火はどこから来るのか
「なぜ人は心が燃えるのだろう」
歩はふと考えた。
退屈な会議の帰り道、夕暮れの街を歩いていたときだった。
彼の胸には小さな渇きがあった。仕事はこなし、生活は安定している。それなのに、何かが欠けている。
空を見上げると、沈みゆく太陽が燃えるように赤かった。
歩は思わず立ち止まる。
――燃えるとは、物質が酸素と結びつくこと。
だが、人の心はどうして燃えるのだろう?酸素でも、薪でもない。
哲学書で読んだ言葉がよぎる。
「火は、自己を超えようとする意志の比喩である」
その瞬間、歩の胸に熱が走った。
「俺はただ、生き延びるために日々を過ごしてきただけだ。でも、本当は…もっと表現したい」
彼は昔、詩を書いていたことを思い出した。
誰に見せるでもなく、ノートの端に書き連ねた言葉たち。
それは消し炭のように忘れられていたが、今、夕暮れの太陽を見て再び光を帯びた。
「火は、外から与えられるのではなく、自分の内にすでにあったのか」
気づいた瞬間、心が確かに燃えた。
歩は鞄の中からペンを取り出し、手帳に言葉を書き始める。
通りを行き交う人々は足を止めない。けれど彼にとって、その一行目は炎のはじまりだった。
世界は同じように流れている。
しかし彼の目には、すべてが新しく見えた。
「心が燃えるとは、生きようとする意志が形を求めることなのだ」
歩は静かに微笑み、書き続けた。
その火は、これからの彼を導く灯火となるだろう。