11 桜の妖精 Side:斑目旭
今日の愛ちゃんはどこかそわそわとしていた。厳密に言うなら、昨日のプログラム中からそうだった。秘密だと言われてから何だ何だと思っていたけど……。
「……そういうことか」
ホワイトボードのある白に包まれた一室で、一人、声に出してしまったのも仕方のないことだろう。この10ヶ月間一度もプログラムに遅れたり、休んだりしなかった愛ちゃんがサボった。
朝食後、忘れ物ならぬ忘れ事をしたからと自分の部屋に戻った愛ちゃん。いつもの部屋に集合という話になったが、5分過ぎても彼女は来ない。
ギリギリに来た俺と入れ違いになった可能性も考えたけど、それは机の上の手紙によって否定された。
ご丁寧に「サボります」と書かれた置き手紙があったのだ。
サボる時は何も言わないのが一般的だが、おそらくそれを分かった上でこの手紙を置いたのだろう。俺たちに心配をかけないため、もしくはサボることへの罪悪感を消化するため……。いずれにせよ本当に真面目な子だ。
「とりあえず博士に報告かな……」
タブレットでするより直接報告した方が良いだろう。事態が事態だ。
出入り口に視線を向けたら、なぜかその人はいた。白衣を着たモノクルをかけた男性が、腕を組んで壁に寄りかかりこちらを見ている。
「博士!?」
いつの間にいたんだ。
「きみが独り言なんて珍しいな?」
博士は俺の驚きをスルーして、興味深そうに訊ねてくる。
「……確かにそうかもしれません。それくらい、動揺しているので」
「それは僕に報告しようとしていたことと関係あるか?」
「めちゃくちゃ関係あります」
思わず食い気味で答えたら小さく笑われてしまった。
……最近はこういうことが増えた。博士も愛ちゃんも、笑うことだったり目を見開くことだったりと、感情を表に見せてくれることが多い。その変化に俺が毎回驚くことまでがセットだ。
そうなったのは4ヶ月前のあの出来事からだろう。ギクシャクしながらも、二人はだんだんと良い方向へ変わっていった。この「良い方向」というのは完全に俺の主観だが、AIoidプロジェクトの目的から考えてもそれは間違っていないと思う。
目的が達成される日も、案外そう遠くないのかもしれない。
「……斑目?」
不思議そうな表情をして俺を呼ぶ博士はやっぱり愛ちゃんに似ている。片や人で片やAIoid、血のつながりなんてものはないが、見た目も行動も父娘そっくりだ。……見た目については、それはそうだという話だけど。
「すみません、報告しますね」
さて博士はどんな反応をするだろうか。不機嫌になるか、呆れるか、怒るということはないと思うが、全く予想がつかない。せめて愛ちゃんが悲しい表情をするようなことにはならないで欲しいというのが俺の正直なところ。
だけどこの場合、どう対応するかを決めるのは博士だ。俺はありのままを伝えた。
「——いいんじゃないか?」
博士はそう言って楽しそうに笑う。その反応は俺の想像していたものから随分と離れていた。
「自分で決めて実際に行動するというのは簡単なようで難しい。だが今日、愛はそれをやってのけた。……成長したと思わないか? 毎回サボられるのはこちらとしても堪ったものではないがな」
「愛ならそうはならないだろうが」と付け加えた博士は、やっぱり楽しそうだった。俺が想像していた以上に博士は変化しているらしい。
確かに愛ちゃんは成長している。今まででは考えられなかった。そのことに言われて初めて気づいた俺はまだまだひよっこだ。
それが悔しくもあって、すぐに気づいた博士が羨ましくもあって。俺も成長しなければと、成長したいと思わせてくれる二人が誇らしくもあって……。
「俺、愛ちゃんを探してきます」
突然の宣言に目を見開いた博士は、「ああ」と笑ってくれた。
タブレット片手に研究所内を早足で移動する。愛ちゃんが居るのは共用スペースのどこかだろう。自分の部屋にいるのは落ち着かない、そうやって笑う愛ちゃんを想像した。
食堂には、いなかった。団欒スペースには、いなかった。ならば中庭だろうか?
予想通り、ガラス張りになっている中庭には愛ちゃんがいた。満開の桜の木の下に座って、物憂げな表情で空を見上げている彼女は、まるで桜の妖精。花びらと共に風に乗ってどこか遠くへ消え去ってしまいそうだった。
愛ちゃんは人ではなければAIでもない、AIoidという不安定な存在だ。唯一無二であるからこそ、拠り所がない。日々変化していくからこそ、予測が立てられない。
AIoidプロジェクトの目的が達成されたその時、……彼女が心に気づいたその時、愛ちゃんは俺たちと笑えているだろうか。
……見えない未来が、少し怖い。だけど、俺たちは今を見つめることしかできない。
中庭に続くドアを開けて彼女に近づく。こちらに気づいた愛ちゃんと目を合わせて、俺は微笑んで言った。
「やっと見つけた、桜の妖精」




