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卑弥呼 司馬懿の策略

その夜、宮は灯を落とした。

火は三つだけ。

天、地、人を象る位置に置かれ、他の光はすべて闇に沈められる。

卑弥呼は白い衣をまとい、玉座ではなく祭壇の前に座していた。

王ではなく、巫として。

難升米が、慎重に進み出る。

手にするのは、金印と詔書。

「魏皇帝より――

『親魏倭王』の号を賜ります」

その瞬間、巫女たちが一斉に鈴を振った。

音は旋律ではなく、揺らぎだった。

人の耳を越え、神へ届くための音。

卑弥呼は目を閉じる。

彼女の唇が、ほとんど動かぬまま言葉を紡ぐ。

「天は、海を越えた」

火が揺れ、影が壁に歪む。

それはまるで、別の存在がそこに立ったかのようだった。

卑弥呼はゆっくりと金印を受け取る。

その重みを、掌で確かめる。

「これは命か」

誰にともなく、問いかける。

「それとも、鎖か」

巫女長が答える。

「鎖は、繋ぐもの。

命もまた、繋ぐものにございます」

卑弥呼は微かに笑った。

「ならば、これは神の意」

そう宣言し、金印を額に当てる。

その瞬間、巫女たちは伏し、誰も顔を上げなかった。

この国に、外の神が入ったことを、皆が理解していたからだ。

反発する豪族 ― 「魏の王」とは何か

東の地。

古くから力を持つ豪族・狗古智卑くくちひの館。

男たちは酒を飲み、声を荒げていた。

「親魏倭王だと?」

「海の向こうの皇帝が、我らの王を決めるだと?」

狗古智卑は、黙って杯を置いた。

「卑弥呼は、神と語る女だ。

それは認めよう」

低い声。

「だが――

神は、魏にいるのか?」

沈黙。

「今日までは、卑弥呼の力は倭の内にあった。

だが今は違う」

男の目が鋭くなる。

「次は何だ。

魏の暦か?

魏の法か?

魏の軍か?」

誰も答えられない。

「これは称号ではない」

狗古智卑は立ち上がった。

「始まりだ」

彼は知っていた。

剣を抜く前に、すでに戦は始まっていることを。

「卑弥呼が神を語るなら、

我らは血を語るしかない」

外では、風が木々を揺らしていた。

その音は、遠い戦鼓のようだった。

難升米 ― 気づいてしまった男

夜更け。

難升米は一人、倉の前に立っていた。

持ち帰った宝――絹、鏡、金印。

魏の威光。

だが、胸の奥が冷えていく。

(俺は……何を運んだ)

魏の軍勢を思い出す。

司馬懿の目。

洛陽の石。

(これは贈り物じゃない)

難升米は金印を見つめる。

(これは、道だ)

