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時間は少しだけ、遡る。
ショッピングモールで、それなりに時間を潰したので、イチロウとハルナの二人が、スタジアム・シキシマに到着した時の時間は12時を既に回っていた。
スタジアムに集まるサポーターは、この時代でも、ユニフォームのレプリカを着用している者が多く、ザスパのユニフォームの左肩に、申し訳程度に、「KADOKURA」と刺繍されたスポンサーワッペンが付けられていることにイチロウはすぐに気づいた。
「ほんとうに、スポンサードしてるんだな」
「地元のチームを地元の企業が応援するのは当たり前でしょ・・・ワッペンが小さいのはお父様が出資をケチってるからじゃないんだよ・・・
お父様が、目立つことを好きじゃないってのは、良くわかってるんだけどね。
来年の株主総会で、ハルナが社長になったら、きっと、いろんなスポンサー契約を増やして、広告宣伝に力をいれていくことになると思う・・・もちろん、カドクラを支えてくれてるのは、今のブレーンスタッフなのは間違いないんだけど、最終的に企業の方向性を決めていくのは、社長なんだから」
「今日は、風も強くないし、天気も快晴に近い・・・こういうデートも悪くないね」
「でしょ・・・ミロの情報収集力は超一流なんだから」
二人は、スタジアムの売店に寄って、昼食用に、焼き蕎麦とたこ焼きを一つずつ買った。
それを手に持って、スポンサー専用のシートに腰を下ろす。
その一画に座っているハルナの顔を知ってる者が、それぞれハルナに会釈をする。もちろん、気さくに挨拶の声を掛けて来る者がほとんどなのだが、それらの会釈と挨拶に、ハルナも心からの笑顔で応えている。
(たいしたものだ・・・)
イチロウは、素直に認める。そして、第3恒星系から第4恒星系に行く途中で出会った時のハルナの言動を思い出す。
(賞金稼ぎを名乗って最新鋭のマシンを操る少女・・・まさか、こっちの顔が本来の顔だったとは想像もできなかった)
「ハルナちゃんは、エイクと懇意でしたよね」
一通り、顔見知りの者との挨拶が済んだタイミングで、一人の年配の男が、ハルナに声を掛けてきた。
「はい・・・もちろん・・・大親友です」
「彼の調子が良くって、今年も、今まで負けなしですよ・・・ザスパは」
「サワグチ会長も、お元気そうで何よりです」」
「ハルナちゃんの自慢話は、カドクラ会長から何度も聞かされていますよ。ほんとうに美人になった・・・もう、ハルナちゃんではなく、ハルナさんと呼ばなくては怒られそうだ」
「お世辞でも嬉しいですよ。わたしのことは、今まで通り『ハルナちゃん』で・・・そのほうが嬉しいですから。
父からは、お転婆で先が思いやられるって・・・いつも、言われてて・・・今日の応援、ご一緒させていただきますね。わたしにとっては、久しぶりの地球なので、わからないこととかいっぱいなんです。今年のチームのこととか、是非、教えてください」
「こんな、じじいの解説でよければ、いくらでも・・・ところで、そちらの若い男性を紹介していただけますか?ハルナさん」
「はい・・・宇宙飛行士のイチロウ・タカシマさんです。宇宙での営業活動している時に、知り合う機会を得ましたので、今日は、こうやって地球に連れてきちゃいました。
こちらは、量販店大手チェーン『ショーカ』のサカグチ会長です」
「はじめまして・・・タカシマです」
イチロウは、席を立ち、サカグチ会長に丁寧にお辞儀をした。
「イチロウ・タカシマさん・・・もしかして、来週のレースに初エントリーした『シティ・ウルフ』さんでしょうか?」
サカグチ会長の問いに、イチロウは、即答を避けたが、黙っていることは失礼であると思い直した。
「はい・・・そのエントリー名・シティ・ウルフで間違いないです」
サカグチ会長が、自身の携帯端末に目をやったことに気づいたイチロウであったが、イチロウの回答を聞いて納得したようで、すぐに携帯端末を操作しようとした手の動きを停めた。
