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このパーティの主催者であるオータケ会長と、ハルナの父であるカドクラ社長のいるテーブルに招かれたイチロウは、二人から勧められたカクテルに酔ったためか、少しだけ、いつもより言葉数が多くなっていた。
イチロウが、宇宙飛行士を目指した理由を、二人から迫られ、白状させられたあたりから、もう何でもいいやと思うようになり、特に当たり障りがない学生時代のことも、もちろん、カナエたちとの事についても、聞かれるがままに、話していた。
「そういえば、うちのカゲヤマが、タカシマくんに世話になったと言っていたが、詳しく聞かせてもらえないか?」
オータケ会長は、既に自社社員であるカゲヤマから、第4恒星系へ行ったときのことを聞いて、知っているようではあった。
「うちは、基本的には、何でも運ぶのだが、第4恒星系への定期便はない・・・それでも、ある程度の荷物が揃っていれば、チャーター機を仕立てるのだが、女性一人というのでは、それもままならない・・・銀河鉄道の軌道の整備も遅れているから、今の段階では、定期列車で行こうとすれば、相当時間がかかってしまうしな」
「それはそうでしょうね」
「宇宙開発が進んでいるとは行っても、まだ、本当の意味での一般市民は、気楽に宇宙旅行というわけにはいかないのが実情だ・・・ここに、おられるカドクラ社長も、積極的に宇宙ステーション近くに、一般市民が宿泊できる施設の建設計画を出してくれているが、やはり、中央政府の頭の固い連中は、宇宙を、軍事利用や鉱物資源の採掘場くらいにしか考えていないので・・・結局は、自費で建設するしか手がないのが現状だ・・・政府指導で、税金による公営のステーションが作れれば、相当、宇宙開発のピッチが上がるはずなのだが、それが悔しい」
「でも、ステーションの建設は、かなり大規模に行われていますよね・・・建設に関わる多くの人が泊まる施設、その人たちに、より美味しいものを供給するシステムをオータケ会長を初めとする超企業チームが推進なさっていると聞いています」
「どこで生活するにも、衣食住は基本だ。仮に遠くの惑星で、とてもうまい海産物が発見されたとする・・・それをたくさんの燃料を使って莫大な費用を掛けて地球の市民に供給することに、タカシマくんは意味があると思うかね」
「美味しいものを食べたいという欲求は、人間の基本だと思います・・・意味はあると思います」
「そう・・・うまい物は、誰でも食べたい。しかし、わざわざ、遠い惑星までいかなくても、地球にだって、うまい物はたくさんある。本来は、その瞬間、食欲を満たせれば、人間というのは満足するものなのだ。
でも、なぜか、人間というのは、食材の鮮度やシェフの技術に惹かれて、そこに行って食べるということにこだわるのだよ」
「食べ物についてはおっしゃるとおりだと思います」
「しかし、全員が全員、その星まで言って食べるわけにいかないのも事実・・・ならば、やっぱり、その最高級食材を、鮮度をぎりぎり保ちながら、地球まで運ぶしかないわけだ」
「なるほど・・・運送業というのは、素晴らしいですね」
「わかってくれたかね・・・まぁ、料理を引き合いに出したのは、一つの例でしかないのだがね」
オータケは、うまそうにウィスキーを口にしながら、イチロウとの会話を楽しんでいる。
そして、ハルナの父親であるカドクラも、
「住の基本・・・ホテルというのは便利なもので、誰が泊まっても一定のサービスは受けられる・・・しかし、やはり生活するには、それぞれが、しかるべき場所に定着をしないと安定した休息を得ることはできないだろう」
・・・というように、自身が携わるホテル業の存在意義を、ここぞとばかりに力説する。
「食と住ですか?」
イチロウのカドクラへの問いかけに、オータケがまた、自身の持つポリシーについて語り始める。
「物を運ぶ・・・基本は、食料だ・・・パンのみにては、人は生きられないが、パンがなければ、人は飢えて死んでしまう。宇宙空間で生活するものに安定した食料供給ができなかったら、食料を運ぶことに従事している企業の意味はない・・・」
