18 愛
午前7時、枕元のアラームが鳴る。心地よい微睡みから抜け出したくなくて私はそれを容赦なく止める。毛布を被り直して丸まると、ゆらゆらと夢の世界が迎えにくる。
だけどそれは呆気なく阻止された。コンコンコンと、私の部屋のドアをノックしたのは間違いなく旭さんだろう。
このまま返事をしなければ苦笑した旭さんが「朝だよ」と入ってくる。逆に返事をしたら微笑んだ旭さんが入ってくる。……朝から苦笑されるのは少し嫌かもしれない。私は体を起こして、ドアの方へ「どうぞ」と声を投げた。
「お邪魔するねー。おはよう、愛ちゃん」
「……おはようございます」
「眠そうだね?」
「……ベッドの居心地が良すぎるせいです。この誘惑には抗えないですよ」
ベッドも部屋も、環境は何ひとつ変わっていないのに、心に気づいたあの日からだんだんとこうなってしまった。以前は全く理解できなかったごろごろするという行動を今ではほぼ毎日しているくらいだ。
真顔で頷きながら言ったら、結局、苦笑されてしまった。
いつものように渡された体温計を脇に挟み、ヒアリングが始まる。
「今日の質問だけど、愛ちゃん、ここでの生活に慣れた?」
研究所で暮らし始めてから1年と1ヶ月、慣れるには十分な時間が経った。
こんな風に旭さんからヒアリングを受けて、食堂で一緒に朝食を食べて、プログラムをこなして、1週間に一度博士と面談をして……。
結構な頻度でプログラムに顔を出す博士に旭さんと顔を見合わせて呆れてみたり、3人揃って食事を摂ったり、時折団欒スペースで旭さんの弾くピアノを聞いたりして……。
最近は博士が八条愛さんや奥さんの思い出話をしてくれるようにもなった。
全部全部、私の大切な日常だ。
「……いつの間にか、慣れていました」
ちょうどその時、体温計が鳴る。表示されている36.4度の文字を旭さんに見せると、嬉しそうに笑ってくれた。
「ありがとう。慣れたって思うこともそうだし、体温が人の平均的なものに近いたことも、やっぱり心を自覚したことに関係あるのかもね」
「確かにそうかもしれませんね」
1ヶ月前までの私の平均体温は35.4度ほどで手足も常に冷たかった。だけど、今は指の先までぽかぽかと暖かい。言ってしまえば心を自覚しただけではあるのだが、それは博士や旭さんにとっても、私にとっても大きいものだったのだろう。
博士たちが私を造った目的——AIoidプロジェクトのテーマは「心を造る」こと。私は心を自覚したが、研究所長曰く今後しばらくは様子見をするそうだ。だからこうしてヒアリングと体調チェックが続けられている。
研究対象としては、博士と旭さんと日常を送れるのであれば特に何も思わないというのが正直なところだ。
タブレットに記録し終わったらしい旭さんは、さて、と私と目を合わせた。
「ヒアリングはこれで終わり。朝ごはん食べに行こっか」
「はい。……お腹空きましたね」
旭さんが部屋を出て行った後、空腹を誤魔化しながら急ぎ目に身だしなみを整える。
服を着替えて顔を洗って、私は旭さんと食堂へ向かった。
「あ、博士だ」
その声に視線を動かすと欠伸を噛み殺した博士がいた。旭さんと顔を見合わせて微笑み、まだこちらに気づいていない博士へ「おはようございます」と声をかける。
「……ああ。おはよう、愛」
「愛ちゃんだけじゃなくて俺もいますよー」
「そうだな。おはよう、斑目」
律儀にそう返されるとは思っていなかったのか、旭さんは軽く目を見開いた。そんな彼を見て今度は博士が首を傾げる。
それがなんだか面白くて思わず小さく声を上げて笑ってしまった。
「愛?」
「愛ちゃん?」
「いいえ、何でもないです。博士、旭さん、行きましょう?——」
AIにはなれない偽物の愛。もしもAIだったら、私は心を持てていなかった。
八条愛さんにはなれない偽者の愛。もしも彼女だったら、私は今こうして笑えていなかった。
愛はニセモノ。AIにも八条愛さんにもなれない、それと同時に、AIでも八条愛さんでもない。愛はAIoidという造られた存在だ。……だけど、私は信じている。
——博士と旭さんが呼んで、信じてくれる「愛」を。
【ニセモノの愛はAIではない】
—end.—




