聖地の離宮
私が離宮に押し込められてから、一月以上が経った。
侍女たちは皆、私の顔を見るなり「あ、悪魔だ……」「近寄るな、理性が溶ける……」と呟いて逃げ出し、今や廊下で私とすれ違う者さえいない。
ああ、徹底的な無視。孤独。存在の否定。
なんて素晴らしい。世界に私一人しかいないようなこの疎外感、まさに極上のデザートだわ。
……と思っていたのだけれど。
ある夜のこと。
寝付けない私は、月明かりに照らされた庭を眺めていた。
すると、漆黒の夜の帳に紛れて、カサカサと怪しい人影が動いているのが見えた。
「あら……。ついに、私を暗殺しに来たの? 『お前のような汚らわしい女は、この世にいてはいけないんだ!』って叫びながら、銀のナイフで私の胸を貫いてくれるのかしら!?」
私はボルテージが振り切れる興奮を抑えきれず、パジャマのまま庭へと飛び出した。
そこには、高級そうな外套を深く被った集団が、円陣を組んで跪いていた。
「さあ、来なさい! 私を殺して! ゴミのように捨てて!」
私が叫ぶと、集団が一斉に顔を上げた。
そこには、王都でも名だたる高位貴族たちの姿があった。……それも、皆一様に、頬を赤らめ、潤んだ瞳で私を見つめている。
「……しっ、静かに! ノノシリーナ様、声が大きすぎます!」
「……え? バルカス伯爵? それに、隣にいるのは文官のロドリゲス?」
「……お呼び立てして申し訳ありません。我々は……我々は、あなたの噂を聞いて、居ても立ってもいられず駆けつけたのです」
バルカス伯爵が、震える声で告白した。
「『私を罵りなさい!』と叫び、第一王子の婚約破棄を最高の快楽として受け入れた、伝説の聖女……いえ、聖ドM。あなたのその気高き変態的精神に、我々隠れドM貴族は救われたのです!」
……なんですって?
「……聞いてください。我々貴族は、日頃から民を導き、威厳を保たねばなりません。ですが、本当は……本当は、誰かに『この無能な税金泥棒め!』と罵られたい! 泥水をぶっかけられて、自分のちっぽけさを痛感したいのです! ですが、そんなことを頼める相手などどこにもいない……!」
「そうです! 妻には『頼もしい夫』を演じ、部下には『厳格な上司』を演じる毎日……。もう、心が限界だったのです!」
次々と吐露される、エリートたちの悲痛な叫び。
彼らは私の足元に跪き、まるで神託を待つ信者のように私を見上げた。
「ノノシリーナ様! どうか、我々に『聖なる辱め』の儀式を授けてください! あなたが離宮で行っているという、あの『セルフ罵倒』の極意を!」
私は驚愕した。
まさか、私の趣味がこれほどまでに世の紳士淑女たちを救うことになるとは。
けれど、同じ志を持つ同志を見捨ててはおけない。私は彼らを庭の奥へと導き、密やかな「聖なる辱め(セルフ罵倒)の会」を発足させた。
「……いいですか、皆様。まずは自分の胸に手を当てて、自分がどれほど『救いようのない存在』であるかを、声に出して認めるのです。はい、バルカスから」
「……わ、私は……私は、金勘定しかできない、腹黒い守銭奴のブタです……っ!」
「いいわ、バルカス! もっと自分を卑下して! 『私の存在価値は、道端の石ころ以下だ』って、魂から叫ぶのよ!」
「あああ……っ! 私の存在は石ころ以下! ただの、ただの脂ぎったゴミです!!」
深夜の離宮の庭に、貴族たちの「私はゴミです!」「私を蔑んで!」という、この世のものとは思えない素晴らしい合唱が響き渡った。
彼らは涙を流しながら抱き合い、日頃のストレスを快感へと昇華させていった。
翌日から、奇妙な現象が起こり始めた。
離宮の門前に、匿名の「差し入れ」が山のように届くようになったのだ。
それも、ただの食料ではない。
最高級のシルクの寝具、金箔入りのワイン、エキゾチックな香木、さらには「これでさらなる刺客を招かれるよう、屈辱的な自炊生活を楽しんでください」という添え書きと共に贈られた、伝説の魔獣の肉。
「……ねえ、アリス。この部屋、なんだか以前より豪華になっていないかしら?」
私が尋ねると、新しく補充されたばかりの侍女(すでに目が泳いでいる)が、引き攣った笑いで答えた。
「……は、はい。閣下や伯爵家の方々から、『ノノシリーナ様の苦難(という名のバカンス)を支えたい』とのことで、家具一式が最新のものに入れ替えられました。……正直、王宮の本殿より豪華です」
見れば、蜘蛛の巣だらけだった天井にはクリスタルのシャンデリアが吊るされ、冷たかった石床には毛足の長い絨毯が敷き詰められている。
……いけない。これでは、私の「惨めな軟禁生活」が台無しではない。
けれど、私はふと考え直した。
これほどまでに豪華な部屋に、婚約破棄された「汚れた王女」が住んでいる。
この「矛盾」こそが、新たな罵倒を生むのではないかしら?
「……ふふ。そうよ。こんな贅沢な暮らしをしていれば、必ず誰かが嫉妬しに来るわ。『この税金泥棒!』『追放された自覚があるのか、この恥知らず!』って、真っ赤な顔をして怒鳴り込んでくる、心が汚染した英雄達が現れるはず……!」
私は、窓の外を眺めながら期待に胸を膨らませた。
今のところ、訪ねてくるのは「私も混ぜてください……」と弱々しく門を叩く隠れドM貴族ばかりだけれど。
そんなある日。
豪華になった離宮の門を、荒々しく叩く音が響いた。
「ノノシリーナ王女! 貴様、こんなところで何をしている!」
この声は……!




