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「イチロウ・・・イチロウ・・・やっとアポが取れたよ。今夜、あたしの部屋に来てくれる?」
この日依頼を受けた配送の仕事を終えて、部屋で一人くつろいでいるイチロウを、ミリーが呼び出した。
「アポっていうと・・・」
「イチロウが会いたがってた彼女だよ・・・自分で頼んでおいて、忘れちゃったの?」
イチロウは、確かにすっかり忘れていたが、ミリーの声の調子から、一人のパイロットを探すことを頼んでいたことを、ようやく思い出した。
「だって、あれから1週間もたつじゃないか。
ミリーは、『彼女ならいつもDGの常連で、あたしが入るときはいつもいるから、すぐに見つかるよ』って言ってなかったか?」
「詳しい話は、後でするからさ。待ち合わせしたのは、20時だから・・・その時・・・
というかさ、イチロウは、GDのID持ってるんだっけ?」
「いや、持ってない」
「それじゃ、彼女に会えないよ・・・今から、あたしの部屋に来て・・・3時間もあれば、とりあえず待ち合わせ場所へ行けるレベルくらいにはしてあげられるから」
「普通の通信では会話できないのか?なんか、面倒くさいから、そっちのほうが助かるんだけど」
「イチロウ・・・だいぶ、こっちの世界に慣れたような言い方ね。この前の週末、ミユイのところへ、届け物した時、なにか良い事あったのかな?」
「それは、内緒だ。もったいなくって、ミリーには言えない」
「とにかく、せっかく、彼女のスケジュールを押さえたんだから、面倒なこと言わないで、約束した場所で彼女と会ったほうが楽だよ」
「それもそうか・・・」
「イチロウだって、ゲームをやったこと、あるんでしょ・・・オンラインゲームも、イチロウの時代にはあったよね」
「まぁ・・・カナエと初めに会ったのは、オンラインゲームだったから」
「そうなんだぁ・・・へぇ・・・その話、後でゆっくり聞かせて」
「それも、もったいなくって話せないよ」
「そんなぁ・・・未来の花嫁に、その態度は良くないぞ、イチロウ」
「誰が、未来の花嫁だ」
「イチロウには言ってなかったけど、エリナが作った未来検索辞書では、あたしが、イチロウのお嫁さんになってるって、はっきり載ってるんだよ」
「どこまで、信憑性があるんだか」
「エリナのこと、疑ってるんだ・・・とにかく、来てね」
「はい、はい」
イチロウは、重い腰を挙げて、ミリーの部屋へ行くことにした。
(オンラインゲームは、余りやりたくないんだけど)
イチロウの『太陽系レース』へのエントリーは、すんなりと済ませることができていた。
元々、フリー参加形式で開始された『太陽系レース』であるため、ライセンスについても、あまり多くの参加規程が設けられているわけではない。
参加者個人の参加規程については、まず、職業ライセンスを持っていることが、絶対条件となっている。いわゆる、無職の者は、このレースへの参加はできない。イチロウの職選びにエリナがこだわったのは、この規定をまずクリアする必要があったからだ。
職業ライセンスの取得については、当然ながら、個人情報と、住民登録が必要となっている。イチロウの住民登録については、まず、生年月日が1992年であり、本籍は、トーキョー・シティのネリマとなっている。これは、行方不明扱いであったイチロウの住民登録をそのまま生かしたもので、捏造したものではなかった。
住民登録上の年齢は、119歳となっているが、全世界で、130歳を越える者も皆無ではないため、そのことについては、特になんの問題もなかった。ただ、レースパンフレットの年齢記載については、さすがに、年齢不詳もしくは、119歳と書くのはおかしいだろうということになり、19歳と記載されることになっている。
この時代のレースカテゴリについては、『太陽系レース』は、他のモータースポーツとは全く異なるレース形式を取るものとなっている。
しかし、地上で開催されるモータースポーツイベントと、明確な棲み分けをしているわけではなく、パイロットが、地上で開催されるレースに参戦する場合もあるし、逆に地上で活躍するプロのドライバーが『太陽系レース』に参戦することも、もちろん無いわけではない。