「初出場での初優勝もあり得ると話題になっているからね・・・スポンサードが必要だったら、遠慮なく言ってくれるといい。一線を退いて道楽のスポーツ観戦三昧の暮らししかしていないが、それなりの便宜くらいは図れる・・・こうやって、知り合う機会を得たからには、次のレース応援させてもらうよ」
「ありがとうございます」
イチロウは、素直に礼を言った。
「サカグチ会長・・・そのレース、私も出ることになるかもしれません」
ハルナが、できるかぎり大人しく抑えた口調で、サカグチに告げた。
「ということは、5月ステージにいよいよ、スバルが参戦になるのかな?そいつは、ビッグニュースだ・・・となると、他のクルーザーメーカーが黙っていないんじゃないか」
「もう・・・相変わらずの、早とちりですね・・・このタカシマさんのナビゲータです。スバル・チームには、まだ当分、参戦許可は出ませんわ」
「ほう・・・」
「なので、応援をお願いいたします。資金は、カドクラがバックアップしますので、その面については、心配いりませんわ」
「わかったよ・・・せっかくの焼き蕎麦が冷たくなったら美味しくなくなる。じじいは、これくらいで、おとなしくすることにする 今日は、せっかくの好カードだ・・・若い二人も楽しめると思うよ」
サカグチは、ハルナの膝の上に置かれた焼き蕎麦とたこ焼きに視線を止めて、にこやかに笑って言った。
「はい、レッズのユーコとも、大親友なので、ザスパのエイクとどっちを応援したらいいか迷ってます」
「そこは、エイクを応援してくれ・・・ユーコもオータ・シティの出身だが、今回は敵だ。その代わり国際試合では、思いっきり応援してやってくれ。わたしも、ユーコのアクロバティックなプレイは、大好きだ」
「ええ」
サカグチは、その場を離れると、すぐ傍の元いた席に腰をおろして、自分の連れと会話を始めた。
「イチロウ・・・食べよう」
「ああ」
二人は、売店で買った焼き蕎麦とたこ焼きを割り箸でつつき出した。
「全然冷めてない・・・」
「ほんとうに、イチロウは100年前の人なんだね」
「そうだよ・・・言わなかったか?」
「キックオフまで、もうちょっと時間があるから、ハルナが、この時代のこと、教えてあげるね」
「それは、助かる・・・エリナは、何を聞いても、『自分で調べてから聞くように』って言うだけなんだ
絶対、あれは、答えを知らないからなんだと思うよ」
「イチロウがエッチな質問ばかりするから答えられないだけなんじゃないかな?」
「そんな質問はしたことないよ」
「とりあえず、このスタジアムの焼き蕎麦とたこ焼きが美味しい理由の一つはね、適度な温度に保たれてるからなんだよ・・・その秘密は、このプラスチックパックの内側に、保温材が塗られているから・・・冷たいものは冷たく・・・温かいものは温かく保温されるの・・・要は宇宙食と同じ原理・・・保温剤の形は、ちょっと違ってるんだけどね」
「へぇ・・・」
「それとね・・・たこ焼きの蛸は、朝釣り上げられた新鮮な蛸を使ってるから・・・それも、おいしい理由。
ここは、海に面しているわけじゃないから不思議に思うかも知れないけど、日本海や太平洋で漁をしている釣り船から垂直離着陸できるジェット機で空輸されてくるの。鮮度だけでいえば、ツキジの魚市場の魚よりも、ずっと生きのいい魚が揃ってるはず。だから、もう素材からして違うんだよ」
「もしかして、その配送って・・・」
「もちろん、オータ便・・・あそこに、幸せそうな顔で座ってるのが、その最高顧問のナカジマさん」
ハルナは、斜め左の最前列で、ポップコーンをツマミにして、缶ビールを美味しそうに傾けてる初老の人物を指差して告げた。
「俺たち、つい最近、日本産の鯖を宇宙ステーションで買ったけど」
「それも、きっと、この近くの水産コンテナに集めて、マスドライバーで打ち上げた物のはずだよ」
「そこまで鮮度にこだわるのか・・・」
「宇宙の人にも最高の寿司を食わせたいって、いつもナカジマさんが口にしてるから・・・土曜日だけは、お休みだけど、月曜から金曜まで毎日、マスドライバーはフル稼働してるからね・・・これも、実はハルナの自慢なんだよ」
