回復魔法も医療行為も素人がしてはいけないお話
草原を歩く事1時間余。辿りついた湖のほとりで休息を取る事にし空を見上げれば傾いたように見えない太陽が相も変わらず照りつけている。こちらの世界に来て二時間は過ぎている明らかに時間の進み方がおかしい太陽の傾き方だ。汗ばみ始めついつい胸元をパタパタさせる。その隙間から女性特有の膨らみが覗く。性転換を果たしたが鏡も無いので実感が湧かない。美空を横に寝かせ頭を太腿に乗せて顔色を伺う。心地良さそうに寝ているのに安心し蒼一は禍々しい自身の書いた本を開く。7つの能力以外のページは何やら呪文染みたものを書き連ねている。
ー深淵に眠りし闇夜の王よ! 我が求めに応じその姿を現せ。永久の闇。深淵への誘い。その力を持って彼の者に目覚めぬ永久の眠り....
パラリとページをめくる。所々に召喚魔法があるがどれも危険な物だった。誰かに恨みでもあったの?と過去の自分を罵りたくなってきた。取り敢えず7つの能力のページを見るが矢張り危険な物ばかりにしか思えない。天魔神撃刀はこの世界に来ても所持しておらず存在しないならしないで安心だがもしあるとなれば話しは別である。存在そのものを斬る物騒な刀を第三者が持ったら厄介である。何ら注意も無し振るわれてに星の存在そのものを斬られると目も当てられぬ大惨事だ。自分ですら恐らく今の状態では使いこなせず周囲に被害が及ぶだろう。
「来い、我が剣。天魔神撃刀よ」
美空が寝ているので小さい声で呼んでみるが反応は無かった。繋がりも感じられない。未契約状態だろうかと記憶を総動員して今の状態を考える。抽象的な事ばかりで細かい設定を書いてないが呼べば出てくる脳内設定だったのだ。きっと見つけられればそうなるだろう。
「む、脳内設定か...」
暫く思案し脳内設定を思いだそうとする。しかし五年前の記憶はチグハグだ。どうすれば使い勝手が改善されるだろうと考えるが良い案は浮かばない。こんな時父ならばどうするだろう。迷った時は先達たる父の背中を思いだそうと目を瞑る。
(戯けが!)
妄想直後に父からの鉄拳が頬にめり込みそうになったが父は硬直し殴る態勢のまま見つめてきた。身体が少しビクリと震えてしまい美空が寝苦しそうに声をあげた。普段なら殴り飛ばされる妄想であるが父はフンと鼻息を荒くし背を向けた。男は背中で語るのだ。鬣の様な長い黒髪にその背は隠れるが逞しくシャツが筋肉でピンと張られ服越しでも鍛えているのが解る。
(甘ったれるな! アオイよ)
(父様。僕は蒼一です)
(グハッ⁉︎ く、この俺がよもや声音が変わったのみで敗北しかけるとは...)
背を向けたまま父がグラつき揺れていた。毎度妄想で父の師事を請うてはどやされているが父の反応が現実的だ。妄想でのやり取りもどうしてか父も把握している。今考えるとおかしいが規格外な父である気にしても始まらない。しかしいつもは殴り飛ばしては背を向け恰好いい事を言って「気合いだ」「根性だ」のみな返答なのだが。
(父様? 今日のお父様はいつもと反応が違いますね)
(....娘を殴り飛ばせるかよ)
戸惑う様な父の反応にこちらも困惑してしまう。あまりに変わった父の反応に尋ねてしまうが独り言の為か蒼一には聞き取れない。
(能力の話だったな...それならば簡単な方法があるだろう)
まるで泰然自若と落ち着ききった父が先程までと打って変わり話を変えた。
(イメージするのだ。この能力は始めからこうだったと...。要はお前のイメージで能力の在り方を変化させろ。これ以上は言わぬ。お前の問題だしな)
(イメージで能力の在り方を...ありがとう父様)
ついつい普段より優しく教えてくれて嬉しすぎてその背に抱きついて腕を回してしまった。ムニュと胸を押し付けてしまい形が変わる。父の汗の匂いが妙に現実的だ。ガクガクと父は身体を震えさせ手の平で顔を覆った。
(88のFだと⁉︎ 我が子ながら恐ろしい凶器を...)