20世紀・・・1950年から延々と続くF1は、有重力下のガソリンエンジン車の最高カテゴリーとして、今も人気が衰えることはない。むしろ、宇宙開発と自然エネルギー活用による、エネルギー問題が解決されたため、原始燃料を使用するF1にとっては、いかに、ガソリンエンジンの持つポテンシャルを引き出すことができるかをテーマに、究極的進化を遂げたスポーツとして根強い人気を誇り、最新の中継システムとの組み合わせで、よりリアルなドライバー視点映像を楽しめることも可能になり、コンテンツとしても、特に高い人気を誇っている。
特に、F1は、ポルシェを筆頭に、フェラーリやメルセデスといった老舗の自動車メーカーが力を入れているカテゴリでもあり、この年は、14の自動車メーカーが覇を競っている状況となっている。
マシン開発については、当然、有重力下で使用できるマシンと、イチロウが乗る無重力下でのミニ・クルーザーでは、開発コンセプトが、はっきり異なるため、それぞれの技術は別次元のものであるのだが、ことドライバー技術、パイロット技術といった点については、その限りではなく『太陽系レース』参加者が、F1にステップアップしていく傾向が多くなっている。
むしろ、F1までを視野に入れたプロドライバー志願者にとっては、参加しやすい『太陽系レース』で、良い成績を収めることが必須の条件ともなってきているのである。
イチロウが、ミリーの部屋に入っていくと、既に、ミリーが、2台のオンライン端末の準備を済ませて、待っていた。
「準備OKだからさ、さっそく、始めよう」
「ギンは来てないのか?」
「うん、ギンは自分の部屋で寝てる・・・はずなんだけど、よくわからない。そういえば、今日は全然、顔を見てないや」
ギンというのは、宇宙船ルーパス号で、共に生活をしているウルフドラゴンの名前である。
イチロウとミリーは、ほかの仲間と一緒に宇宙船ルーパス号で生活をしている。今は、2111年。20世紀の世紀末に生まれたイチロウであるが、19歳の時の宇宙船事故と、それに伴う一連のアクシデントに巻き込まれた結果、この時代で生活を送ることとなってしまった。
「イチロウにそっくりのキャラメイクにしておいたからね」
11歳のミリーは、無邪気にイチロウに笑いかける。左右で縛り大きなリボンで結びつけた金髪が、ふわふわと揺れる。
ミリーのプライベートルームのメインモニターに写された戦士の甲冑を身に纏った黒髪のキャラクターが、最後の性格設定のためのコマンド入力待ち状態で、一連の挑発するようなエモーションを繰り返している。
「あとは、性格設定するだけなんだけど、適当にやっておくけど・・いい?
どうせ、あの娘と会うためだけの捨てキャラになるんだろうしね」
「まかせるよ」
イチロウが、勝手知ったるといった様子で、部屋の中央の大きなクッションに腰を下ろす。ミリーもその様子を見て、イチロウがかいた胡坐の上に、ちょこんと、その小さなお尻を収める。
「ギンのベッドも、快適だけど、イチロウのクッションも悪くないよね」
ミリーは、手に持ったコントローラで、画面の操作を続ける。
「えっと、イチロウの性格・・・猪突猛進で、正義感が強くて、ヒーロー願望アリ。そして女ったらしの巨乳好き・・・」
「そんな選択肢まであるのか?」
「冗談だよ、冗談。でも、とりあえず、こんな感じでいいと思うけど・・・どっか不満とかあるかな?」
「いいと思うよ」
「じゃ、これで、ログインできるから、ちょっとオープング・イベントでも観てて
あたしも、自分のキャラでログインして、迎えに行くから」
メイン・モニターには、神々が集う真っ白な天空に浮かぶ神殿が映し出されている。
『ゴッド・アンド・デーモンズ・ヴァージョン21』と、このゲームのロゴが現れる。
「イチロウと、このゲームで遊ぶのは初めてだもんね・・・あの娘と約束してるのが、港町のアルカンドの漁師ギルドカフェだから、レベル10くらいにしておけば、問題ないと思うよ」
イチロウが、ミリーが操作するキャラが映されているサイドモニターに眼をやる。
既に、ログインを済ませた、狙撃手の専用装備を身につけたキャラクターが、神殿のとある居室で、アクセサリー装備を選んでいる光景が映し出されている。
「レインボーリボンは持っていかないと・・・あぁあ・・アストロゲートイヤリング欲しかったのに・・・惜しいことをしたな。あそこで、エリナが乱入してこなければ、絶対、ゲットできたはずなのに」
「アストロゲートイヤリングって、狙撃手専用装備だったよな」
「うん、へぇ、意外・・・ちゃんとイチロウも覚えてるんだ」
「そういえば、あいつからニアピン賞をもらう約束・・・あいつ、覚えているかな?」
イチロウとミリーが会おうとしているのは、1週間前の配送の時に、出会った少女・・・ハルナという召喚士・・・リアル世界では、宇宙海賊を相手に賞金稼ぎをやっているという・・・本当か嘘かはまだ確認できていないが、二人は、その少女と会おうとしていた。