「逆に言うと、食料を辺境の宇宙へ運ぶことができなければ、人間は宇宙で生活するべきではないと・・・そのように聞こえますが」
「そういうことだ・・・今、我々がやっていることは壮大な試行錯誤なのだよ
質問をしていいかね?」
「はい・・・わたしで、答えられることなら」
「うむ・・・砂漠で、水がなくなり・・・食料も尽きた・・・そんな時、タカシマくんならどうする?」
カドクラが簡単ななぞ掛けをする。
「通信で、人を呼びます」
イチロウは即答する。
「通信に応じる人がいなかったら?」
「自力で、オアシスを探します」
「そうだ・・・だから、宇宙で生活する人のために、オアシスを作っていかないといけない・・・ほんとうに、宇宙を生活圏とするのならば・・・
ハルナという娘は、ほんとうに頭がいい子で、初めは親バカだと、ずっと思っていたが、物の本質を、よくわかっている・・・素晴らしい女だ」
カドクラは、自慢の娘の話をする時は、必要以上に眼を細めて、本当に嬉しそうに話をする。今日会ったばかりで、それほど多くの会話を交わしたわけではないのだが、イチロウは、そういう時のカドクラの表情を好きになっていた。
「宇宙には、もっとたくさんのオアシスが必要なのだ・・・通信網の充実は、言うに及ばず・・・
タカシマくんは、『東海道中膝栗毛』という小説を、読んだことはあるかね?」
「はい・・・作品は知っています・・・内容もなんとなくは・・・」
「マイルストーンである宿場町を目指して、遠い世界まで旅をする・・・我々が、今宇宙に挑んでいる・・・まさに、そのことを描き出した、素晴らしい作品だといつも思っている・・・宿があれば、そこをマイルストーンとして人は集まる・・・目的地に、素晴らしいものがあれば、普段の仕事を休んででも、すべての資材・資産を投げ打ってでも、その目的地に向かう」
「必要なのは、通信網・・・交通網・・・そして、宿泊施設ですね」
「オニール計画というのは知っているか?」
「はい、ガンダムは好きですから・・・」
「あのマリーメイヤも、相当好きだからな・・・時代を超えても生き残ってる作品というのは、ほんとうに、どれもこれも、みな、素晴らしい作品ばかりだ」
「タカシマくんは、この時代にスペースコロニーが存在していること、少しは期待しなかったか?」
「実は・・・期待していました・・・100年後は無理でも、その計画自体は進んでいるのではないかと」
「我々も、その気持ちは一緒だ・・・スペースコロニーを使用しないで、宇宙に住むことは不可能ではないかと、今でも、思っているものは多い・・・しかし、きみ達は宇宙で生活を続けている」
「ルーパス号は、半永久機関といえるエンジンを動力として使っているスターシップだと説明をされました」
「スペースコロニー建設計画と対をなすものとして『どこでもドア待望論』というのが、この時代には存在する」
カドクラは、敢えて、オニール計画が実現・計画されなかった理由については説明を避けた。
「『どこでもドア・・・待望論』ですか?」
「簡単に言えば、どこでもドアが発明されるのだから、他の交通機関、配送手段は必要ないだろうというものだ・・・確かに、我々は今、ワープ技術を開発し、行き先が真空でなければならないという条件付きではあるが、宇宙を比較的自由に飛ぶことができている」
「宇宙開発だけを取り上げたら、100年前は、今の状況まで進歩してるとは想像できませんでした・・・宇宙飛行士を目指した、わたしが、言うべき言葉ではないとは思いますが・・・」
「優秀な頭脳と、強靭な肉体を持つ人類が、育ってきているから、この状況は、むしろ必然であると、我々は感じている・・・2111年に『どこでもドア』を実用化させること・・・誰かが作るのを待つという消極的な待望論が、現実的な開発計画に発展したことも、やはり必然だったのだろうと思う」
「その計画はなくなったのですか?」