「来る時に見せてくれた、あのマスドライバー『ハルナ』・・・」
「うん」
「ハルナのお父様は、スバルオーナーズクラブの会長だけど、スバルの会長が、そのナカジマさんの隣に居る人」
「挨拶しなくていいのか?」
「ハルナが、直接の知り合いっていうわけではないから、こんな小娘に声を掛けられても迷惑なだけ・・・ああいう偉い人たちは・・・」
「偉い人といえば、オータ癒エクスプレスのオータケ会長って、今夜のパーティの主催者なんじゃないか?あのナカジマさんとかにも声を掛けておかなくても平気なのか?」
「さっきのサカグチ会長みたいに、気さくに声をかけてくれる人もいるから、声を掛けてもらえたときは、ちゃんと受け答えするから大丈夫・・・それに、お二人とも、ご婦人を同伴してるから、それこそ、ハルナが声かけるのはマズイと思うんだよね」
「そういうものかな・・・」
キックオフの前まで、ハルナは、イチロウに、オータ・シティの話や、ザスパの選手の話、オーナー席に座っている知り合いに関する噂話といった、ハルナがイチロウに説明するいろいろな話は、特にイチロウにとっては、エリナたちとの生活では聞くことのない情報ばかりで、キックオフの14時になるまで、退屈することなくハルナの話を聞いて楽しむことができた。
「ハルナは物知りだね」
「だから、あのミユイさんが、ハルナを選んでくれたんじゃないのかな?」
「俺は、てっきりパイロットとして優れてるからだと思っていた」
「イチロウは、ミユイさんを甘く見すぎだよ」
「ミユイのことは、いろいろな意味で、俺が一番わかってるつもりでいたけど・・・」
「ハルナは、大手企業の次期社長という立場上、情報については、一般に流される以上の情報を入手することができるの・・・あそこで、ミユイさんのいるルーパス号に接近したのも、あのミユイさんに興味があったからに決まってるじゃないの」
「そうなのか?」
「本当に鈍いんだから」
「まぁ、鈍いのも世間知らずなのも否定はできないから、何も言い返すことはないんだけど」
「そのミユイさんのデータベースに、次期、カドクラの社長のプロフィールが入っていないなんて事あり得ないでしょ」
「そう言われてみれば、『あたしが太陽系レースのクイズパートに参加したら、全問正解しちゃうよ』とか言っていた」
「それは、もちろん、そうなるよ」
ハルナは、即答し、楽しそうに微笑んだ。
「太陽系レースのクイズパートって・・・」
「もしかして、イチロウは、過去問題とか全然調べていないの?」
「調べてないことはないけど・・・元々、俺は、こっちの世界のことは知らないから、問題の難易度なんかまったく想像もできないよ」
「3月ステージ・・・クイズパートの第1問・・覚えてる?」
「いや・・・元々記憶力は良くないから」
「2108年のシアトル・オリンピックでバスケットボール競技の第一試合・・・中国代表のソラン選手のブロックショットは、合計何回?・・・というのが問題なんだけど」
「その難易度って・・・難しいほうなのか?」
「イチロウは、自分が生きてた時のオリンピックの競技とか全部、憶えている?スコアとか・・一選手のブロックショットの回数とか・・・覚えてる自信ある?」
「自信というか、興味ないから、わからない」
「つまり、普通は、報道機関のデータベースにしか載っていないような問題しか出ないってことなのよ」
「でも、そんな難しい問題ばかりじゃ、見てるほうが楽しめないんじゃ」
「だから、肝心なのは記憶力じゃなくて検索能力なの・・・もっとも、ミユイさんは、検索する時間なしで、すべての答えを回答しちゃうはずだけど」
「なんで、イチロウは、自分の周りにいる、とんでもない能力者たちのことを普通に考えてしまえるのかな?」
「とんでもない能力者?」
「そろそろ、キックオフだから、よく見ておいて・・・エイク・ホソガイと、ユーコ・ハットリの二人・・・地元のヒーローであるから、普通に見えてしまうかもしれないけど、彼ら二人は、まだ若いからワールドカップで活躍してないだけで、世界レベルだよ」
「そうなのか?