「パーティ仲間の話だと、ずっとログインしていなかったらしいから、エリナに殴られて怪我でもしてたのかもね」
仮想現実のゲーム世界の中で、装備を整えたミリーが、テレポートアイテムを使用して、イチロウのいる街へとワープした。
「アルカンドまでは、歩いていくことになるからね・・・イチロウは、そのままの初期装備で大丈夫だから・・・レベル10になったら、あたしが持ってる装備をあげる・・・一応、両手剣だけ持っていれば、この先のエリアの雑兵デーモンは、倒せるから。心配しないで、ついてきて」
「はいはい・・・」
自分そっくりに顔の造作を整えられたキャラの姿を見て、初めは、さほど乗り気ではなかったイチロウも、このGD21のゲーム世界に興味を持ち始めた。
「よくできてる・・・」
「でしょ・・・イチロウが気にいったら、今度は、ミッションに連れて行ってあげるから、しっかりレベル上げておくんだよ」
「ミッションって、ロウムが作ってるシナリオもあるんだよな」
ロウムというのは、一つ違いのミリーの弟で、今日も、ゲーム製作スタッフとの打ち合わせのために出かけていて、ルーパス号を留守にしている。
「来月は、ライヴ・ミッションがあるから、そろそろ、あたしも、やりこんでおかなきゃならないんだ・・・観てくれるみんなに、恥ずかしい戦いをみせるわけにはいかないしね。こう見えても、あたしもプロゲーマーなんだからね」
この時代、生を受けてから6年間の義務教育を経験した少年少女は、職業ライセンスを手にすることが義務付けられている。
ミリーは、ゲームプレイヤーという職業ライセンスを持っていて、定期的に開催されるゲームイベントに参加することで、収入を得ている。ミリーたちプロゲームプレイヤーが、参戦するゲームイベントは、全恒星系でライヴ観戦できる番組コンテンツとしても人気が高く、賭けの対象ともなっている。
チーム同士が対戦するイベントであれば、自分が所属するチームの勝利に賭けることも許されているが、八百長を防ぐために、もちろん、対戦チームには賭けることはできない。
始まりの街の入り口近くの雑兵デーモンたちは、思っていた以上に弱くて、イチロウたちの進路を妨害するものではなかった。
「こいつら、けっこう弱いよな」
「あたしのサポートが抜群にうまいからに決まってるでしょ・・・イチロウ一人だったら瞬殺されても、おかしくないんだからね・・・ちゃんと、感謝しなさいよ」
イチロウの胡坐の上で、振り向かずにミリーは楽しそうに返事をする。
「ハルナと会うことって、エリナは知ってるの?」
ミリーが、ふと疑問に感じて、イチロウに尋ねてみる。
「いや、話していない」
「いいのかな?ちゃんと、何でも伝えておいたほうがいいと思うけどな・・・特に、エリナにはね。『太陽系レース』で勝ちたいなら」
「今のところ、勝ちにはこだわっていないし、特に、金が欲しいわけでもないし、この船は、とっても居心地がいい」
「ミユイに会ってから、イチロウ変わったよね・・・とっても優しくなった」
「そうか・・・俺は、今まで通りのつもりだけど」
「ところで、あたしとの約束はどうしたのかな?」
「ミリーとの約束?」
「ちゃんとエリナにキスしてあげた?」
「・・・ああ、俺が、ミリーとの約束を破るわけないじゃないか」
イチロウは、答えを用意していたかのように、即答した。
「ほんとうかなぁ・・・まぁ、いいや、今度エリナに、確認するから」
「好きにしてくれ」
「エリナがメカニックサポートについてるんだから、たぶん、今回のイチロウに賭ける人は、多いと思うんだよね・・・エリナが去年カゲヤマくんとチーム組んで優勝したことは知ってるよね」
「その話は聞いたし、去年の記録も確認してみた」
「『太陽系レース』は、確かに、パイロットの腕も大切なんだけど、一番注目されるのが、メカニックなんだよ・・・レギュレーションが、ころころ変わるから、それに対処できるメカニックがいるチームじゃないと、勝てないんだ」
「とりあえず、俺の配送の仕事も、楽しくなってきた。ミリーの営業のお陰でもあるけどな・・・今更、レースで勝つ必要はないんじゃないかって思う」
「エリナのために、イチロウには勝って欲しいんだよね・・・去年の優勝者カゲヤマくん・・・そのカゲヤマくんのメカニックだったエリナが、今回、新しいパートナーと参戦するんだから、負けさせたくないと思わない?」
「エリナのために・・・か?
