道の両側は木々も地面もしっかりと雨水を吸い込み、濡れた匂いを振りまいていた。

 そんなのどかな景色の中に、所々で痛々しい台風の爪跡が残されていた。昨夜からの暴風雨に耐えかねて倒れた樹木が送電線に接触した結果、島の北部地域で一時的な停電が発生していたのだった。


 島民の生活を支える重要な幹線道路上を、1台のマイクロバスが北へ向かっている。車体の側面には温泉施設の名前。普段は家々を巡りながら利用者を送迎する業務に従事する中古のバスだ。現在は避難する住民と誘導に当たる町職員、そして警察官を乗せていた。

「田中さんの家、大丈夫だろうか」

 隠岐の島警察署の警察官、澤明彦さわあきひこ巡査が心配そうに言った。出身は雲南市、独身の23才。穏やかな人柄で島民の受けはなかなかだ。のんびりとした島の風土にも親近感を覚えている。

「電話は呼び出すんだけどねぇ。あの人奥さんに先立たれて一人だから心配だわ。現役の時はシャキシャキした人だったけど年だしなぁ」

 これに応えたのは、町職員の川島義男かわしまよしおだ。町民課に勤める川島は、土木課や総務課が大忙しであることから住民の避難誘導業務に駆り出されていた。妻と中学生の息子は西郷に住んでいる。彼は今朝から連絡の取れない田中老人の下で働いた事もあり、気遣わしげな表情で前方を見ている。


「田中さん、どげしちゅうだらぁか」

「寝ちょるじゃないか」

「ほんじゃらあか?」

 後部座席から聞こえるのは途中拾ったお年寄りたちの声である。普段着に鞄や風呂敷包みを抱えた老人たちは、口々に連絡のとれない温泉仲間を心配していた。

 そうこうしているうちに、山裾にぽつんと立つ田中老人の自宅が見えてきた。家は無事のようだ。澤は土砂崩れが起きていないことに安堵したが、何故電話に出ないのだろう? という思いを強くする。


 バスは国道を外れ田中老人の家へとつながる脇道に乗り入れた。玄関の戸は閉まっている。澤と川島は運転手にバスを転回しておくよう告げると、母屋へと歩みを進めた。

「静かだな……」川島が言った。家の左手にある小さな菜園にも、右手の納屋にも人気が無い。二人が砂利を踏みしめる足音だけが辺りに響いている。おかしい。澤は不審に思った。どうにも静か過ぎた。

「おーい、田中さーん! いらっしゃいますかぁ?」

 不安を打ち消すように大声で呼びかける。返事は無い。風が無いせいで、蒸し暑い。川島が玄関の戸に手をかけた。

「鍵が掛かってる」ガタガタと揺らしたが開くそぶりは無かった。チャイムを鳴らすが、屋内はしーんとしたままだ。


「お巡りさん、どうする?」表情を曇らせた川島が言った。田中老人に何かあった可能性が澤の脳裏をよぎった。

「裏手に回ってみましょう」額に吹き出し始めた汗を拭いながら、澤は川島をうながした。

 二人は家の右手側を回り裏手に向けて歩いた。窓はしっかりと締め切られていて、破損した形跡は無い。庭には風で飛んできたと思われる木の枝やゴミが散乱していたが、それだけだ。

「鶏小屋が壊れている……?」

 裏手に回ると、トタンと金網で作られた小さな鶏小屋があった。扉が傾いでいる。鶏は一羽もいなかった。ここでも、静寂が辺りを支配している。家に目を向けると勝手口が開いていた。


 なんだか嫌な雰囲気だな……。


「お巡りさん! 血だ! ありゃ、血だよな!?」


 澤の予感は的中した。喚く川島の指差した方向には、森へと続く小径の上にぶちまけられた赤黒い痕跡があった。何かを引きずったような痕跡が森の奥へと続いている。 

 まさか、田中さんが!? 背筋が寒くなるのを感じた。自然と右手が腰の拳銃に伸びる。澤巡査は引き寄せられるかのように森へ向けて走り出した。

 だが、澤は血痕にたどり着けなかった。右足が何かに引っかかる。勢いの付いた上半身が体勢を崩し、彼は無様に転倒した。クソッ、何だってんだ? 鉈? 何でこんなところに。

