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あたしのアンチテーゼ

作者: church


 少女のあたしが、あたしを睨んだ。

 あたしは仕返しに、「かわいいよ」ってあたしに言った。

 あたしがいちばん嫌いな言葉。あたしが、言われ続けた言葉。

 あの夏の花火の夜まで、あたしに対して付けられた言葉を。



 そもそも、「かわいいよ」って言葉が嫌いになったのは、いつだったろう。

 かわいい、かわいいって、誉められてるのは嬉しいはずなのに、

 そのうらがわにある思考が透けて見えるようになったのは、あたしが何人に「好き」って言われた後だったっけ。


 結局、みんなこう思ってるんだと思う。かわいい子にはかわいいって言えばいいんだって。

 あたしが何をしても、何を言っても、何になったって、「かわいいよ」の一言で許せるくらいに、かわいいは正義なんだって。


 あの時だってそうだ、放課後の教室で、クラスメートのカズヤくんにあたしは告白されている最中だったけど、

 彼の口から「かわいい」って言葉が出るたびに、あたしの気持ちは萎えていった。

 あたしはかわいい女の子。この頃流行りの女の子? ついつい反抗したくなる。あたしは唇をひきつらせて、


「そんなに、あたしってかわいいかな? 普通だよ、あたし」

「何言ってんだよ、かわいいじゃん! めっちゃかわいい! もっと自信持っていいと思うけどな、野苺ちゃん。オレ、野苺ちゃんじゃなかったら、好きにならなかったと思うもん」


 へぇ、そうなんだ。それはあたしが、他の女の子より、かわいいから?

 なんて口を挟む暇もないくらい、緊張しているのか、カズヤくんはあたしに好きの言葉を浴びせてきた。

 高校生の夏なんて、三回しかないんだぜ。だったら好きな子と過ごした方がいいに決まってる、オレはそう思っててさ。

 だからこれはオレのエゴで、ホント迷惑かもしれないんだけど、オレ、野苺ちゃんのためなら何でもするから、オレと付き合ってくれないかな。

 友達と遊ぶなら友達優先でいいから。何も束縛する気はないから。たまに一緒にいてくれるだけでもいいから、オレに夢を見せてくれよ。それ くらい オレ野 苺 ちゃんガ


「分かったよ、カズヤくん。じゃあ付き合お。何かしたかったら、メールで呼んでね」



 ノイズの波に押し潰されそうになる前に、あたしは回避のじゅもんを早口に唱えた。

 さらさらと、砂みたいに乾いた声で。でも、カズヤくんにとってはその文章はオアシスだったみたいで、

 「うおーおー!」なんてガッツポーズしながらその場で二回転半して、犬みたいに喜んでくれた。

 あたしもそこまで喜んでくれると、何だか嬉しい気分になった。カズヤくんの瞳に移ったあたしも、薄く微笑んでいただろう。


 さあ、カズヤくんは何日、あたしの機嫌に耐えられるかな。

 したいことはさせてあげるし、望むことはしてあげるけど、

 心底ではキミに何も感じていないあたしに、いったい何日耐えられるかな?



 一日が経った。「かわいいよ」が積まれてきた。

 三日が過ぎた。「かわいいよ」が増え続けた。

 一週間が過ぎた。「かわいいよ」が錆びてきた。

 一ヶ月が過ぎた。「かわいいよ」は飽和した。

 ――明日、花火じゃん。野苺の家、高いとこにあるんだって? 家、誰もいないの? 兄さんはいるけど、親はいないんだ?