よくわからないが、そういえば、エリナの姿が見えなかったけど、ルーパスにはいないのか?」
「うん、今日は、エリナは、そのカゲヤマくんとデート・・・っていうか、後1週間だからね。彼の機体の調整に行ったはず」
業界最大手の一つでもある配送企業『オータ癒エクスプレス』の地球圏配送ターミナルセンターに、エリナはやってきていた。
そこの宇宙配送船待機所に、エリナは招かれていたからである。
「この前は、優勝おめでとう」
エリナは、出迎えに来たカゲヤマに、そう声をかける。
「ああ・・・こっちのスタッフも、今、ちょうどノリにのってるとこだから・・・次も優勝間違いなしだ」
「そうだね・・・不安要素があるとすれば、カゲヤマくんの浮気癖がバレて、ナビの彼女・・・なんて言ったっけ・・・」
「シマコのことか?」
「うん、その、シマコさんに逃げ出されたりしなければ、問題ないと思うよ、きっと」
エリナは、さほど心配したふうでもなく、ちょっとだけ皮肉となるニュアンスを混ぜてカゲヤマに笑いかける。
「そっちのナビは決まったのか?」
「まだだよ・・・イチロウは、心当たりがあるって言ってるんだけど、そんなに知り合いがいるわけじゃないし、この前、ミユイさんのところに、届け物持って行った時も、断られたって言っていたから・・・
あぁあ、後1週間で、なんとかなるのかなぁ」
「でも、見つからなかったら、エリナが乗るんだろ?」
エリナは、そのカゲヤマの問いかけに、俯いてしまった。
「よっぽど、イチロウがいいんだな。エリナは・・・ずっと、俺が、結婚を申し込んでるのに、はぐらかしてばっかりだったのは、イチロウが目覚めるのを待ってたからなんだろう。
で、目覚めたイチロウは、エリナが望んでいた男だったのか・・・俺としては、そこのところは、是非、確かめておきたいんだけどな」
「おじいちゃんから聞いていた通りだったけど」
エリナが、ぼそりとつぶやく。
「ナビが見つからないほうが、エリナとイチロウの親密度が増す可能性があるってことか・・・
そのほうが、エリナの幸せそうな顔が見られる。
ということは、エリナに惚れてる俺としては嬉しいのかもしれない・・・嬉しくないかもしれない
でも、メカニック不在はきついだろう」
「その時は、その時ってことで・・・」
エリナは、複雑な表情で、やっぱり下を向いている。
「そんなに、あいつが好きなのか?」
エリナは、黙ってコクリと頷いた。
「負けられないな・・・あいつには」
「今回、初参戦だし、とりあえず完走できればいいんじゃないかって思ってる。イチロウも、参加することに意義があるって、暢気なこと言ってるし・・・」
「それは、聞き捨てならないな」
「え?」
「少なくとも、俺と、カナリは、イチロウというか、ルーパスチームが、今回の大会のダークホースになると思っているんだ・・・
本気になってもらわないと困る」
カゲヤマは、にこやかな表情から真剣な表情になってエリナの眼をまっすぐに見詰める。
「そのためには、エリナには、メカニックに専念してもらいたい」
「そうだよね・・・カゲヤマさんは、とにかく、いつも『強いヤツに勝ちたい』って気持ちが一番だもんね」
「そういうこと・・・スポット参戦でも、目立つ成績を挙げてくれれば、シーズン内でのレギュラー昇格もあるわけだし・・・その辺のレギュレーションは、『太陽系レース』の融通が利くところだからな」
イチロウは、ミリーの的確なサポートのお陰で、レベルを11まで上げることに成功し、港街のアルカンドへ到着した。
「とりあえず、約束の時間までは、あと30分くらいあるから、お菓子でも食べて待っていようか・・・そうそう、レベル10の装備出しておくから、イチロウ、なんかお菓子持ってきて」
「なんで、俺が?」
「だって、ギンもエリナもいないから」