ユーコ・ハットリっていうのは、ハルナの大親友なんだろう?」
「うん・・・だから、私たちが生活しているレベルというのは、そういう、特別な能力者の集まりの中心だってことなの」
「俺じゃ、役不足ってことだな」
「ハルナにしたって、自分でいうのもなんだけど才能と能力に恵まれても、努力はしてるつもり・・・でも、ハルナは、イチロウとミユイさんには勝てなかった」
「エリナが、そっちの機体を無力化しなかったら、たぶん、俺達は負けていた」
「そのエリナ様が、『一番の化け物』と言えるほどの能力者であることを自覚していないのが、イチロウのいいとこなのかも知れない・・・だから、きっと、エリナ様は、あんなに警戒心のない笑顔でいられるんじゃないかなって思うよ
ハルナの顔を見たときも、ずっと警戒心を解くことはなかったし・・・もっとも、ハルナはエリナ様に、すっごく嫌われちゃってるから仕方ないんだけど・・・好きになってくれなくてもいいから・・・嫌いになってほしくないって思っちゃうのは、やっぱり賞金稼ぎの身としては虫がいい話なのかな?」
「ハルナのいいところを知れば、きっと、エリナも、ハルナのことを好きになってくれるはずだよ」
「エリナ様も・・・ってことは、イチロウは、ハルナのこと好きになってくれたんだ」
「もちろんだ。さっきも言ったはずだ」
ハルナは、黙ってイチロウの瞳を真っ直ぐに見詰める。イチロウも、そのピンク色の瞳に射すくめられるように、言葉を発することができず、凍りついたようになる。
ハルナが、ピンクの瞳をさらに強調するように、一回、二回と瞬きを繰り返す。
その瞬きを追うように、イチロウの瞳も揺れる。
ハルナが、その瞳に瞼で蓋をしたその瞬間、
魅入られるように、イチロウの顔が、ハルナのピンクの唇に吸い寄せられ、イチロウの唇が、ハルナの唇に触れた。
「イチロウに・・・キスされちゃった・・・」
イチロウが、ハルナの唇を開放した刹那、ハルナの口から発せられた甘い言葉が、イチロウの耳に伝わった。
「ご・・・」
「そこで、謝っちゃダメ・・・ありがと・・・うれしいよ」
ハルナが、右手の人差指で、イチロウの唇の動きを止める。
その時、キックオフの笛が鳴った。
ザスパの6番サクラギから、10番のポンセへと、まずボールがパスされる。
静かな立ち上がりの中、ハルナにとっては、聞きなれたエイク・ホソガイの大きな声が、メインスタンドのオーナーシートまではっきりと届く。
「そうだ、イチロウ・・・場内実況が放送されてるから、聴いてみて」
そう言いながら、ハルナは、イヤホン型スピーカーをイチロウの耳にねじ込む。
ザスパ贔屓の実況放送が、イチロウの耳に伝わる。
『我らがエース・・・ポンセが、しっかりとボールをキープ・・・そのまま、強引に、レッズの中盤を突破にかかる・・・が・・・ああ・・・止められたか・・・いや、ここで、右サイドへ、ポンセの正確なパス・・・このパスを、超特急型ウィング・9番ソーマがキャッチ・・
そのまま、いきなりのセンタリングだぁ
相手ディフェンダーを蹴散らして、そのセンタリングに合わせるのは・・・そう、この人・・・エースのポンセが・・・・あああ、届かない、届かなかったぁ・・・
このクリアボールは、中断で、壮絶な奪い合いになったぁ・・・
どっちも、完全なクリアができないかぁ・・・いや、レッズの10番が、生意気にもボールを奪い取ってしまった』