「中央政府から、製造禁止令が発令されたことで、全ての開発計画が凍結された」
オータケは、そこで、大きなため息をついた。
「夢が夢であるうちは、まだ、大きな問題にはならなかったが、夢が現実味を帯びた瞬間、その発明がもたらすであろう世界・・・『どこでもドア』のある世界を想像することを、人々はやめてしまったのだよ」
「好きなところへ、好きな時に、どんな物でも、どんな人でも・・・無条件で運ぶことができる装置ですからね」
「まず、我々、配送屋が大きなダメージを受けるのは間違いない・・・自家用ジェットを全員が持つようなものだ」
「そして、いつでも好きな時に、自宅へ帰ることができるのだから、当然、ホテルも必要なくなるだろうな・・・もっとも、ホテルの需要はなくならないがね」
「それは・・・」
「『住』という意味だけのホテルは、当然、消えてしまうだろうが、豪華な結婚式を挙げたり、もちろん、恋人同士が一夜を共にするためにも、ホテルは必要だろう・・・
新しい発明品によって、一つ、あるいは複数のビジネスが消えることになったとしても、必ず、新しいビジネスというのは産まれてくるものなのだ・・・だから、科学者たちは、何も恐れることなく、たくさんの発明品を、世に送り出して欲しいと、私は思っているよ」
カドクラは、守りのビジネスを得意としているとイチロウはハルナから説明を受けていたが、なるほど、時代の変化に柔軟に対応をしようと考えるカドクラは、確かに守備型の経営手腕に優れているのかもしれないと、イチロウは漠然と感じた。
「『どこでもドア』しかり・・・『タイムマシーン』や『四次元ポケット』なども、政府の研究機関だけで開発するのではなく、超企業グループで開発するべきだと思うのだがな」
「その中央政府の研究機関というのは、国際機関なのですか?」
「ああ・・日本では、ツクバ・シティの周辺地域が、政府の直轄となり、実現不可能と思われる研究開発の中心地となっている」
「ツクバ・シティですか?」
「ツクバ・シティ・・・ツクバミライ・シティ・・・そして、リューガサキ・シティには、政府主導の研究機関が、500以上はあるはずだ・・・それぞれが、別々のアプローチで、不可能を可能とすることに情熱を燃やしているよ」
(リューガサキ・シティか・・・)
イチロウは、ミユイが、なぜ『リューガサキ』という姓を名乗っているか、その理由を聞いたことがあった。
『あたしは、リューガサキという街の研究所で開発された肉体を持って産まれてきたから・・・ほんとうの親が存在しないんだ』
そのイチロウの質問には、そのようにミユイは答えた。
「使われることのない発明品もあったし・・・使ってはいけない発明品もあった」
カドクラは、話を続ける。
「原爆や原発のことでしょうか?」
「原子力というのは、おそらく地上で使用するものではなかったのだろう・・・と思うよ。宇宙船に使用される核融合エンジンは・・・放射能で満たされた宇宙という空間では、ごく自然に受け入れられるエネルギーといえる。使い方を誤らなければ、素晴らしい発明品であることに間違いはない」
「お父様たちが、イチロウさんを独占しちゃうから、貴婦人の方たちが、イチロウさんとダンスが踊れなくてイライラされていますわよ」
一向に、自分達のテーブルに戻ってこないイチロウを連れ戻そうとして、ハルナが、3人の座っているテーブルまでやってきて言った。
「おう・・・ちょうどいいところに来た。ハルナ・・・お前も座りなさい」
「何がちょうどいいのですか・・・」
「イチロウくんと、カナエさんのなり染めを聞いていたところだ・・・お前も聞きたいだろう?」
「お父様・・・余りイチロウさんに、お酒を勧めてはいけません・・・イチロウさんがいた時代は、18歳では、まだお酒を飲めないルールだったんですよ・・・それに、恋のライバルとのなり染めなど、ハルナは聞きたくありませんわ」
「そりゃそうか・・・じゃ、男同士・・・惚れた女の話をするから、お前は、自分の席に戻りなさい・・・聞きたくないんだろう?」
