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08 重なる Side:八条相模

 愛の部屋の近くを歩いていたのは本当に偶然だった。……いや、思っていた以上に気にしていたのかもしれない。いずれにせよ、僕は普段近寄らないようにしている区域に来ていた。


 そこで、部屋着姿の斑目と遭遇した。


「博士? この辺りに来るなんて珍しいですね?」

「ああ……。斑目はなぜここに? 愛のヒアリングと体調チェックは終わったはずでは?」


 今日の分のレポートは数十分前に斑目のタブレットから送られてきていた。愛が一睡もできていなかったこと、僕を避けていたこと、そして、今夜は「なんとか眠れそう」だと語ったこと……。その言葉は嘘だろうという斑目の見解付きでまとめられている。


 研究所長(ぼく)への連絡事項として添えられていた「愛ちゃんと話した方が良いのではないでしょうか?」というひとことまで、しっかりと確認した。


 そこまでは斑目の仕事に収まることだ。だが、それが全て終わった今、愛の部屋へと向かっていたのはなぜなのだろう。研究に関することで愛に用事があるのならば、斑目は白衣姿でいるはずだ。


 斑目は僅かに視線をうろつかせた後、苦笑する。


「確かに今日の仕事は終わったんですけど……、どうしても愛ちゃんが気になって。ベッドに入ってみても眠れそうになかったので、つい来てしまいました。もちろん、愛ちゃんに拒絶の意思を示されたらすぐに引きますから」

「それは当然だ」


 まあ、斑目であればそんな失敗はしないだろうが。斑目はコミュニケーションの取り方、特に、踏み込み方が絶妙だ。これ以上入ってきて欲しくないというラインには入らず、かといって、遠くから見つめるだけではない。それに加えて、知識も研究への態度も申し分ないから愛の担当としたのだ。


 基本的に、拒絶をされたら距離を取って様子を窺うのが彼のやり方だと思っていたが、一度拒絶をされてなお、再び踏み込もうとするのはどうにも彼らしくないように思える。


「……斑目は、なぜそこまで愛を気にする?」

「そうですね……、うーん……どうしてでしょうね?」


 へらりと、少し照れたように斑目は笑った。


「もしかすると一緒に過ごすうちに情が移ったのかもしれません。これといったきっかけがあるかどうかは分かりませんが、俺は愛ちゃんのことを妹のように思っています。気づいたら目に入れても痛くない存在になっていて、いつの間にか幸せになって欲しい存在になっていて……。でも、愛情ってそんなもんでしょう?」


 ……確かに、そうなのかもしれない。かさりとポケットに入れている写真が音を立てた。無意識的に触れていたそれは、娘——愛と共に紅葉を見に行った時の写真だ。


 ちょうど6年前の今日、愛の15歳の誕生日に出かけたのは彼女のリクエストだった。その日の帰り、「いつも研究(しごと)で忙しくしているお父さんにリフレッシュして欲しいから連れ出した」と打ち明けてくれた愛。彼女のためだったら、僕はなんだってできる。


 何か明確なきっかけがあったわけではない。だけど、それでも愛には幸せに笑っていて欲しかった。


 失った愛と、造り出した愛。理性では違うと分かっているはずなのに、愛と愛はどうしても重なる。着ている服、話し方、書く字、箸の持ち方、名前を呼ばれた時の反応……。違うことの方が多いのは確かなのに、何気ない瞬間、愛と愛が重なって見える。


 その落ち着く声を聞くたびに、後ろ姿を見るたびに、重なる愛を思い出してもう触れられない幻影に縋ってしまう。


「……愛ちゃん、俺が笑うと笑い返してくれることがあるんです」


 斑目は穏やかさを乗せて、そう遠くない過去を見るように続けた。


「あの笑顔はずるいですよ、本当に。守りたくなる笑顔っていうんですかね。……博士は、見たことありますか?」


 そう言われて初めて、この半年間に意識を向けてみる。


 一番初め、愛と目を合わせた時、彼女はまだぎこちなかった笑顔を見せてくれた。だがそれは、僕が目を逸らしている間に上手くなっていて……。


 愛が向けてくれたあの笑顔。あれを見た時、僕は何を思っていただろうか。


 確かに()と重なった。確かに()と重ねた。僕がAIoidを造ろうと、愛のモデルを()にしようと考えたのは、娘にもう一度会いたかったから。きっかけは、そうだった。

 だけど同時に、あの笑顔を見て思ったことがあったはずだ。




 ——ありがとう。きみが生まれてきてくれて、僕は嬉しい。




 いつからなのかは分からない。幾度もやり方を変えながら造っている途中からだったのかもしれない。ふにゃりとぎこちない笑みを見せてくれた瞬間からだったのかもしれない。


 愛は僕の中で、気づいたら目に入れても痛くない存在になっていて、いつの間にか幸せになって欲しい存在になっていた。


「……ああ、ある。愛が、見せてくれた」

「本当に可愛いですよね」

「……そうだな」


 すると斑目は、眉を下げて「ようやく気づきましたか」と呟いた。




 愛を寝かしつけに行った彼は、時折音を外しながらも子守唄を歌っていた。

 ドアの隙間から小さく聞こえてくるその歌は、まだ娘が小さかった頃、彼女に頼まれて僕が作ったもの。大方、斑目はその楽譜を見て覚えたのだろう。僕の研究室のデスクに置いていたことがあるから。



 ——だいじょうぶ 愛しいきみよ

 おやすみなさい——



 ……明日、愛に話がしたいと提案してみよう。了承してくれたら、真っ直ぐ目を見て謝ろう。


 もうきみから目を逸らしはしない。

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