センターサークル付近での厳しいチェックで、なかなか、どちらも前線に、ボールを運びきれずにいる展開が、2~3分ほど続いた後の、前半5分・・・ディフェンスラインを、一気に、センターサークルまで押し上げたザスパ・ディフェンダー陣のセンターバック・・・エイク・ホソガイが、ボールをキープした。
その瞬間、スタジアムから、大きな歓声が上がる。
『ついに・・・ついに、ザスパの誇る変幻自在のリベロ・・・ホソガイが、ボールをキープしたぁ・・・このまま、中央突破するのか、それとも、縦パスで、一気にゴール前に、ボールを打ち上げるのか・・・
突破に行ったぁ・・・
まず、一人をかわす。
かわしきれないか・・・追いつかれ・・・ない!!そのまま、前線まで一人で持っていくつもりだぁ・・・いや、パスだ・・・左ウィングのソーマへ・・・大きなパス・・・これを、ソーマが、ボレーで折り返すぅ・・・
そのセンタリングへ合わせるのが・・・やっぱり、ホソガイだぁ・・・ヘッドで合わせる・・・ああああああ
これを、キーパーがパンチングで、コーナーに逃げたぁ
ザスパ・・・今日の試合で初めてのコーナーキックを得ました。蹴り入れるのは、セットプレーの鬼・・・右ウィングのクマガイのようです』
レッズのゴールキーパーガ、絶妙のパンチングによってエンドラインを割ったボールを、11番の背番号を付けたクマガイが、コーナーにセットする。
一瞬だけ、スタジアム全体が静寂に包まれ、時が止まったようにイチロウは感じたが、コーナーから超低空で、ボールが蹴り出されると、また、スタジアム全体が大きく歓声に包まれる。
ザスパのミッドフィールダー・7番のリューキが、これをボレーシュートで、ドンぴしゃりと捉えたかと思えた瞬間・・・レッズのゴールキーパー・シマバラが、そのセンタリングのボールを奪い取るように、ガッチリとキープした。
『うぉぉーーーーー惜しい、惜しい、惜しい・・・リューキのボレーシュートは、ゴールキーパーに阻まれてしまったぁ』
実況アナウンサーの悲鳴のような叫びが、イヤフォンから伝わってくる。
「あのシマバラさんの前へ出るタイミングも、すごいよね・・・勇気あるよね・・・だって、ほとんど、ペナルティエリアぎりぎりでしょ・・・キャッチできなかったら、絶対、ゴール決まってたよね・・・すごいよね」
前線に上がって来ていた筈のエイク・ホソガイは、コーナーキックが蹴られる瞬間には、ディフェンダーの定位置まで、下がっている。
レッズのゴールキーパーが、必要以上に高く蹴り上げたゴールキックが、ほぼ中央のセンターラインを大きく越えたかと思った瞬間、放物線を描くボールの最高到達点からの落ち際、ボールの軌道が、大きく変わり、そのボールはレッズの右ウィングの足下に正確にパスされていた。
途端に、スタジアム中が沸き返る。
『レッズ9番・・・ユーコ・ハットリのアクロバティック・パスが、レッズのウィングに渡ってしまったぁ・・・去年まで、ザスパのフォワードを務めていた、ユーコが、ついにここにきて、ザスパに牙をむいたぁ・・・ザスパ、一気にピンチかぁ・・・そして、ホソガイが、レッズのウィングを止めにいくぅ~』
レッズのゴールキーパーが蹴り上げたボールの軌道を変えたのは、ユーコ・ハットリの右足だったが、イチロウは、その軌道を変えた時のプロセスを、ちょうど、眼の前で目撃し、唖然としていた。
ゴールキックが、蹴られた瞬間から前転を開始したユーコの身体が、宙返りを3回繰り返したその3回目の最高到達点で、上空に浮いたボールに対し、ひねりを加えた後方心身宙返りから、オーバーヘッドによる、高速パスを繰り出していたからだ。
