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卑弥呼の最期

倭の国は、狗奴国くなこくとの激しい戦乱の只中にあった。 卑弥呼は、自らの身体がもはや鏡の力を宿す器として限界を迎えていることを悟っていた。 邪馬台国の中心部、かつて神聖な儀式が執り行われた祭壇は、今は血と煙にまみれている。狗奴国の兵たちが、ついに卑弥呼の居所へと踏み込んだのである。 卑弥呼は、ただ一人、祭壇の中央に静かに座していた。その手には魏から贈られた、今はひび割れて見る影もない銅鏡が握られている。



「ここにいたか、妖術使いの女王め!」 狗奴国の兵たちが、卑弥呼を取り囲む。その瞳には、得体の知れぬ力への恐怖と、長年の憎悪が入り混じっていた。



---


「愚か者たちよ……。

貴様らが求めるものは、この肉体にはない」


卑弥呼の声は、驚くほど澄んでいた。

戦の喧騒の中で、ただそこだけが切り取られたかのように静まる。


狗奴国の兵の一人が、思わず後ずさる。


「戯言を……!

貴様の妖術が、この国を縛ってきたのだ!」


卑弥呼は、ひび割れた銅鏡を見下ろした。

そこに映るのは、王でも神でもない、ただの老女の顔。


「この鏡は、

もはや何も映さぬ」


指先で、静かに鏡を撫でる。


「だが、人は映したものを

信じ続ける」


卑弥呼は顔を上げ、兵たちを見渡した。


「恐れよ。

だが――

恐れる相手を、間違えるな」



---


最期の託宣


卑弥呼は、最後の力を振り絞るように、言葉を紡いだ。


「倭は、

一つでは生きられぬ」


兵の一人が叫ぶ。


「何を言っている!」


「神を殺せば、

王になれると思うな」


卑弥呼の視線が、奥――

まだ姿を現さぬ卑弥弓呼の方向を射抜く。


「力で得た国は、

力で奪われる」


息が、浅くなる。


「だが……

言葉で得た国は、

影となって残る」


鏡が、かすかに鳴った。


ひびが、一本、二本と広がる。


「……私の名を、

神話にせよ」


卑弥呼は、微かに笑った。


「それでよい。

それが、倭を守る」



---


鏡の崩壊


「もういい!」


怒号とともに、兵が槍を突き出した。


その瞬間。


卑弥呼は、銅鏡を高く掲げ――

床へと落とした。


乾いた音。


鏡は、砕けた。


光はない。

炎もない。


だが――

何かが、終わった。


兵たちは、凍りついた。


妖術は起こらない。

呪いもない。


ただ、

ひとつの時代が、

静かに息を引き取っただけだった。


卑弥呼は、そのまま崩れ落ちる。


誰も、追い打ちをかけなかった。



---


その後


卑弥弓呼は、やがて祭壇に立つ。


彼は、砕けた鏡を見下ろし、言葉を失った。


(……これが、

俺が倒したものの正体か)


神は、いなかった。

だが――

神を必要とした時代は、確かに存在した。


卑弥弓呼は王となる。


だが、彼の治世に、

卑弥呼ほど語られる言葉は生まれなかった。



---


余白


後の世、人々は語る。


卑弥呼は、

神であったと。


あるいは、

巧みな巫女であったと。


だが、真実は一つ。


彼女は、

倭が生き延びるために、

神であることを引き受けた人間だった。


砕けた鏡の欠片は、

やがて土に埋もれる。


だが、

その「映らなくなったもの」こそが、

この国の始まりとなった。


――倭は、

こうして歴史へ沈み、

そして、次の時代へと続いていく。







燃え盛る神殿の裏手、崩れかけた回廊を、卑弥呼の弟が必死の形相で駆けていた。その腕の中には、まだ幼い少女、台与とよが抱えられている。

「……姉上……」

弟は、背後で神殿が光に包まれ、崩落していく様を震える目で見届けた。台与の瞳には、燃える邪馬台国の炎が、まるであの銅鏡のような輝きを持って映り込んでいる。


足を止め、振り返る。

神殿は、もはや形を保っていなかった。

柱は倒れ、屋根は崩れ、祭壇のあった場所は白熱した光に呑まれている。

そこに、巫女王の姿はない。

弟は歯を食いしばり、台与を強く抱き寄せた。

「見るな」

だが、遅かった。

台与の瞳には、燃える邪馬台国の炎が映っていた。

それは、かつて銅鏡が映していた光と、あまりにもよく似ていた。

「……あれ、なあに?」

幼い声だった。

恐怖よりも、問いの色が強い。

弟は答えられない。

代わりに、静かに言った。

「……終わったものだ」

「おわり?」

台与は、炎から目を離さない。

「ううん」

小さく、しかしはっきりと首を振る。

「……うつってる」

弟の胸が、凍りつく。

「なにが、だ」

台与は、自分の瞳を指さした。

「ひかり。

ここに」

炎が、彼女の黒い瞳の奥で揺れていた。

恐れでも、狂気でもない。

受け取ってしまった者の静けさだった。

その時、遠くで鬨の声が上がる。

狗奴国の兵たちが、勝利を叫んでいる。

弟は、悟った。

(姉上は……

この子に渡したのだ)

神でも、鏡でもない。

役割だけを。

「いいか、台与」

弟は、低い声で言う。

「お前は、

何も見なかった」

台与は、しばらく考え――

そして、頷いた。

「……でも」

小さな手が、弟の衣を掴む。

「わすれないよ」

その一言が、

卑弥呼の託宣よりも、重く胸に落ちた。

夜明け前、二人は森へ消えた。

邪馬台国は、灰となり。

巫女王は、神話となった。

だが――

鏡は砕けても、映す役目は終わらない。

数年後。

倭の諸国が再び争いに疲れ果てた時、

人々は、こう囁き合う。

「卑弥呼の、後継がいるらしい」

「名は……台与、と」

その名は、

まだ幼く、

まだ脆く、

だが確かに、時代の闇に光を映していた。

燃える神殿の夜は、終わった。

物語は、

ここから静かに、次の巫女へと移っていく。

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