(父様?)
(名残惜しいがさっさと戻れ...そして猫を助けてやれ。そうだ...それともう女なのだ。蒼一よ、アオイと名乗れ、女々しくなろうと赦す。お前は可愛いからな。美空を護れ頼むぞ...アオイよ)
ポンポンと頭を撫でフッと父が笑う。父に可愛いと言われ僕は頬を真っ赤に染めた。実の父親であるが何故か心臓が早鐘を打った。
(ふぇ、うん...が、頑張るよ)
妄想を終えて一つ深呼吸をする。
ーむぅ、今のは何だったのか...いけない扉が開きかけた気がする。
頬がまだ熱い。取り敢えず先程の事は忘れて能力について考えよう。
「にぃに? お顔真っ赤だよ?」
「うわっ、びっくりした。起きたの美空?」
「にぃにがモゾモゾするから」
「うぅ、ごめん。寝てていいよ」
寝返りをうち美空が顔を覗き込む。小首を傾げて不思議そうな顔をする。
「にぃにが女の顔してる」
「? それは女の子になったしね」
何を当たり前の事を美空は言うのだろう。不思議になって首を傾げるが女子歴の長い美空が言うのだ確かなのだろう。よくわからないけど。
「にぃに? 空から何か落ちてる」
「ん?」
二人揃って空を見上げて目を細める。白いモコモコとした物を捉える。早い。それは一本の矢の様に真っ直ぐ湖向けて落ちていた。段々と高度を下げている落下物を良く観察する。高度が下がるに連れて顔が引き攣りつつあるのを自覚する。あれは生きている人の形をした何かだ。このままでは不味い。水面とはいえ下手に落下すれば死に至る。思わず左手を伸ばし《支配者の領域》を展開する。ドーム状に広げていきその落下中の小さな命を捉える。領域内での全ての出来事を知覚するのみの能力であるが無意識だった。落下する命はまだ諦めてはいない。生きる為に必死に生存の可能性を信じ水の抵抗を抑えるべくピンと身体を伸ばしていた。蒼一、否アオイは領域内の全てを支配するべく魔力を高めた。水は命を包みこみ守る様に。空間自体を歪め落下する身体を少しでも遅くする様に。
「クッ」
力のコントロールすら儘ならないのだ。思いついて無意識下で行うがそう簡単に出来る筈も無い。支配する力は大した物にはならずごく僅かに落下速度を下げ、ほんの僅か水の抵抗が緩む程度の変化しか与える事が出来なかった。背筋がゾッとするほどの早さで高い水飛沫を上げ湖に落下した。音は高く響き衝撃がどれほど凄まじかったかありありと伝わる。バシャリと水飛沫が上がり必死に身体を使って懸命に泳ぎ湖の畔に辿り着く。あの衝撃の中生きている事に美空と二人揃って安堵する。そしてその姿をはっきりと見せた。漫画やアニメ、はたまた現実でもコスプレをしていたりと良く見かける猫の獣人だった。猫の手足と頭のフサフサの耳、尻尾という特徴的な姿である。背丈は驚くほど小さいしかも女の子の様だ。金色の瞳はあても無く彷徨いいつ倒れてもおかしく無いほどの満身創痍の身体で畔に辿り着いたの眺めていて漸く我に返って側に駆け寄ろうとアオイは踏み出し始め視線の先の出来事に出鼻を挫かれた。水面が持ち上がり水中から鎌首を上げた水竜が大きな口を開け獲物を捕食せんと頭を近づける。思わず飛び出し右腕を突き出し水竜を睨み据える。
「離れて!」
叫びつつ右腕の竜に呼び掛ける。右腕が熱を持ち火傷したかの様な痛みが襲う。黒い瘴気を撒き散らしその存在を誇示する右腕の竜は水竜に近づき威圧する。悲鳴を上げて水竜が逃げ出したのに安心しホッと一息つく。
「にぃに、手が...」
「え? な、ギャアァァァァ⁈ 手が! 手が‼︎」
美空の震える声に視線をやると手首より指先まで黒い鱗で覆われた手が禍々しく変化していた。鋭い爪が伸び変わり果てた手を見て悲鳴を上げ目頭が熱くなり頬を涙が伝った。
