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01 慣れる日

 午前7時、人の真似をしてセットしてみたアラームが鳴ると同時に目が覚める。アラームの意味を成していないとも思うけど、これはこれで(あさひ)さんとの話のネタになるから良い。


 AIoidプロジェクトの研究施設の一画、青系の色で統一されたこの部屋に()()()日が来るのか、それはきっと分からないままだ。


 私のお世話係をしてくれている旭さんは「案外、ある日突然分かるようになるものかもよ?」と言ってくれる。だが、どうにもそうは思えない。私は人ではなくAIoidなのだから、人らしい感覚というものが分からないのだ。


 コンコンコンと、響いたノックの音に返事をしながら体を起こす。


「お邪魔するねー」


 そう言って入ってきたのは、黒髪黒目でスクエア型のメガネをかけた20代後半くらいの男性。白衣を着ている彼は、斑目(まだらめ)旭さんという、一番最初に博士が言っていた「担当の者」だ。


「おはようございます」

「おはよう愛ちゃん。さてさて、毎朝恒例のヒアリングと体調チェックのお時間だよー」

「毎朝だけではなくて、『毎朝毎晩』ですよね?」

「それはそう、めちゃくちゃ言えてる。そういうわけで、はいどうぞ」


 差し出された体温計を受け取り、スイッチを押して脇に挟む。

 すると、旭さんは片手に持っていたタブレットの電源を入れて、こちらに見えないよう操作する。


「お、今日は愛ちゃんと出会ってからちょうど3ヶ月記念日だね」


 つまりは私が造られてからちょうど3ヶ月が経ったらしい。

 それはそれとして、問題は旭さんの今の発言だ。


「……旭さん、それって『誤解を招く発言』というものですよね?」


 1ヶ月目、2ヶ月目と、旭さんはその発言をひな形(テンプレート)のように繰り返していた。今までは何とも思わなかったけど、つい先日知ってしまったのだ。


 人の間で、「今日は出会ってから何ヶ月記念日だね」というものは、基本的に恋人くらいしか使わないということを。何なら「出会った記念日」は恋人でもなかなか意識することがないらしい。


「愛ちゃん……そんなことどこで知ったの!? お兄さんなんか悲しいよ!」


 ベッドの側の椅子に座って、いかにもショックを受けたという表情と声色をしているが、実際、その言動に似合うほど感情を昂らせていないことを私はよく知っている。


 旭さんに答えようとしたその時、ちょうど体温計が電子音を上げた。

 つい先ほどのテンションはどこに行ったのか。「見せて」と手を伸ばしている旭さんは穏やかに笑っている。


「どれどれー、……35.2度ね。だるいとかぼんやりするとか、寒いとかはない?」

「特には。強いていうなら手足が冷たいくらいです」

「りょーかい」


 このやりとりだって3ヶ月間毎日のように繰り返している。

 面倒くさがったり、変わらないものだと断定したりせず、きちんと聞いてくれる旭さんは信頼がおける人だと思う。これをできる人は意外と少ないようだから。


 旭さんがタブレットに入力し終えるのを見計らって、私は先ほどの問いに答えようと口を開いた。


「1週間前の博士との面談の時」

「え?」

「その時に、『出会った記念日』という言い方は『誤解を招く発言』だと聞きました」

「ど、どう考えてもそれを愛ちゃんに教えたのって……」


 顔をさあっと青くしていかにもな絶望を浮かべている旭さんに、その予測は正解だという意味を込めて頷く。


「……だよね。博士から聞いたんだよね。……お、俺、怒られないかな」

「そうやって旭さんが怖がってましたよ、と今日の面談で伝えましょうか?」

「やめてやめて、怒られない代わりに気まずくなるから」


 「分かりました」と答えると、ほっと小さく息を吐いたのが見えた。


「そういえば今日、面談の日かー」


 博士と私の1対1で、1週間に一度、30分の面談をする時間がある。内容は旭さんからのヒアリングとそう変わらない。

 ヒアリングといえば、今日はまだ()()()()()質問を受けていないが、問題ないのだろうか。


「あの——」

「待って愛ちゃん。俺も忘れてた」


 手のひらを突き出して止まれのポーズをした旭さんは、目を逸らして気まずそうな表情をしていた。そして、タブレットに視線を向ける。


「えーっと、今日の質問は……」


 ヒアリングと言っても毎回聞かれることは違う。

 それを聞かれる具体的な理由は分からない。だが、AIoidの研究に必要だからヒアリングをされているということだけは間違いないはずだ。


 毎回予想もしていないようなことを聞かれるが、これはいつか予測できるようになるのだろうか。

 すると旭さんはタブレットの操作をやめて、私の方に向き直った。


「今日の質問だけど、部屋に鍵をかけないのはどうして?」


 部屋というのは今私たちがいるこの部屋のことだろう。ここは私の部屋として与えられていて、鍵をかけようと思えばかけられる。だけど私はそれをしない。


「必要がないから、ですね」

「必要がないというは?」

「盗まれるようなものもないので」


 「私の物」という物は特にない。ここにある全ての物は研究所が用意してくれた物だ。たとえ盗まれたとしても、私としてさして問題はない。


「じゃあ、勝手に人が入る可能性については?」


 確かに鍵をかけていないとその可能性だって十分にあり得る。今のところ、誰かが入ってくる時には必ずノックをしてくれているが、それが必ず守られる保証なんていうものはない。


「それも特に問題だとは思いませんね。たとえ誰かが勝手に入ってきたとしても、何かが起こるわけでもないですから」

「そっかぁ。……まあ、ヒアリングと体調チェック担当の俺としてはありがたいところもあるんだけどね。合い鍵、博士しか持ってないし」


 実は、私が鍵をかけないのは必要がないからだけではない。旭さんにとっては、私が鍵をかけない方が助かるのではないかと考えたからだ。その予想は的中だったらしい。


「さて、朝のヒアリングはこんなものかな」


 その時、ぐぅ、と旭さんのお腹が鳴った。


「……おっと、失礼」

「急ぎめに着替えて顔を洗いますね」

「ごめんね、お願い」


 旭さんが部屋を出ていった後、私はクローゼットから服を取り出した。


 人と同じで私も活動のために食事を必要とするが、空腹というものはよく分からない。空腹はただのエネルギー不足ではないらしいのだ。


 以前、旭さんに聞いてみた時には、「エネルギー不足な状態、かつ、満たされていない状態かな」と答えが返ってきた。一見同じような意味にも捉えられるのに、わざわざ付け加えられた「満たされていない状態」というのがまだ理解できていない。

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