「シュートじゃないのが残念・・・でも、すごいでしょ・・・ユーコのパス・・・」
「あんなパスが・・・」
「いきなりやってくれるのが、ユーコのいいとこなんだよね・・・実は、ユーコは、元々、体操選手で、3年前・・・13歳の時、オリンピックで、銀メダルを取ってるんだ」
ハルナが嬉しそうに、解説を始める。
「だから、あの床運動のタンブリングの要素を取り入れた、変幻自在のパスとシュートは、ユーコの十八番なんだよ・・・あの子は、サービス精神旺盛だから、危険な密集状況でなければ、絶対、今日も何回も見せてくれるはずだからね。絶対、眼を離さないでね」
「ハルナは、嬉しそうだな」
「そりゃそうよ・・・だって、ほんとに、ユーコとは、大親友なんだから・・・それに、あれを日本代表のゲームでやってくれると思うと、それだけで、ワクワクしない?」
「ああ・・・俺も、今、一瞬、言葉を失ったよ」
「でしょ、でしょ・・・ほんとに、すごいんだから」
レッズのウィングに渡ったボールは、結局、ザスパのディフェンダーにより阻止され、ザスパボールになっていたが、さっきのユーコのワンプレイの余韻は、まだ続いているようだった。
「さっきの、ホソガイのディフェンスライン押し上げのタイミングも、すごいと思ったけど、サッカーも、確実に進化しているって、実感したよ」
「ユーコのプレイは進化とは、ちょっと違うかも・・・ユーコのプレイを真似できる選手なんて、世界中のどこにも居ないんだよ」
「それを聞いて、ちょっと安心した・・・あれを、全ての世界代表クラスがやってしまったら、もうサッカーとは言えなくなりそうだ」
「そうだね・・・
今のところ、どっちのチームも、持ち味を出してくれてるけど・・・でも、ザスパが凄いのは、なんと言っても、攻めより守り・・・去年も守り中心の、いいチームだったけど、今年も、デフェンダー陣の運動量が豊富で、一瞬たりとも、足を止めないでしょ」
「そうだね・・・」
「あの動きがあるから、相手チームは攻めきれないんだよ・・・それが、ユーコが加入して攻撃陣が厚くなったJリーグ最強のレッズであってもね・・・だから、まず、相手のチームはシュートにいける回数が、すごく少ないの・・・地味だけど、エイクがかけるプレッシャーも、相手チームには脅威のはず」
その時、ザスパのエース番号10番を付けたポンセ選手が、レッズゴールのペナルティエリア付近まで、ボールをキープして、シュート体勢を一瞬取ったかと見えた。
前半15分・・・フェイントにより、レッズのディフェンダーがバランスを崩した瞬間、迷うことのない動きで、ポンセ選手が、強烈なシュートを放つ。
『これも、阻止されてしまったぁぁぁ』
レッズゴールの左上隅を正確に狙ったボールに、レッズ・キーパーが即座に反応する。その大きな手が伸び、パンチングではなく、両手で、そのボールをしっかりとキャッチしたのがわかる。そして、その一瞬後、前転した後でキック体制に入ったレッズ・ゴールキーパーは、迷うことなく、そのボールを最前線まで蹴り入れていた。
そのボールを、やはり、センター付近でカウンターを狙っていたユーコが、上空の高い位置で、キャッチする。今度は、パスはせず、素直に、自分の足下に落とす。
そのボールを、着地の瞬間に、がっちりとキープし、まっすぐな高速ドリブルで、センターバックのエイクに向かっていく。
『これは・・・ホソガイと、ユーコのワンオンワンかぁ・・・ザスパは、ディフェンスラインが崩されていない・・・ユーコが、鉄壁のホソガイをドリブルで突破できるのかぁ』