一度踏み入れれば、戻れない道。

卑弥呼はそれを理解した上で受け取った。

それも分かる。

だが――

「俺は、橋になってしまった」

橋は、渡られる。

踏まれる。

そして、壊される。

難升米は静かに頭を下げた。

「女王よ……

あなたは正しい」

声が震える。

「だが、正しさは――

血を呼びます」

闇の向こうで、雷が鳴った。

まだ雨は降らない。

だが、もう避けられない。






一方司馬懿


五丈原に立つ風は、すでに血の匂いを失っていた。

諸葛亮――孔明は死んだ。

それは勝利ではない。

時代が一つ、終わっただけだ。

司馬懿は陣中で地図を広げる。

蜀の地は、もはや赤く塗られることはない。

彼の視線は、自然と南へ落ちた。

呉。

長江。

水。

湿地。

疫。

「……最も攻めにくい国が、最後に残ったな」

魏の騎兵は強い。

歩兵も整っている。

だが――

川を越えられぬ。

司馬懿は指で長江をなぞる。

その指が、やがて海へと伸びた。

「陸の戦ではない」

呟きは、確信に変わる。

「これは、水の戦だ」

司馬懿の策 ― 倭を“軍”として使う

夜、密議。

集められたのは、信頼する参謀のみ。

司馬懿は言葉を選ばない。

「呉を落とすには、常識を捨てる必要がある」

誰かが問う。

「新兵器でしょうか」

「違う」

「大船団ですか」

「それでもない」

司馬懿は静かに言った。

「異国の兵だ」

空気が凍る。

「倭――

海の向こうの民」

ざわめき。

「彼らは小国ではあるが、

海を恐れぬ」

司馬懿は淡々と続ける。

「公孫氏を揺さぶり、

遼東の海を越え、

魏の都まで使節を送り込んだ」

それは誇張ではない。

事実の列挙だ。

「彼らは“航海そのもの”を兵站として持つ」

誰かが小声で言う。

「だが……異民族を戦に使えば、制御が――」

司馬懿は即答した。

「制御する」

視線が鋭くなる。

「だからこそ、

『親魏倭王』を与えた」

沈黙。

「倭の兵は、魏の旗の下で戦う。

それは征服ではない」

一瞬、間を置く。

「信仰だ」

卑弥呼 ― 神託としての戦

倭国。

卑弥呼は独り、夜の海を見ていた。

月が波に砕ける。

その背後で、難升米が跪く。

「魏より……密書が届きました」

卑弥呼は振り返らない。

「読まずとも分かる」

静かな声。

「戦だ」

難升米の喉が鳴る。

「司馬懿は……

倭の“海の兵”を、

長江へ投入したいと」

卑弥呼は、しばらく沈黙した。

やがて、低く言う。

「神は、道を選ばぬ」

彼女は巫であり、王だ。

だが今、その両方が試されている。

「倭は、海で生きてきた」

卑弥呼はゆっくりと振り向く。

「海で戦うことを、

誰が咎められようか」

難升米は、耐えきれず声を上げた。

「女王……!

これは魏の戦です。

倭の血を、魏のために流すのですか!」

卑弥呼の目が、初めて揺れた。

「……違う」

彼女は言い切る。

「これは、倭が大陸の歴史に入る戦だ」

その一言で、難升米は理解した。

――もはや、戻れない。

呉 ― 不穏な噂

建業。

孫権のもとに、奇妙な報が届く。

「魏が……

異国の船団を集めていると」

「異国?」

「倭と名乗る者ども」

孫権は眉をひそめる。

「倭……?

聞いたことがある」

側近が言う。

「海の民です。

船を獣のように操るとか」

孫権は長江を見やる。

「……長江は、我らの城だ」

だが、胸の奥に、冷たいものが走る。

城は、

外から攻められるとは限らない。

司馬懿の独白

洛陽。

司馬懿は一人、灯を見つめる。

「孔明よ」

もういない相手に語りかける。

「お前は、人を読み切った」

杯を置く。

「だが――

時代は、人だけで動かぬ」




北九州の諸王は「大陸の戦に巻き込まれる」と猛反対したが、卑弥呼は鏡の儀式で得た圧倒的な権威をもって彼らを沈黙させた。

「これは侵略ではない。我らが日の昇る国であることを、大陸の果てまで知らしめる遠征である」

こうして、倭国の丸木舟を大型化したような独特の構造を持つ軍船が、魏の技術を加えられ、大陸へと向けられた。



洛陽・東府 ― 勅令という刃

潮の香りは、確かにそこにあった。

石と墨と血の匂いに慣れた洛陽の政庁に、

海の気配が紛れ込む。

司馬懿は、ゆっくりと振り返った。

立っていたのは、若い宦官。

その背後に、曹爽の側近たち。

手には、黄金で縁取られた詔書。

「仲達殿」

宦官が声を張る。

「皇帝陛下の勅命により――

東夷の兵を動員する件、

すべて中止とする」

殿内が、凍りついた。

司馬懿は詔書を見ない。

視線は、宦官のさらに奥――

曹爽の影を見据えていた。

「理由は」

短い問い。

宦官は詔を読み上げる。

「曰く――

司馬懿、鬼道を信じ、

蛮族を用い、

国庫を空費し、

私的軍勢を養わんとす」

最後の一文が、意図的に強調された。

「……私兵」

司馬懿は、かすかに笑った。

「その言葉を選んだのは、何晏か」

宦官は答えない。

答える必要がないからだ。

曹爽の恐怖

別室。

曹爽は歩いていた。

止まれない。

(遼東を平定し、

蜀を封じ、

今度は呉、

その次は倭……)

