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04 違和感

 目を開けたら、自分の部屋の天井が見えた。だが、ここまで移動したという記憶(メモリ)はない。


 旭さんと「家族」について学んでいて、そこに博士がやってきて、「休止(シャットダウン)させる」という言葉が聞こえて。その直後から時間が抜け落ちたかのように何も覚えていないのだ。

 枕元にあるカレンダー機能付きの時計は次の日を示している。


 その時、部屋のドアを開ける音がした。タブレットを持って入ってきた旭さんは僅かに目を見開いている。


「目が覚めたんだね。おはよう、愛ちゃん」

「おはようございます」

「体調はどう? 変な感じとか、気持ち悪いとかはない?」

「いえ、特にはありません」


 違和感はないが、なぜこのような状況になったのかくらいは聞いても良いのだろうか?


 旭さんたちが研究対象(わたし)に言っていないことは多い。「AIoidプロジェクトの目的」から「博士の好きな食べ物」まで。私が知っていることなんてほとんどないのだ。


 意図的に伏せられていることもあれば、ただただ示される機会がないだけのこともある。果たして今回のこれはどちらなのか。それを判断するための情報(データ)はあまりにも少ない。


 旭さんは私が腰掛けているベッドの側の椅子に座った。


「えーっと、何から説明しようかな……」


 苦い笑顔を浮かべて、旭さんはスクエア型のメガネのブリッジを上げる。私が様子を窺っているように、旭さんも私を気にしているようだ。


「愛ちゃんは何から聞きたい?」

「時系列で聞けるとありがたいです」

「じゃあそうしよう。まず、博士が休止(シャットダウン)をした理由だけど——」


 あのままでは故障(ショート)の可能性があった。博士がその選択をしなければ、私という自己は消えてしまう可能性があった。だからその対策として、私の頭脳(NPU)向上(アップグレード)された。

 旭さんの口から語られたのはそんな話だった。


 言われてみれば昨日のような熱っぽい感覚はなくなっている。そう認識したからなのか、人より低い手先の温度がまたさらに下がった。


 同時に、喉元まで違和感が迫り上がってくる。今は体の中に食べ物が入っている感覚もなく、その他の不調(エラー)も思い当たるようなものはない。一体これは何なのか。


「愛ちゃん? どうかした?」


 目敏く気づいた旭さんに、「何でもない」と嘘をつくのは簡単だ。だが、そうしたら、AIoidの研究をしている彼らは困ってしまうだろう。再び上がってきた違和感を飲み込み、私を射抜く真っ直ぐな黒い瞳を見やる。


「この辺りに少し、違和感があります」


 胸元に手を当てて示すと、旭さんはいつもの穏やかさの上に真剣な表情を重ねた。


「その違和感はどんなもの? 痛む? 圧迫感がある? 気持ち悪さがある?」

「どれも違うと思います。これといって不調(エラー)があるわけではないので。……ですが、何か違和感があります」


 この違和感に相応しい言語情報を私はまだ持ち合わせていない。


「……分かった。ひとまず今の話は博士に報告するね。昼から、昨日の分の振り替え面談がある予定だから、それまで違和感が続くようだったら博士に伝えてくれる?」

「分かりました」




 昼食後、私は定員4人ほどの広さの会議室で博士と面談をしていた。

 それももうすぐ終わりという時、机を挟んで座った博士は自身の胸の辺りに手を置いて言う。


「最後に、この辺りの違和感はまだあるか?」

「いえ、もうありません」


 面談が始まる直前まであった違和感はすっかり鳴りを潜めている。


 「そうか」と答えた博士は私からすっと視線を外した。

 ……まただ。今までの30分間で数えたものだけでも13回。昨日までと比べて、圧倒的に目を逸らされる数が多い。最初は勘違いかとも思ったが、意識してみるとその多さは異様だ。


 思い返してみても、目を逸らされる回数は多い時で1時間に2、3回ほどだったはず。人はこの行動をする時、その相手に気まずさや何らかの葛藤を抱いていることがあるというのだ。


 今の博士の場合、「相手」というのは私のことなのだが、距離を置かれるような理由に思い当たるものはない。


 白に囲まれた部屋で無言の時間が過ぎていく。その沈黙を破ったのは、程よい音量のノックの音だった。


「どうぞ」

「失礼します。……あの、二人の間で何かありました?」


 ドアを開けて入ってきた旭さんは、この空気感から何かを感じ取ったらしい。だがあいにく、それに対する答えを持っていない。


「何も」

「特には」


 私だけではなく博士もそうだったのか。


「……そうなんですね?」


 旭さんから訝しげな視線を向けられるが、実際、何かあったわけではない。私は大きく頷く。


「では、僕は研究室に戻る。何かあれば声をかけてくれ」


 そう言った博士はタブレットを持って会議室を出て行った。


「じゃあ俺たちも移動しようか」

「はい」


 会議室を出て、博士の研究室とは真逆の方向に歩くこと15歩。私の前を進んでいた旭さんは突然立ち止まり、ぐるりとこちらに体を向けた。


「それで愛ちゃん。本当に博士とは何もなかったの?」


 こちらを気にするような声色と、ミスマッチに光るその瞳。心配と好奇心がちょうど半分ずつあるのだろう。


「……強いて言うなら、博士は私と距離を置きたいのかもしれません?」

「……疑問系なんだね?」

「実際、疑問ですから」


 旭さんの考えることは少し予想できるようになってきたが、博士の考えることは全くと言っていいほど予想ができない。好きな食べ物も、好きな色も、好きなものも……。

 予想可能にするためには、まだまだ情報が足りなさすぎる。


 ちなみに旭さんであれば、それぞれ、納豆、黒、(わたし)となるらしい。これは本人が直接言っていたから間違いないものだ。

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