「うぅ、ひっく、こんなんじゃ誰も好きになってくれない」
「にぃに? 相手は男⁈ それとも女?」
「え? う? あれ? ...どっちだろ」
男か女...どちらを好きになればいいのか。今は女だけど...そもそも男に戻れるのだろうか。今更ながら女性化について悩み始める。
「どっちにしろにぃには無理」
「何でさ! 美空が酷い事さらりと言うよ」
「にぃには私のだから」
そう言って美空は抱きついてくる。胸に顔を埋めてその柔らかさを堪能する。甘えてくる妹を抱き締め返した。小さな美空は腕の中にすっぽり収まる。
「うんうん。可愛いなぁ美空は。美空のにぃにで居続けるよ」
兄妹愛を深め合うなか視界の端に白いのが目に止まった。自分の事ですっかり忘れていたなんて事はない。
「あ、忘れてた。あの子大丈夫かな」
妹はさらりと忘れていた事を言って倒れ気を失っている獣人の彼女を指先でつつく。抱き起こし外傷を確認する。落ち着いた事で変化した右手は元に戻った事に安堵しつつ彼女全身を触れていく。
「肩を脱臼してる。うわ⁈ 爪が酷い...後は所々裂傷があるー刃物かな」
裸にするのは気が引けるので見える範囲で確認し彼女を抱き起こす。気を失っている今ならやりやすい。関節が外れた右腕の肘を掴み腕を上げる。まだ気を失っているままだと確認してアオイは腕を力を込めて引っ張った。
「ッつ、えぃ」
「にぎゃあああああ」
悲鳴を上げて猫の獣人は飛び上がる。痛みを与えたアオイを見て噛みつこうとして来るが怪我が酷いので力が入らずフラフラするのみである。肩に触れ感触を確かめる。綺麗に入った筈だがまだ満身創痍だ。身体を動かすのも辛いだろうが聞かない事には始まらない。
「脱臼してたから関節入れ直したけど違和感はない? 」
その問い掛けに彼女は暫く自身の状態を確認し肩を回す。
「全身痛いにゃからよくはわからにゃいけど違和感は少ないにゃ」
「そっか、あ、私はアオイだ。この子は妹の美空だよ」
「アオイ? 成る程、名前も前のままじゃ都合が悪いね、さすがにぃに。美空だよ、にゃー子」
女性の名前としてアオイと名乗ったがそれだけで美空は察し納得してしまった。笑顔で美空は名乗ると獣人を見つめた。その笑顔に若干重圧を感じる。得も言われぬ美空から放たれる重圧。白猫族の戦士であったシロが唸りつつも名乗り返す。
「にゃーはシ...」
「にゃー子」
「シ...」
「にゃー子」
名乗る獣人を遮り美空はしっかりと肩に手を乗せ獣人を見つめた。見つめ返す獣人。無言の応酬が続く。シロは戦士である。負けられない、負けられないのだ。自分に言い聞かせ美空を睨み据える。そんなシロの目の前に揺れる穂先の草を手に美空は構えた。
「ほらほらにゃー子、おいでおいで」
「にゃーは、シロにゃ。そんな子供騙しに引っかかる程落ちぶれて...落ちぶれて」
「にゃ! にゃにゃ! にゃはは!にゃふ⁉︎ しまった」
目で追い掛けていたシロは獣の本能か揺れる穂先を捉え様と手を出す。ひらりと躱した穂先は挑発する様に眼前で揺れそれを追い掛けるシロ。獣の本能に抗いきれず戯れそして我に返って項垂れた。そんな獣人の頭を美空は優しく撫でた。
「にゃー子、いい子いい子」
「...もう好きに呼ぶにゃ」
どうせ負け猫にゃと自嘲気味に漏らし何もかもを諦めた表情になる。そんなシロ改めにゃー子を美空は撫でながら外傷を見て顔を顰める。
「酷い傷...」
剥がれ掛けの爪を見て美空が今にも泣き出しそうな程顔を歪めた。
「名誉の負傷にゃ、空中城から落ちて助かっただけでもめっけものにゃー」