頭の中で、司馬懿の影が膨張する。

(異民族の兵。

海を渡る軍。

魏の制度に縛られぬ力)

それは、皇帝すら要らぬ力だ。

何晏が、低く囁く。

「仲達は、賢すぎます。

賢者は、いつか皇帝を不要にする」

曹爽は歯を食いしばる。

「だから止める。

今、ここで」

司馬懿 ― 退かぬという選択

政庁。

司馬懿は、ようやく詔書に目を落とした。

「……なるほど」

そして、静かに言う。

「では、遼東の平定は?」

宦官が詰まる。

「そ、それは……

すでに完了しておりますゆえ……」

「では、倭国との盟約は?」

沈黙。

司馬懿は畳みかける。

「親魏倭王の号は、

皇帝自ら与えたものだ」

一歩、前に出る。

「それを今さら、

『鬼道に惑わされた』と?」

空気が軋む。

司馬懿は、声を落とした。

「これは、戦の是非ではない」

一字一字が、重い。

「権力の恐怖だ」

宦官の顔が青ざめる。

「曹爽は、

私が“海”を持つことを恐れている」

一瞬の沈黙。

「……だが」

司馬懿は、詔書を丁重に返した。

「勅命には、従おう」

その言葉に、周囲が安堵する。

――だが。

司馬懿の目は、何も譲っていなかった。

難升米 ― 洛陽に立つ「海の使者」

そのとき。

殿の外から、声が上がった。

「倭国使節、難升米。

拝謁を願い出ております」

ざわめき。

司馬懿は、初めて表情を変えた。

「……入れよ」

難升米は、潮に濡れた外套をまとっていた。




司馬懿と曹爽はお互いを探る。


「大将軍。これは倭国の女王、卑弥呼が献じた精鋭にございます。彼らは海を歩くが如く船を操り、泥濘の中でも魚のように動く。これを用い、呉の背後を突く……これぞ呉を根絶やしにする私の秘策にございます」 


「ほう、呉をか」

曹爽の目がぎらりと光った。司馬懿はわざとらしく、困惑を装いながら言葉を継ぐ。


「……ですが、この策はあまりに危うい。波濤を越えるは難事。やはり、この兵たちは私に預けられ、時を待つのがよろしいかと。大将軍のような高貴なお方が、このような得体の知れぬ『鬼道』の徒を扱うのは、いささか危険すぎますな」

司馬懿の言葉は、完璧な「毒」であった。

「司馬懿が独り占めしようとしている」「司馬懿にしか扱えない兵」――その響きが、曹爽の劣等感と功名心に火をつける。

「ふん、仲達殿。貴殿は少々、慎重が過ぎる。呉など放っておけ」




曹爽は立ち上がり、壁に掛けられた巨大な地図を指差した。その先にあるのは、険峻なる山脈に守られた地、蜀である。

「先帝(曹叡)の悲願は蜀の平定。この倭国の兵……聞けば死をも恐れぬ狂戦士だというではないか。これを我が軍の先鋒に据え、一気に駱谷道を突破する。山を越えるも海を越えるも同じことよ!」

「……しかし、彼らは南方の民。寒冷な山岳地帯では……」

「黙れ! 私の裁定に異を唱えるか!」

司馬懿は床に伏し、表情を隠した。その口元には、冷酷な弧が描かれている。

(……かかったな、愚か者が)

司馬懿は知っていた。蜀への道は「鳥道」と呼ばれるほどの絶壁である。海を愛する倭兵をそこに放り込めば、軍は混乱し、補給は途絶え、曹爽の軍事的権威は失墜する。

司馬懿にとって、卑弥呼から贈られた兵も、金印も、すべては曹爽を破滅させるための「撒き餌」に過ぎなかった。

その時、ずっと沈黙を守っていた難升米が、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は、司馬懿の内心を見透かすように、底知れぬ光を湛えている。

難升米の胸元で、卑弥呼から託された銅鏡が、洛陽の陽光を反射して不気味に輝いた。

(司馬仲達……お前の描く『盤上』、果たしてすべてお前の思い通りに行くかな?)

二人の狐と、遠き地に座す鬼の女王。それぞれの思惑を乗せた魏の軍勢が、地獄の待つ蜀の山々へと動き出したのである。。

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