 彼は草むらに紛れるように地面に突き立っていた鉈につまずいたことに気付いた。自分の間抜けさが情けない。しかし、無様に転倒したことが、結果的に澤の命を救うこととなった。


 風切音を残して複数の何かが澤の頭が有った辺りを通過し、背後の納屋の壁に突き立った。うひゃあ、と納屋のそばにいた川島が腰を抜かす。振り返ると、それは矢だった。何故? それを落ち着いて考える暇もなく、唸り声が森の中から聞こえた。 

 ガサガサと下生えをかき分ける音がする。影が飛び出した。澤は左腕でとっさに顔面をかばった。

「熱ッ!?」

 左腕に痛みが走る。制服の袖が破れ血が吹き出す。いや、それよりも──何だ、こいつは?


 小学生程度の背丈。髪は一本も無い。つり上がった目は濁った光を湛え、殺意を迸らせているようだ。鷲鼻と大きく裂けた口。涎を垂らすその口元には汚れた犬歯が見える。

 グルルルルと唸るそいつの腕には剣鉈のような刃物が握られ、不健康そうな緑色の素肌に革の鎧を着けている。コスプレイヤーにしては、反社会的過ぎる。こいつは僕を殺すつもりだ。さらに後ろから二人。一人は壊れた兜を頭にひっかけている。

「うわぁ!」

 澤は悲鳴を上げた。生き物が剣鉈を振り下ろす。とっさに靴底で生き物の腹を蹴り飛ばした。剣鉈が足を掠め、傷を負った。殺される! 恐怖で体が強張る。無我夢中で腰のS&W M37回転式拳銃を抜いた。安全キャップを外す。生き物は体勢を立て直し、今まさに飛びかかってこようとしている。

 荒い息遣いは自分のものなのか。奴のものなのか。

  

 澤は空に向けて発砲した。乾いた銃声が響く。立て続けに狙いも付けずに発砲する。二発、三発。幸運にも生き物は驚愕の表情を浮かべ、大きく後ずさった。

「川島さん、逃げろ! 逃げろォ!」

 澤は叫んだ。必死に立ち上がりバスへと走る。川島もよろめくように逃げ出した。あれが何なのかは分からない。ただ、もう田中老人は生きてはいないだろう。

「ぐぁ」左肩に矢が突き立った。目の前が暗くなる。痛い。ふざけるな。

 澤は上半身を捻ると発砲した。三発、四発。頼むから怯んでくれ。澤は祈りながら走った。


「バスを出せ! 早く!」

 数万キロの彼方にも思えた20メートルを何とか走りきり、二人はバスへとたどり着いた。運転手が震える手でハンドルを操作する。車体に次々と矢が刺さる。窓ガラスがひび割れ、後部座席のお年寄りが怯えた悲鳴を上げた。

「ありゃ、何だ。何なんだよぉ!?」

 泣き声のような川島の問いが聞こえる。澤は、こっちが聞きたいよと思いながら、急速に遠ざかる田中宅を見た。ぼやける視界の中で、母屋のそばに立つ小柄な生き物に混じり、人間の姿が見えたように思えた。

 



隠岐の島町警察署 西郷地区 島後

2012年 9月21日 13時53分



 当初は停電や土砂崩れの通報から始まったこの日、隠岐の島町警察署への通報内容は次第に事件性を帯びたものとなっていった。

 島内のあちこちで家畜がいなくなり、道路が障害物で寸断されているという通報から始まり、さらに、山間部を中心に連絡のとれない世帯が続出、各地で不審者情報が舞い込み始めた。

