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修羅と静寂


ヒミコは、他の子供たちとは明らかに異質であった。

言葉を覚えるよりも先に、彼女は「風の言葉」を理解しているかのようだった。他の童たちが泥遊びに興じる中、彼女はひとり森の入り口に座り込み、ざわめく木の葉と対話するように首を傾げていた。その周囲には、なぜか警戒心の強い野鳥や獣が集まり、静かに彼女を囲んで蹲っていたという。

彼女が七歳になった頃、その特異な力は「予言」として現れ始める。

ある晴天の日、ヒミコは突如として遊びを止め、空を仰いで「火の雨が降る」と呟いた。大人たちが訝しんでいると、数刻後、遥か彼方の山が火を噴き、降灰が村の田畑を真っ黒に染め上げた。またある時は、村の有力者の死を数日前から言い当て、人々の背筋を凍らせた。

救われた人々は彼女を「生き神」と崇めたが、同時に、そのあまりに澄んだ琥珀色の瞳に、言いようのない畏怖を抱くようになっていった。畏敬はやがて距離を生み、彼女の周りからは次第に子供たちの姿が消えていった。

「私は、皆と同じではないのか」

その寂寥さえも糧にするかのように、彼女は次第に人里離れた社で、独り神の声を聴くことに没頭していった。それは、後に倭国を統べる女王としての、孤独な運命の始まりでもあった。








十六歳を迎えたヒミコは、自らの内に胎動する膨大な力を制御し、神気へと昇華させるため、日向の最深部、高千穂の霊峰へと分け入った。そこは天孫降臨の伝承が息づく神域であり、常人ならば足を踏み入れるだけで生気を吸い取られるほどの、濃密な霊気に満ちていた。

彼女は切り立った断崖に口を開く、陽光の届かぬ寒冷な洞窟を修行の場に定めた。

そこで行われたのは、「聴天」。

五感を極限まで削ぎ落とし、大地の鼓動と、天空を巡る「気」の流転のみを感じ取る過酷な修練である。彼女は洞窟の奥底で、一滴の雫が岩を穿つ音に万物の理を聞き、己の心臓の鼓動を大地の震えと同期させていった。

「目で見れば迷い、耳で聴けば惑う。心の中にある『鏡』を磨きなさい」

夢幻の中に現れる古の巫女の霊に導かれ、彼女は不眠不休で食を断ち、凍てつく滝に打たれ、深い瞑想の淵へと沈んでいった。数ヶ月が経つ頃には、彼女の肌は透き通るように白くなり、その存在そのものが陽炎のように揺らめいて見えたという。




入山から一年。ヒミコの肉体には、もはや人としての限界を超えた神秘的な変容が訪れていた。

彼女の指先が触れれば、季節外れの枯れ木に瑞々しい花が咲き、彼女が溜息をつけば、洞窟内には真珠色の霧が立ち込めた。彼女が歩けば、その足跡からは青々とした草が生え、荒れ果てた山道が生命の息吹で満たされた。それは、彼女の精神が自然界の波動と完全に調和シンクロし始めた証左であった。

ある時、高千穂の森を領する巨大な黒熊が、飢えに狂って彼女の背後から迫った。その咆哮は山を揺らしたが、ヒミコが静かに目を開き、その琥珀色の瞳で一瞥すると、猛獣は瞬時に牙を収めた。それどころか、慈愛に満ちた母を前にした赤子のごとく、その場に跪き、低頭したという。

「生きとし生けるもの、すべては一つの大きな流れの中にあります。争う必要はありません」

彼女の言葉は、もはや音声としてではなく、魂を震わせる「波動」として万物へ伝播するようになっていた。鳥は歌うのを止め、風は凪ぎ、森全体が彼女の意思に耳を傾けた。これこそが、後に諸国の王たちを心服せしめる「鬼道きどう」の真髄であった。





高千穂での峻烈な修行を終え、ヒミコは日向の広大な平野、西都原へと降り立った。

そこには、彼女の神威を聞きつけた幾千もの民が、病や戦乱の苦しみから救いを求めて雲霞うんかのごとく集まっていた。当時の倭国は小国が乱立し、血で血を洗う抗争が絶えない暗黒の時代であった。

ヒミコは群衆の前に立ち、研ぎ澄まされた霊力を披露した。

彼女が天に向かって青銅の鏡を高く掲げると、厚い雲を割って差し込んだ一筋の陽光が鏡面に反射し、大地を清める聖なる火柱となって燃え上がったのである。その光は数里先からも視認できるほど強く、人々の心にある恐怖や憎悪を焼き尽くしていった。

「私は高千穂の嶺より教えを得ました。この地こそが、太陽の恩恵を最も深く受ける聖域。ここに、誰もが飢えることなく、争うことのない、大いなる『和』の国を築かん」

その瞬間、西都原の天空には、日中であるにもかかわらず巨大な日輪ひのわと、それを取り巻く美しい彩雲が顕現した。民は一斉にその場に平伏し、涙を流して彼女を讃えた。

ヒミコの内にあった「人知を超えた力」は、孤独な修行を経て、一国を導き統べるための「王の威光」へと昇華を遂げたのであった。

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