07 子守唄
ピピッ、ピピッ、ピピッ、ピピッ。何の感情も乗っていない無機質な目覚ましが朝を告げる。一睡もできなかった頭には、それがやけにうるさく聞こえた。
上体を起こしたらぐらりと視界が揺れる。なんとか倒れないように耐えたが、正直これは予想以上だ。
人は徹夜をすると調子が悪くなることは知っていた。人をモデルに造られているAIoidである私もそうなることは知っていた。だが、ここまでだなんて知らない。知る予定も、知りたくもなかった。
私とそっくりなあの少女は何者なのか。……あの少女にそっくりな私は何者なのか。
博士が私に重ねる少女は何者なのか。……博士があの少女を見ている私は何者なのか。
ぐるぐる、ぐるぐると止まらない思考。どうしてそこまで考えてしまうのかすら分からない。この、場所も大きさも形も、何も分からない原因をどうにかしてしまいたい。
すると、ノックの音が部屋に響く。
「……どうぞ」
「お邪魔するよー」と入ってきた旭さんは、私の顔を見るなり気遣わしげな表情を浮かべた。
「おはよう、愛ちゃん。その、……あまり眠れなかったみたいだね?」
「おはようございます。あまりというか、全く眠れませんでした」
「そっか……。……俺にできることがあれば何でも言ってね? 愛ちゃんの力になれたら嬉しいから」
そうは言ってくれるけど、上手く隠しているだけで旭さんまで私にあの少女を重ねているかもしれない。それに気づいてしまった時、私はどうなるのか。何の根拠もないが、もう今までのようには過ごせない予感がした。
だから、今の旭さんの言葉を真正面から理解するのが怖い。その言葉を受け取った後、もしも旭さんの瞳の奥にあの少女がいたなら、私はきっと壊れてしまう。
「……何でもって、もしも私が実現不可能なことを言ったらどうするんですか?」
気づけば皮肉めいたことを口走っていた。目を見開いた旭さんの様子を窺うが、今の言葉が最適解だったのかは分からない。
このまましばらく無言の時間が続くものだとばかり予測していたが、その答えは案外すぐに返ってきた。
「叶えるよ、全力で」
迷いのない黒い瞳が私を射抜く。
「まあ、実現に向けて動いたとしても叶わないことは絶対にあるけど。でもね愛ちゃん、俺は君の願いを叶えたいから。だから、絶対に叶えると信じて、全力で叶えようとする」
そうやって笑った旭さんと視線が絡んだ。
「どうしてそこまでするんですか?」という言葉は、喉の奥につっかえて出てこなかった。
*・*・*
「どう、眠れそう……?」
夜のヒアリングと体調チェックの後、旭さんは眉を下げて聞いてくる。
朝の時もそうだったが、今日のプログラム中にも散々心配をかけてしまった。今夜こそは眠りたい。今夜こそは眠らなければ。眠って、明日の朝元気に起きて、「おはようございます」と笑わなければ。
博士に対しても、避けるなんてことはせずにいつも通りでいなければいけない。そうしないと、旭さんが安心できないだろうから。
昼間、旭さんは私の意思を聞いて博士とは顔を合わせないようにしてくれた。だがこのままでは彼に迷惑をかけ続けることになってしまう。
それは嫌だから、希望的観測も含めて私は嘘をつく。
「なんとか眠れそうです」
「……そっか。じゃあ、おやすみ愛ちゃん」
「はい。おやすみなさい、旭さん」
旭さんが部屋から出て行くのを見送り、私はベッドに寝転ぶ。……これっぽっちも眠れそうにはない。それでもこのまま電気を付けているわけにはいかないから、枕元にあるスイッチを押した。
視界が闇に包まれる。遮光カーテンの外も、中も、全く変わらない暗闇だ。
長い夜が始まるくらいなら、いっそのこと私を休止させてほしい。そうしたらきっと、これ以上考えなくて良くなる。