 災害対策シフトを敷いていた警察は、事件性の有無を把握すべく島内の駐在所に状況の確認を指示するとともに、動かせる車両を出す準備を開始する。


 午後1時53分

『島民を避難場所へ誘導中の巡査が暴漢に襲われ負傷。相手は複数で武装している模様』

 突如舞い込んだこの通報により、署内は蜂の巣をつついたような状況になった。署長はすぐさま災害対策本部に詰める町長に報告すると共に、活動中の警察官に防刃ベストの着用を指示。

 しかし、通報は数を増やし続け、行政及び警察消防の混乱は拡大の一途を辿っていった。

 



海上自衛隊輸送艦〈おおすみ〉 隠岐南西海域

2012年 9月21日 14時20分


 艦がゆったりとローリングするたび、床に固定された三段ベッドがギシギシと軋んだ音を立てている。台風16号が通過した後の日本海は、空こそ晴れたもののうねりはしっかりと残り、全長178メートル、基準排水量8900トンの〈おおすみ〉を翻弄し続けていた。

 部屋ごと持ち上げられる感覚、胃袋が下に引きつけられる。呻き声。今度は下降する。内臓がせり上がる。

「オエエエエェ、こ、殺してくれェ……」吐瀉音と泣き言。

「馬鹿野郎! 便所で吐け!」

「うぇ、臭ぇ」

 周囲の隊員が罵声を浴びせる。心なしかその声も元気がない。

 

 輸送艦〈おおすみ〉便乗者用寝室内は、陸上自衛隊西部方面普通科連隊(WAiR)隊員の呻き声と酸っぱい臭いに満ちていた。精強さと水路潜入等の特殊技能で名高い西普連の猛者たちも時化には勝てないようだった。

 仕方ないよなぁ。ベッドに腰掛けた第1中隊第1小隊の衛生員、百武賢司ひゃくたけけんじ二等陸曹はため息をついた。船酔いはいくら鍛えても関係ない。むしろ三半規管が敏感な者が酷く酔ってしまうことがある。陸自の中では船に慣れている西普連といえども、台風に出くわしてしまってはどうしようもなかった。


 現在彼らがいるのは隠岐諸島南西約30マイル。輸送艦〈おおすみ〉に装備と共に積み込まれた西普連二個小隊は、若狭湾で実施される海自との協同訓練に参加すべく台風16号を追うように日本海を東進していた。〈おおすみ〉の前方には、随伴艦の護衛艦〈くらま〉が白波を蹴立てて航行中である。

 

 どんどんとドアがノックされた。「う゛」誰かが呻き声とも罵り声ともとれる声色で返事をすると、小太りの〈おおすみ〉乗員が飛び込んできた。

「失礼しまーす……うへぇ皆さん大変そうですね」

 鼻をひくつかせた海自隊員は、苦笑いを浮かべながら、床に崩れ落ちた陸曹を抱き上げベッドに押し込んだ。激しい揺れは収まっておらず、固定が甘かった第2班の私物が荷崩れをおこし散乱する。

「す、すまねぇ……オェェェ。ジュースをとってくれ」 

 筋肉の塊のような男が、脱水症状に身体を痙攣させている。小太りの海自隊員は、ベッドの横に転がるペットボトルを見た。オレンジの頬に傷が描かれたキャラクターのジュースだ。

「ダメですよ『ヤッチャンオレンジ』なんて飲んだら。船酔いに柑橘系は最悪です。飲むならリンゴかコーラにしないと! えへへ、俺も入隊すぐはもう吐いて吐いて血まで吐きましたよ。ワカメとか食った後は最悪ですね。酸っぱいやら磯臭いやら……」

「い、言わんでいい……」

 海自隊員の声は何故だか嬉しそうだった。

「で、何の用だい?」百武が尋ねた。海自隊員はああそうだ、と本題を思い出したようだった。


「各小隊の小隊陸曹と班長の皆さんは、至急士官室にお集まり下さいとのことでした」

「……マジか。勘弁してほしいぜ」頭を起こすのすら辛そうな円城寺一曹が言った。


 百武はのそのそと身体を起こす同僚たちを横目に見ながら、何かあったのだろうか? と思った。

ではでは。

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