「イチロウさんもですが、お父様も、お酒が過ぎてるのではありませんか?そんな話をされたら・・・席に戻れないではないですか・・・お父様の意地悪・・・」
「では、やっぱり座りなさい・・・次期、カドクラホテルの社長のお前が、男と女の秘め事の話くらいで顔を赤らめてどうするのだ・・・それに、私は、イチロウくんを気に入った。
万難を排して、イチロウくんをハルナの婿にすることを、ここで宣言したいくらいだ」
「もう、お父様ったら・・・イチロウさんとは、今日会ったばかりなのに・・・もう、お酒は禁止です」
「娘にそう言われて、はいそうですかとは言えないぞ・・・父としての立場上な・・・とにかく、お前は、そこに座って、イチロウくんの話を、おとなしく聞いていなさい・・・朝会った時は、仏頂面のいけ好かない男だと思ったが、こうやって話をしてみると・・・なるほど、お前が惚れた理由がわかった・・・今夜は、ここにイチロウくんと二人で泊まっていいから・・・オータケさんにも、さっき、お願いしたところだ」
「カドクラさん・・・ちょっとそれは・・・」
「ほんとですか?」
イチロウの慌てた顔とは対照的に、ハルナは顔を輝かせた。
「ゲストルームの中で、最高の部屋を二人に提供するつもりだ・・・今夜は、ゆっくりしていくといい」
オータケも話を合わせる。
「そうだ、のこのこ帰って来たりしても、家には入れないから・・・もちろん、カドクラ・グループのホテルに泊まるのも禁止だ」
そう言って、カドクラは豪快に笑う。
「お父様が、そうまで言うのでしたら、やっぱり、それ以上は、イチロウさんに、お酒を飲ませてはダメです・・・酔いつぶれてしまっては、ハルナの思いを遂げることができなくなってしまうでしょ・・・ねぇ、お父様」
「言うようになったじゃないか・・・そこまで言われてしまっては、開放するしかないか」
「そうですよ・・・では、最高の貴婦人が、イチロウさんを待っているので、その方のところへ、お連れすることに異議はありませんね。お父様」
「それは、どこの貴婦人のことだね?」
「セイラが・・・マリーメイヤ・セイラ様が、ずっと、ひとりぼっちで、ピアノ演奏をしていらっしゃるので、私が、代わりを務めようと思います・・・イチロウさんを、彼女のエスコート役にすること・・・反対されたりしませんよね」
「そういえば、彼女には連れがいなかったな・・・」
「私の、親友なのですから、歌とピアノの演奏者としてではなく、ちゃんと、ゲストとして呼んでくださればよかったのに・・・」
「そういうことなら、イチロウくん・・・セイラ嬢のエスコートをしてやってくれ」
自分の意思などお構いなしに、話を進めるハルナとカドクラに、釈然としないものを感じながらも・・・イチロウ自身は、セイラと話をしたいと思っていた。
「では・・・オータケ会長、カドクラ社長・・・楽しい話を、たくさん聞かせていただけたこと感謝いたします。ハルナさんの親友を気遣う気持ちを尊重したいので、一旦、席を離れます」
イチロウは、オータケとカドクラに深くお辞儀をすると、ハルナに促されるまま、楽しそうにピアノ演奏を続けているセイラのところまでやってきた。
鍵盤を叩く手を休ませることはしなかったが、セイラは、近づいてきた二人のほうに、頭を巡らせる。
セイラの明るいピンクのショートカットヘアの髪の先が、さらりと揺れる。
演奏中の曲・・・ワルツの定番「子犬のワルツ」が終わるのを、グランドピアノの端に手を軽く掛けながら、ハルナは無言で待つ。
セイラは、まず、ハルナに視線を合わせ、その後で、イチロウに視線を固定する。もちろん、手は止めないが、曲の主旋律に合わせた即興詞を口ずさむのが、二人の耳に届く。
その曲が、終わったところで、ハルナは、セイラの肩を軽く叩く。
「素敵なワルツをありがとう・・・セイラ・・・ピアノ、弾かせてもらってもいい?」
「わたしは、ワンピアノデュエットでもいいけど・・・」
「イチロウが、セイラと話をしたいらしいの・・・わたしのショパンでは、皆様に失礼かもしれないけど・・・1曲だけ弾かせて・・・」
「そういうことなら、喜んで・・・」