実況の絶叫は、相変わらず続いてるが、けっして耳障りな実況ではない・・・イチロウも、ボールを、自身の目で、しっかりと追いかける。
エイクの目の前に迫った刹那・・・ユーコは、ボールをリフティングの要領で若干浮かせる。
その浮いたボールを十八番のオーバーヘッドで、シュートではなく真後ろにパスを出す。
ユーコの後方6メートルほどの位置で、マークマンを振り切ってボールを受けた、レッズの10番が、ノーマークのミドルシュートを放つ。
そのミドルシュートに反応したのは、さっきまで、ユーコの眼前に立ちふさがっていたエイクの大きな胸だった。
エイクの胸で、トラップされたボールは、オーバーヘッドパスで、膝を突いていたユーコの脇を、すり抜け、エイクも、自分で蹴り出したボールを追いかける。
膝立ちから立ち上がったユーコが、エイクを追いかけるが、すでに、トップスピードに乗っているエイクには追いつけない。
そのまま、ぐんぐんとレッズゴールまで、ドリブルで運んで行くエイクの姿を眼で追った後で、ユーコは、最前線に留まるように足を止める。
ペナルティエリア付近まで高速ドリブルによる2人抜きを果たしたエイクは、左サイドに、パスを出す。
パスを受けたのは、やっぱりエースのポンセ。
『ホソガイの絶妙なパスが、しっかりとポンセに渡ったぁぁ・・・そして、ゴール前には、ザスパの最強フォワード陣に加えて、リベロのホソガイも、詰めてきているぅう・・・ポンセは、ここで、誰を使うのか?それとも、自ら切り込んでシュートまで行ってしまうのかぁ』
左サイドまで、レッズのディフェンダーを引き寄せたポンセは、エイクとのアイコンタクトの後で、センタリングを上げる。
その高速で放たれたセンタリングのボールを、エイクが、ジャンピングヘッドで合わせにいく・・・
が、相手ディフェンダーの頭のほうが一瞬早くボールを捉え、ゴール前にボールがこぼれる。
その、こぼれたボールを奪ったのが、センタリングから中央に駆け込んできたポンセだった。
次の瞬間・・・時間にして、わずかゼロコンマ何秒・・・
ポンセのヒールキックで、わずか後方に蹴り出されたボールは、フリーとなったザスパ9番のソーマの左足で絶妙にコントロールされて、ゴール右隅に突き刺さっていた。
『ゴール!!ゴール!!ゴール!!・・・決めたのは、ザスパの超特急ウィング・ソーマの左足ぃ~
前半17分!!!ポンセのアシストから、ソーマが、見事なゴールを奪ってくれましたぁ・・・
今年のザスパにとっては、この1点が、完全なる安全マージンだぁ』
「やったぁ」
ハルナも、こぶしを突き上げて、嬉しそうに、椅子から大きなアクションで立ち上がって、喜びを全身で表現する。オーナーシートの全員が、総立ちとなっている。当然、イチロウも、立ち上がってガッツポーズをとる。
ゴールを決めた、ソーマが、まずアシストのポンセとハイタッチを決め、ゴール前からのカウンターアタックを演出するきっかけを作ったエイクと握手を交わした後で、レッズゴール前からメインスタンドまで、走り寄ってきて、お決まりのガッツポーズを取り、スタンドのサポーターとゴールの喜びを分かち合う。
「あのポンセ選手も、けっこう、ハルナの、お気に入りなんだ・・・あのボール持った後のバランス感覚・・・絶妙だよね」
ハルナが、ゴールを決めたソーマ選手よりもアシストしたポンセ選手を先に褒めたことを、イチロウは、ハルナらしいなと、感じていた。