そう言って空を見上げるにゃー子の横顔にアオイは引き込まれそうになった。屈せぬ闘志を秘めた瞳は空に浮かぶ雲の向こうを射抜いていた。そんなにゃー子の傷を何とか治せないだろうか。《星天紋》の能力《星誕》の力を使い彼女を癒せないか。星を生み出す程の力だーいける気がしてきた。
「よし! にゃー子の傷を治してみよう」
「「え?」」
アオイは決意を込めて立ち上がり目を閉じる。《星誕》の能力を使う前には準備が必要だ。全身から漲る魔力が解き放たれそれだけでアオイは宙に浮いた。闘衣が溢れる魔力ではためく。
「凄い魔力量にゃ...《邪覇》人は規格外ばかりの化物揃いにゃ」
戦慄する様なにゃー子の声が美空に届く。今彼女は《邪覇》と言ったか?何やらもじれば聞き馴染みのある単語になりそうな事が気になった。
「剛強吼闘衣ー《星天》モード」
アオイの言葉に着ていた真っ黒のワンピースが白光に包まれ変化する。白いドレスへと変わりキラキラと輝く光がアオイの周囲を回る。神々しささえ感じさせるアオイに見惚れてしまうにゃー子と美空。二人を他所にアオイは続ける。溢れでる魔力が周囲に広がり辺りは強制的に昼から夜になり闇の帳が全てを覆った。無数に浮かぶ星の輝きが目に飛び込む。
「星天紋《星誕》の力を此処に、生命は大地に根ざし、生命を育む水は永劫の時を流れゆく。生命は輝く炎の揺らめきの下産まれ、生命を運ぶ風は世界を満たす。生命の輝きよその力を持って彼の者に癒しを」
両手で掬う様に輝く光を受け止める。その力を見てにゃー子は戦慄した。確かに癒しの力なのだろう。しかし、それは自身が知っている治癒魔法の魔力量を超越している。過剰治癒という言葉が過る。治癒魔法も外傷の程度や対象の魔法抵抗力等細かい注意と微調整が必要なのだ。出鱈目に魔力を突っ込んでは傷を治した物の自身の魔力と術師の魔力が身体の中をぶつかり合い寝込む羽目になるのだ。アオイの魔力量はかなり多い。背筋が大量の冷や汗を伝う。
「や、止めるにゃ、そんな出鱈目な魔力量の治癒貰ったら治るどころか死ぬ、死んじゃうにゃあー!」
「《一雫の癒し》」
詠唱を終え小さな光がユラユラと漂いながらにゃー子に吸い込まれていく。暫く時間が経つが何とも無い事ににゃー子は首を傾げる。
「うにゃ、何とも無い?」
傷すらまだ治っていない。治癒魔法の手順を間違えたのだろうと思った瞬間だった。ドクンと心臓が一際強く脈動し五体に魔力が迸る。
「にぎゃ⁉︎ にぎゃーす‼︎ 死ぬ、死ぬ、死んじゃうにゃー!」
全身を襲うのは天変地異と言って差し支えない程の嵐の奔流だった。炎が体内を焼き、水は激流となってにゃー子の意識を流し身体中はひび割れたかの様に痛い。意識を何とか繋ぎ止める中を風が荒れ狂い何かとぶつかる。それは扉だった。全能力は鍵屋によって封じられた。しかしその扉は本来なら開かぬ筈だったシロの...もう一つの可能性の扉だ。扉が開く。白い光の奔流の中で薄っすらと目を開く。何人かの人影の中見覚えのある背中が見えた。彼女は振り返りこちらを見た。背丈は170㎝で能力を封じられる前の自分の姿と同じではあるが何かが違う。白い猫の獣人は私を見て苦笑を浮かべ口をパクパク動かした。
ー頑張って、私。可能性はまだ閉じてはいないわ
そう聞き取れた気がした。
にゃー子が動かない。白目を剥いたまま痙攣すらせずにいた。美空がにゃー子を軽く揺する。
「にゃー子?」
呼び掛けてみるが全く反応がない。さぁと血の気が引くのをアオイは感じた。目立つ外傷は治癒していた。剥がれていた爪は生えているし目立っていた裂傷も痕すら残していない。問題は意識が戻らない事である。
「にゃー子! カムバッーク‼︎ 」
ガクガクとにゃー子の身体を揺らしながらアオイの悲壮な叫びが周囲にこだました。
書いている作品、暫く遅れ気味になると思います。