皇帝の宣戦布告
皇帝の宣戦布告
西暦265年。洛陽。
司馬炎は、魏の皇帝・曹奐から禅譲を受け、ついに初代晋皇帝として即位した。
壮麗な宮廷には万雷の拍手が響き、司馬氏の栄華はここに極まった。
「ついに、祖父上と父上の夢を叶えた……」
玉座に座る司馬炎は、自らの掌を見つめた。そこには、父・司馬昭から譲り受けたあの「鏡の欠片」が隠されている。天下は我が手にあり、もはや恐れるものなど何一つないはずだった。
「陛下、東方の倭国……女王・台与より、即位を祝す献上品が届いております」
張政の声が響く。司馬炎は不敵に笑い、頷いた。
「ふん、冊封の檻に大人しく収まったか。よかろう、運んでこい」
しかし、運ばれてきた木箱が開かれた瞬間、広間の空気は氷結した。
そこにあったのは、黄金でも錦でもなかった。
それは、「磨き抜かれた円鏡」。しかも、その鏡面にはかつて司馬懿がつけたはずの亀裂と、全く同じ形の「赤い筋」が、まるで血管のように浮かび上がっていた。
司馬炎が鏡を覗き込む。そこには、皇帝の装束を纏った自分の姿ではなく、**「血の海に沈む洛陽」と、「自らの子孫たちが互いの喉を掻き切る凄惨な光景」**が映し出されていた。
「……っ!!」
司馬炎は思わず鏡を蹴り飛ばした。鏡は床を転がり、不気味な光を放ちながら、司馬炎の足元でぴたりと止まった。
「台与め……! 我が晋の始まりの日に、このような呪いを送りつけてくるとは!」
司馬炎の顔から余裕が消え、司馬一族特有の、狂気を孕んだ執念がその瞳に宿った。
彼は傍らに控えていた張政を、激しい眼光で射抜いた。
「張政よ。貴公はかつて、あの娘の覚醒をこの目で見たと言ったな」
「は、はい……。あの力は、人知を超えたものでございました」
「もはや生かしておけぬ。冊封などという温い檻はいらぬ。……張政、命ずる。再び東へ渡れ。今度は使者としてではない。**『征伐の先導役』**としてだ」
張政は息を呑んだ。
「陛下、それは……邪馬台国を、滅ぼせと?」
「そうだ。あの国を、あの血筋を、そしてあの鏡の記憶を、この地上から一欠片も残さず消し去れ。男は殺し、女は奴隷とし、神殿は灰にせよ。台与の首をこの洛陽の門に晒すまで、司馬氏の天下に真の安息はない!」
司馬炎は、父から託された鏡の破片を握りつぶさんばかりに力を込めた。
「祖父上が恐れ、父上が忌み嫌った『未来』を、私がこの手で断ち切ってやる。……張政、準備せよ。晋の最初の大仕事は、海の果ての怪物退治だ」
「……御意。陛下が望まれるままに」
張政は深く頭を下げたが、その背中には言い知れぬ戦慄が走っていた。
台与から届いた鏡。それは単なる呪いではなく、司馬炎が「自ら破滅の道を選ぶ」ことさえも予見していたのではないか。
西暦266年。晋の精鋭艦隊が、東の海へと動き出す。
それは、大陸の覇者と、未来を視る女王との、国を賭けた最終決戦の幕開けであった。
司馬炎の命を受けた張政は、大規模な船団を率いて再び海を渡った。しかし、その手中にあったのは魏の時代のような「友好の証」ではない。北九州の諸小国を従えるための「力」と、邪馬台国と長年敵対してきた**「狗奴国」**を焚きつけるための「毒」であった。
卑弥弓呼との密約
筑紫の果て、荒々しい風が吹き荒れる狗奴国の本営。張政は、邪馬台国への憎悪を滾らせる王・卑弥弓呼の前に立った。
「卑弥弓呼王よ。晋の皇帝陛下は、東方の秩序を乱す『魔女の血脈』を根絶やしにすることを望まれている。貴国が先陣を切るならば、戦後、倭の全土を貴殿の統治に任せよう」
張政の言葉に、卑弥弓呼は野獣のような笑みを浮かべた。
「女王の首……それだけで十分だ。あの女の祈りに、我らの土はこれまで何度も凍り付かされてきたからな」
邪馬台国、包囲網
西暦260年代後半。かつて卑弥呼が祈りを捧げた聖地・邪馬台国は、かつてない危機に瀕していた。
北からは晋の技術を取り入れた弩を構える北九州諸国の連合軍が、南からは「狗奴国」の猛将たちが、津波のごとく押し寄せた。
「火を放て! 神殿を、森を、すべてを焼き尽くせ!」
張政の冷徹な号令が飛ぶ。晋から持ち込まれた投石機が、火炎瓶を邪馬台国の防塁へと叩きつける。木造の社は瞬く間に炎に包まれ、民の悲鳴が山々にこだました。
台与の祈りと崩壊
燃え盛る神殿の奥深く。若き女王・台与は、血のように赤い筋が走るあの「鏡」を抱き、静かに座していた。
周囲では侍女たちが泣き叫び、護衛の兵たちが次々と倒れていく。
「台与様、お逃げください! もはや防ぎきれませぬ!」
老臣の叫びも、彼女の耳には届かない。台与の瞳に映っているのは、目の前の敵ではなく、遥か彼方、洛陽で鏡を蹴り飛ばした司馬炎の姿だった。
「……愚かな人。その鏡を割れば、呪いはさらに細かく、数多の破片となってあなたの国を蝕むというのに」
台与が鏡に触れると、鏡面から放たれた光が彼女の身体を包み込んだ。その瞬間、神殿の屋根が崩落し、張政率いる兵たちが踏み込んできた。
「そこまでだ、倭の女王!」
張政が剣を突きつける。しかし、台与は恐れるどころか、慈しむような悲しい笑みを浮かべて彼を見つめた。
「張政。あなたは見たはずです。……私の首を獲っても、司馬の天下は救われない。この炎は、いつか必ず洛陽を焼き尽くす炎となるのです」
滅亡、そして空白へ
その夜、邪馬台国は地図から消えた。
男たちは斬り伏せられ、女たちは晋の戦利品として船に積み込まれた。卑弥呼以来の伝統を誇った神殿は灰となり、豊かな森は黒く焦げた死の地へと変わった。
しかし、戦場の片隅で、一人の兵士が奇妙なものを拾い上げた。
それは、粉々に砕け散った「鏡の破片」だった。
破片には、まるで生きているかのように脈打つ、不気味な赤い筋が刻まれていた