「いつも、ギンに持ってこさせてるのか?」
「もちろんだよ・・・」
「ミリーは、大したお姫様だ」
「うん」
「あ・・・ギンがいないからって、あたしにエッチなことしようとしてもダメだよ・・・監視カメラが、ギンに直結してるんだから。憶えておいてね」
「しねぇよ」
イチロウは、膝の上のミリーの身体から、自分の身体を引き離すと立ち上がって、キッチンスペースの棚の中と、冷蔵庫を探り始めた。
「ハルナさん・・・来たよ」
「早いじゃないか」
イチロウが、キッチンスペースから、リビングに眼を向けると、メイン・モニターとサブ・モニターの2つの画面に、共通の姿のキャラクターが現れていた。
ピンク色のナースコスチュームのような丈の短いワンピースにピンク色のブーツ。そして、耳の傍に大き目の羽飾り。首から垂れ下がる豪華なネックレスには、様々な宝石が散りばめられキラキラと輝き、およそ召喚士が身につける装備には見えない。
「こちらの世界では、はじめまして・・・イチロウさん・・・ハルナです」
「はじめまして・・・イチロウ・タカシマです」
「ミリーちゃんとは、何度も会っているから、ごきげんようかな?」
「はい・・・そうね、ごきげんよう」
「ところで、わざわざの、お呼び出しは、この前のバトルの続きでも、ハルナとするつもりなのかな?
ハルナはね、あのバトルで、とても心の中が傷ついてしまったの
だから、ずっと1週間ベッドで寝込んでいたんだよ。ずっと、飲まず食わずだったから、ほら、すっかり顔色も悪いし、体重も30kg以上落ちちゃったし」
とは言われtも、ゲーム内のキャラの顔色や体型が変化するわけではないのだが、ハルナは、大袈裟な落ち込みを表すエモーションと、悲しく泣くエモーションで、その気持ちを表現しているようだった。
ミリーと、イチロウは、このハルナという少女と1週間前に出会っていた。ハルナがミリーとイチロウに挑発を行った形ではあったのだが、その時のバトルの決着は、エリナの機転により勝負つかずとなっていた。
「用があるのは、こっちのイチロウくん」
「なぁに?もしかして、ニアピン賞の催促かな?ハルナは、天邪鬼だから、催促とかされるの好きじゃないんだよね
黙って、ハルナがご褒美をあげるまで待っててくれる人のほうがよかったんだけど・・・
あぁあ・・・残念、催促しちゃったんだ」
「ニアピン賞?」
「ハルナの機体の500メートル以内に弾を撃ち込むことができたら、ニアピン賞って言ったじゃない・・・
もしかして、ハルナの言ったこと忘れてた?」
「もちろん、しっかり、憶えてるよ」
「憶えてるのに、ああいうしらじらしい聞き方するんだ。イチロウくんて最低・・・
で、その最低男さんは、ハルナに、なんのご用でしょうか?」
「今度の『太陽系レース』で、ナビゲータを頼みたいんだ」
「へ?」
「今度の『太陽系レース』で、ナビゲータを頼みたい」
繰り返し言うイチロウの言葉に、ハルナは、今度は無言のままである。
「もう1回言う必要はないよな?」
「だから、絶対、断られるって言ったじゃない」
ミリーが、両手を開いて、オーバーアクション気味に、イチロウに眼を合わせて言った。
「でも、俺には、ほかに、あれほどのパイロット技術を持つ知り合いはいないから」
説得を試みようとするイチロウの言葉に、相変わらず、ハルナからの応えはない。
「ハルナさん、怒ってる?」
「あ・・・はい」
「怒らせちゃったら、ごめんなさい」
「ううん・・・ハルナは、全然、怒ってないから」
「よかった」
「ハルナ・・・感激しちゃって・・・涙が止まらなくて、何も言えなくなっちゃったの」
その予想外の返事に、イチロウとミリーも、少し、戸惑っていた。
「ナビゲータってことは、あのエリナ様も、ハルナのこと、許してくれたってことだよね」
(エリナ・・・さ・ま?)