セイラが、腰を上げ、ハルナが代わる。
ハルナは、眼を静かに瞑り、そして、おもむろに鍵盤に手を触れ、ショパン作曲の「幻想即興曲」を奏で始める。
ピアノから離れたイチロウとセイラは、曲に合わせ、演奏者が変わった後も、ホールでダンスを続ける数人の男女に混じって、ダンスを踊り始める。
「この曲・・・ユーコがフィギュアスケートでBGMに使っていた曲だ」
「うん、そうだよ・・・ハルナに見せてもらったの?。きっと、ハルナは、イチロウくんが知ってる曲を選んでくれたんだね・・・」
「俺は、あまりクラシック音楽とか聴かなかったから・・・知ってる曲なら、少しは踊りやすい気がする」
「ちょうど、わたしも踊りたかったとこなので・・・さっきまでのイチロウくんとハルナのダンスは、すごくぎこちなかったけど・・・でも、少し慣れてきたみたいだね・・・
イチロウくん、ダンスの才能もあるのかも」
「ナイス社交辞令・・・」
「ふふ・・・」
「この前は、CDありがとう」
「あは・・・聞いてくれた?」
「毎日聞いてるよ」
短い言葉のやり取りが、なぜか心地よい気がして、イチロウの顔が自然な笑顔になる。
「ハルナとわたしが親友だって・・・知ってたの?」
「知らなかった」
「そうか・・・なんで、言わなかったのかな?」
「セイラさんが、ここに来ていることも知らなかったみたいだけど」
「わたしも、ちょっとびっくりしたよ」
「ハルナを、俺が無理やり誘ったから、セイラさんに連絡できなかったのかも・・・」
「セイラでいいよ・・・ハルナと差別しちゃイヤだよ」
「あ・・・」
「もっとも、セイラさんと呼ばれるのは嫌いじゃないけどね」
「やっぱり?」
「もちろん・・・セイラって名前、とっても好きだから」
「ユーコとエイクは、幼馴染だって聞いたけど、セイラさんも?」
「そうだよ・・・みんな、ここ・・・オータ・シティで生まれた同期生・・・教育指導士もいっしょ」
「ライラさん?」
「うん・・・ライラとは、お話しできた?」
「凄い人だね・・・今日のゴルフコンペ・・・優勝ペアは、カドクラ社長とライラさんらしいし」
「スポーツ・・・音楽・・・絵画も、すべて、万能にこなせてしまう・・・素晴らしい先生だよ」
「ハルナの周りは、凄い人ばかりだ・・・セイラさんといい、ユーコもエイクも」
「ハルナが一番才能あるんだけどね」
「え・・・」
「わたしたちは、縛りがないから、それぞれ、一番好きなことをすることができてる」
「・・・」
「ハルナは、楽器演奏も絵画も、ライラの子供たちの中ではダントツ・・・」
「会社を継ぐことを義務付けられたから・・・そっちの進路に進まなかったのか?」
「ハルナ自身は言わないけど・・・たぶん」
「そうか・・・」
「自分の夢よりも家族の願いを優先してるんだと思うよ・・・とっても、家族を大切にしてるからね」
そこで、「幻想即興曲」の演奏が終わる。
セイラは、演奏を終えたハルナに指を一本立てて、「もう1曲どうぞ」と伝える。
ホールに、ショパンの「プレリュード」が流れる。
「あまり、ゲストに仕事をさせるのもかわいそうだから、この曲が終わったら、戻るね」
「セイラさんも、友達思いだ・・・」
「わたしは、不器用だから・・・家族や友達を大切にできない人は、ファンを大切にすることができないと思ってるだけ」
「・・・」
「おかしいかな?」
「俺も、照れずに、そういう本音を口に出すことができたら・・・と思った」
「あは・・・じゃ、イチロウくんは、いつも建前のほうが先なんだ」
「カッコいいセリフとか、思ってても、絶対に口にできないよ」
「わたしのセリフ、カッコよかったかな?」
「あんなにカッコいい歌が歌えるのは、歌を聴いてくれるファンのことを思ってるからなんだね」
「ふふ・・・照れずに言えてますよ。ちゃんと・・・」
「それは、初めて飲んだ、酒のせいかも」
「いいなぁ、わたしも、お酒飲みたい」
そうセイラが言った瞬間・・・その時まで、大人っぽい表情だったセイラの雰囲気が、突然、年齢相応のかわいらしい表情に変化したように、イチロウは思えた。