その時、思い出したのは旭さんの姿だった。いつだって私を見てくれて、いつだって側にいてくれた旭さん。私が休止させてほしいなんて考えたと知ったら、どんな反応をするだろうか。
確実な答えは分からないはずなのに、悲しそうにくしゃりと顔を歪める彼を想像した。どうしてかその旭さんが一番最初の記憶にある博士と重なる。
突然、部屋にノックの音が響いた。慌てて体を起こし、「どうぞ」と声を投げる。
「遅くにごめん、お邪魔するね」
「旭さん……どうかしましたか?」
開いたドアから廊下の光が差し込む。黒いスウェットを着た旭さんは、完全に仕事外の姿をしていた。おやすみの挨拶をした後にやってくるなんて今まで一度もなかったが、何か緊急の用でもあるのだろうか。
電気をつけると、旭さんは「ありがとう」と優しく笑う。その表情に焦りのようなものは一切見えなかった。
「愛ちゃん、本当に眠れそう?」
私が腰掛けているベッドの側までやってきて、旭さんは言った。やはり、その瞳は私を真っ直ぐと見ている。先ほどの嘘がバレたのかもしれない。
もう一度嘘をつくことはできる。そうしたら旭さんは「ごめんね」と苦笑いをして去っていくのだろうか。
……それは、嫌だと思った。真正面から向き合ってくれる旭さんにもう嘘はつきたくない。
何の根拠もないその考えが、前にも後ろにも進めない私の背中を押した。
「……眠れない、です」
たったひとこと、静かな夜でないと聞き逃してしまいそうなひとこと。それを呟いただけなのに、私の心臓は鼓動を早める。
いつの間にか自分の手元まで下がった視線を、再び上げる勇気はなかった。
すると、ぽんと頭に暖かい手が乗った。
「教えてくれてありがとう」
よしよしと撫でられるのはとても心地が良かった。
「ほらほら、横になって。そうするだけでも休むことにはなるからね」
言われるがままに寝転がって毛布を被る。
旭さんがそこにいてくれる。その事実がどう影響しているのかは分からないが、体に入っていた余計な力が抜けるのを感じた。
電気を暗くした旭さんは、突然小さく「そうだ」と声をあげる。
「何かありましたか……?」
「うん、ひとつ名案を思いついちゃった。愛ちゃん、お兄さんが子守唄でも歌ってみようか?」
子守唄……子どもが眠れるようにと歌うそれを聞いたら、もしかすると私も眠れるかもしれない。それに、メガネの向こう側の黒い瞳が楽しそうに輝いているから。
「お願いしてもいいですか?」
「もちろんだよ」
小さく息を吸って、旭さんは歌う——
眠れよ眠れ まぶたを閉じて
暖かな夢を 愛しいきみへ
眠れよ眠れ この腕の中で
幸せな夢を 愛しいきみへ
夜空を泳ぐ あの星のように
きみはどこへだって行けるから
でも今はまだ ここにいておくれ
きみの眠りと夢を守らせて
だいじょうぶ 僕はここにいる
心穏やかに 夢の世界へ
だいじょうぶ きみはここにいる
手を繋ぎ共に 夢の世界へ
だいじょうぶ 愛しいきみよ
おやすみなさい
——時々、音が外れている、決して上手いとは言えない歌。だけど、とても優しい歌。
この曲は、以前、旭さんがピアノで弾いてくれたものだ。そして私が一番心地よいと感じたもの。
「……この歌はね、博士が作ったんだよ」
その言葉は、ストンと落ちるように理解できた。
博士は確かに私を見てはいない。それと同時に私を見ようとしていた。そうでなかったら、あんな風に迷いはしないはずだ。
とんとんと肩をリズムよく撫でられるに連れて、だんだんと現実が離れていく。
「……おやすみ、愛ちゃん」
瞼の向こう側で呟いた旭さんは、きっと優しく笑っていた。