ミリーが、意外そうに、ゲーム世界に音声を伝えるヘッドレストマイクの音量設定を消音に切り替えて、さらに、言葉を小さくして呟く。
「いや、このことは、エリナは知らない」
ミリーの反応とは異なり、イチロウは、即答する。
「そんなぁ・・・じゃ、もしかして、ハルナが、『ナビゲータのハルナです』って、会いに行っても、エリナ様から無視されちゃうかもしれないじゃないですか?」
「言ってる意味が、よくわからないんだけど」
(イチロウ・・・ハルナさんて、エリナのファンなのかも)
(俺も、今、そうじゃないかって思った)
ミリーは、マイクの消音設定を解除する。
「エリナは、優しいから、絶対、そんなこと言わないよ」
「ああ・・・俺も、そう思う」
「だって、この前の戦いの時・・・賞金稼ぎは、死ぬほど嫌いだって・・・賞金稼ぎなんて、全滅しちゃえばいいんだって・・・
そう言われたから・・・
ハルナだって、別に、好きで、賞金稼ぎやってたわけじゃないんだし・・・お父様が、どうしてもっていうから、アカギとシラネにも頼んで、三人で悪い海賊を退治してただけなのに・・・
エリナ様が、あんなこと言うなんて・・・」
(エリナは、自分のことを棚に上げて、ひどいことを言うんだな)
(そこまでは、言ってないように思えるだけど、なんか、大きな勘違いがあるような気がするのは、あたしの気のせいかなぁ)
「とにかく、ナビゲータにはなってくれますか?」
「はい、エリナ様が、そう望まれるなら、喜んで」
「いや、エリナは・・・」
(ちょっと黙って、イチロウ)
(なんだ・・・?)
(ここは、エリナが望んでるってことにしたほうが、良さそうだからさ)
(でも、バレた時が、ヤバくないか?)
(エリナのことは、イチロウが、説得すればいいんだからさ・・・ちゃんと、キスもしてあげたんでしょ・・・女なんて、好きな男の子の言うことなら、だいたい3パーセントくらいは、言う事聞くから大丈夫だよ)
(エリナには、キスとか、全然してないから・・・)
(え?)
「ハルナさん、イチロウは、ちょっと酸素欠乏症で、3時間くらい前の記憶を失っちゃってるの・・・ハルナさんに、お願いしようって言ったのは、エリナなの・・・だから、お願いします・・・引き受けてください」
「うん、ハルナは、もう、全然100パーセントOKなんだけど、『太陽系レース』って、かなりの人気コンテンツじゃないですか・・・顔出しってことになると、やっぱり、お父様の許可をいただかないと・・・だから今は、お返事できません」
「そういえば、ハルナさんの今日の衣装って、すごいレアアイテムですよね」
(ミリー・・・何を、今頃、見え透いたお世辞言ってるんだ)
(今頃っていうか・・・初めて見た時から、すごいって思ってたんだよぉ)
「やっぱり、ミリーちゃんは知ってるんだ」
「治癒魔法を24人で、4時間以上浴びせ続けないと、ドロップしないという究極の癒し装備ですよね、そのナースコスチュームって」
ミリーは、興奮気味に説明口調で、ハルナに答える。
「着てみる?」
「!!」
「ミリーちゃんなら、信用できるから、貸してあげるよ」
「いいの?」
「貸すだけだし・・・返して貰うつもりだから、いいよ」
言うが早いか、ハルナからミリーにトレードの申し入れがあった。ミリーが、自身のトレードウィンドウを手早く開くと、ミリーの元に、アイテムが、送られてきた。
その中の一つにアストロゲートイヤリングも含まれている。
「ハルナさん・・・」
「約束だからね・・・ハルナは、ちゃんと約束は守るんだよ」
(いい、イチロウ・・・絶対、エリナには、余計なこと言わせちゃダメだよ)
(わかったよ、エリナのことはなんとかする。
冷蔵庫にあったチョコレート・・・食べるだろう)
(どういうタイミングで、チョコを出すのよ?ほんとうに、イチロウは・・・
でも、うん、ありがとう)
ミリーは、イチロウから手渡されてチョコレートを、これ以上ない幸せそうな表情で、口の中に行儀悪く放り込んだ。