「約束・・・憶えてる?」
「ああ・・・ちゃんと憶えてる・・・」
「今度のレース・・・優勝できそう?」
「ハルナがナビゲータを引き受けてくれれば、きっと」
「約束・・・守ってくれれば、わたしも、約束を守るよ・・・楽しみにしてるからね」
イチロウは、セイラがドラマ出演の橋渡しをすると約束してくれたことは、忘れていない。
あの時は、現実味のある話として感じることはできなかったが、ミユイに後押しされ、ハルナにも、こうやって励まされている。
「じゃあね・・・」
曲が終わったところで、セイラは、イチロウから離れると、元いたピアノのところへ戻り、ハルナに代わって、ピアノ演奏を再開した。
ゆっくりとしたリズムだったので、弾き始めた時は、そうと気づかなかったが、主旋律が聞き憶えのある曲であることに、イチロウは演奏の途中で気づいた。
「マイ・フレンズ・ユア・フレンズ」
第2恒星系ワープステーション「セカンドインパクト」で、キリエが、イチロウにプレゼントしてくれた曲をアレンジしたものだった。
スローアレンジのゆっくりとしたテンポに合わせて、ハルナがダンスのイニシアチブを取る。
「セイラには、ちゃんと、お礼を言えましたか?」
「ああ・・」
「この曲は、きっとイチロウへのプレゼントなんじゃないかな?」
「俺も、そう思った」
「ところで、イチロウは、ユーコとセイラの、どっちが好き?」
「・・・」
「いきなりじゃ、答えられないか・・・じゃ、どっちの顔が、イチロウの好み?」
「セイラ・・・かな」
「ユーコって、カナエさんに似てるんだよね」
「別に、顔が好きだったわけじゃないから」
「もっとも、あれだけ、エイクとぴったり寄り添ってたら、恋人候補からは除外だよね」
「俺の今夜の恋人は・・・ハルナなんだろ」
「・・・」
「変なこと言ったか?俺」
「イチロウ、相当酔っ払ってるよね」
「こっちでは解禁とはいえ、酒を口にするのは初めてだからな」
「白状します・・・この曲、セイラの選曲じゃなくて・・・一応、ハルナからのリクエストなんだよ」
「さっき、セイラと交代する時に頼んだのか?」
「よく見てるね・・・
ずっと、その気にさせておいて、期待させちゃったかもしれないけど・・・イチロウとは、今はまだ、友達でいたいから」
「酔っ払いは・・・嫌いか?」
「ううん・・・だって、明日から、イチロウとは一緒にルーパス号で生活できるんだし・・・今は、エリナ様に嫌われるようなこと・・・やっぱりできないから」
「ハルナは、いい女だ・・・」
「でしょ・・・自分でも、そう思うよ」
「明日から、また、ルーパス号はにぎやかになるんだろうな・・・」
セイラの声が途切れ『マイ・フレンズ・ユア・フレンズ』が終わる。
「次の曲を・・・イチロウに聞かせたかったの・・・『時代はめぐる・・・』知ってる?」
「いや・・・」
女性ヴォーカルの静かな旋律が、ピアノの音と一緒にホールに流れる・・・もちろん、歌っているのは、セイラなのだが・・・物真似ではない、その歌声ではあるが・・・原曲を歌っているのが、イチロウのよく知ってるアーティストのものであることに、すぐに気づいた。
(聞いたことはある・・・)
「きっと、カナエさんは、この曲を知っていたと思うよ」
「カナエが・・・?」
サビの歌詞が、イチロウの耳に伝わる。
「この曲の歌詞の・・・別れた恋人たち・・・ってところ、イチロウの記憶と重なるんじゃないの?」
ハルナの顔からは、それまでの笑顔が消えていた。イチロウも、その歌詞の意味に気づいた。
(香苗の最後の言葉・・・)
「百年後に目覚めたら、百年後に生まれ変わった私を見つけてほしい・・・そして・・・」
思わず、イチロウはハルナの身体を強く引き寄せる。
「ごめんね・・・イヤなこと思い出させちゃったかもしれないけど」
「ミユキさんの歌だったんだ・・・」
「ハルナは、すぐに気づいたよ・・・カナエさんは、きっと、この曲が好きだったんだってね。
ハルナは、アーティストとしてのミユキさんも・・・もちろん、この曲も大好きだから」