 オレ、野苺んち、……行きたいんだけど。いいの? え? よっしゃー! 浴衣とか超見たいし! かわいいだろうなぁ、


「じゃ、また明日な、野苺!」

「うん、また明日ね、カズヤくん」


 明日「まで」ね、カズヤくん。悪いけど、ここまでだね。



 ばん。



 夏の花火の夜、あたしはひとりで縁側に座って、氷砂糖を舐めていた。

 ほっぺたは殴られたから腫れていた。浴衣はちょっと乱れていた。やっぱり、カズヤくんはあたしに氷砂糖を望んでいたのだろう。


 広い縁側は、都会の方からちょっとだけ離れたあたしの家だから用意できる物で、空に咲く火の花は、とてもとても良く見えた。

 まさか殴ってくるとはね、なんて思いながら、あたしはそれを見上げてぼーっとしていた。

 ぱん。ぱんぱん。不連続、不規則なリズムで爆発する、いろとりどり。

 その、何にも考えてないみたいに鳴る音がうるさくなって、時折氷砂糖を噛み砕いては、また袋から取り出して口に含む。


 甘い、甘い、彼の置き土産。こんなもの、あたしはいらなかった。あたしはこんなもの、望んでなかったのに。


 みんながそれを求めてきた。「かわいいよ」とあたしを同一化した。心の中では、嫉妬していた。蔑んでいた。羨望。嘲笑。かわいいよ、「かわいいだけだけど」。

 ……なんで。

 こんなに、こんなの、嫌だと思っていながら、「かわいいよ」って言われるようなことを、あたしは続けてしまっているのだろう。


 腫れた頬をさすりながら、問いの答えは分かってた。

 ぜんぶ、あたしが悪い子だからだ。

 あたしが悪い子じゃなかったら、今ごろ、うまくいってたはずなんだ。


「おい妹。そろそろいいか」


 お兄ちゃんが、ふすま越しに声をかけてきた。あたしの思考は、止みに止まる。

 お兄ちゃんは、冴えない眼鏡をかけた黒髪ショートの文系大学生。大学で怪しいクスリを売ったりしてお金を儲けてる、あたしの近くで最悪の人種だった。

 どうやら、縁側に隠してあるクスリに用があるみたいだった。でもカズヤくんがさっきまで居たから、お兄ちゃんは出てこれなかったのだ。

 あたしは「おっけー」って返事した。

 お兄ちゃんがぶっきらぼうにドアを開ける。

 次にあたしを一瞥して、ちょっと眉をゆがめた。


「痛いか」

「うん」

「また振ったのか」

「うん」


 簡単な質疑応答をしながら、あたしの横を過ぎて縁側の下へ。

 ざくざくと土を掻き分ける音。白い粉を持って、泥まみれで現れる。

 また背が少し伸びたみたいだった。なんだか少し、大きく見えた。なんだか、無理矢理作ったみたいな、無表情。


「またクスリ?」

「ああ」

「へぇ――」

 その時。何だか、花火の裂く音で、あたしの心臓が気まぐれを起こした。

「ねえ、あたしのこと、どう思う?」


 聞いてみたくなった。

 客観的に見て。彼氏を家に連れ込んで、いい雰囲気を作っては、耳元でささやくようにして、別れ言葉を切りつける。

 そんなあたしのことを、どう思っているのか。あたしは、お兄ちゃんに聞いてみたくなったのだ。


「ああ?」

「だから、あたしのことどう思うか。自宅に連れ込んどいて振った女を」

「……お前は」

 お兄ちゃんは、少し考えたあと、返事はやっぱりぶっきらぼうに、

「俺よりは、優しいな。ちょっと遊んだら、相手に空回りを気付かせてやるんだから。俺はもっと酷い。相手がどう空回ろうと知らんぷりだ」


「でもやっぱり、酷い奴なんだ?」


 あたしは笑った。そう言われたのは初めてだったから。みんな気付かなかった。あたしがどんなに意地悪なことをしても、かわいいからって許してくれて。

 つまらなかった。対等じゃないみたいで。

 怒って欲しかったのに。


「酷い奴だよ、お前は。全くかわいくない。殴られて当然だ」


 こういう言葉で、諭して欲しかったのに――



 ばん。



「お兄ちゃん」


 汚れをぱっぱと払って、部屋から出ようとしていたお兄ちゃんを、あたしは呼び止めた。


「何だ妹」

「たべる? こおりざとー」


 舌っ足らずになりながら、最後の一つの氷砂糖を、お兄ちゃんに差し出す。

 ……あたしの舌の上にある氷砂糖。

 少しだけ溶けた、甘くてひんやりするお菓子を。


「何の真似だ」

「さそってるの」


「お前が、俺をか」

「うん」


 浴衣はまだ乱れていた。それも意地悪を加勢する。あたしは舌べろをだらしなく前に突き出す。今度はあたしが、犬みたいだった。ほっぺたはまだ、腫れていた。

 お兄ちゃんは、眼鏡の奥の目をいつもより少しだけ開いて。ぱん、ぱんぱん、って、また聞こえた花火の音と一緒に、冷徹な仏頂面に戻った。


「さっき言っただろう」

「うん」

「俺が最悪に酷い奴で、最低に貪欲な奴だって、さっき言っただろう」

「うん」

「知らないぞ、俺は。どうなっても。俺がお前をどう壊しても。それでお前はいいのか。もう二度と、普通の恋ができなくなっても、いいのか」


 苦い顔で近づいてくる。この距離でも分かる、お兄ちゃんは興奮している。

 「いいよ。お兄ちゃんなら」なんて言ったら、いますぐにでも襲いかかってきそうなくらい。

 本当はもうひとつ知っていた。お兄ちゃんが、昔からあたしをずっと見てたこと。

 あたしから目を離すために忙しさを求めて、クスリに手を染めてしまっていること。

 でもあたしは意地悪で、やっぱり悪い子で、あと舌べろに氷砂糖を乗せてたから、そんなに長い言葉は作れなくて。

 だけど、「いいよ」で。「かわいいよ」の化けの「かわ」が剥がれた、ただの「いいよ」で、伝わった。


「……いいよ?」


 そう、あたしたち。どうせ、どっちも、酷い奴なんだから。

 酷い奴同士は酷い奴同士で……どこまで非道くなれるのか、やってみるのも、「悪い」んじゃないって。


「そうか。こりゃ――祝いの言葉が必要だな」


 もう、少女ではいられない。

 氷砂糖みたいに甘い恋はもう出来ない。

 汚いものをぶつけ合って、二人だけのゴミ箱に、言えない秘密を投げ込んで、

 唾液や、汗や、体液みたいな、ともすれば苦い味しかしない調味料を添えて。


 あたしたちはきっと、熱くて濁った、泥みたいな味に堕ちるんだ。


「最高に醜いぞ、妹」

「しねばいいのに、お兄ちゃん」


 そんな予感を、感じながら。

 あたしとお兄ちゃんは、氷砂糖の味を、ふたりの舌で確かめた。


 その夜、あたしたちは、お互いを褒め合った。ついでのように慰め合って、それよりさらに、罵り合った。

 少女のあたしはもう、あたしを睨むことしかできない。でもクラスメートのみんなは、そんなこと知らない。


 この、優越感。

 醜い背徳感。

 あたしがいちばん、欲しかったモノ。

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