騎士団の苦悩
セリスの目の前で、王は一通の黒い封書を広げた。
文面には、カインと魔族との“密通記録”が記されていた。
それは王が部下に作らせた偽造の記録。
「残念だがセリス。カインは、“魔族と通じていた”」
セリスは息を呑んだ。
「まさか……そんな……!」
「奴はこの国の内側から崩すために、魔族と契約を交わしていたのだ」
セリスの頭が真っ白になる。
王はさらに言葉を続けた。
「残念だが奴は英雄などではない。人類を裏切ろうとしたのだ」
セリスは震える唇で、かすれた声を漏らした。
「……証拠は……?」
王は静かに手紙とともに、黒く染まった破片のような呪具を差し出した。
魔族のものと思しき細工。もちろん、用意された偽物だ。
「奴の部屋からみつかった呪具だ。魔族との取引で手に入れたのだろう」
セリスはもはや、何も言えなかった。
(……カインが……そんなはず、ない……でも……)
王はその沈黙を見逃さなかった。
彼女の“不信”の芽を、恐怖で包み込むように、優しい声で囁いた。
「信じたいのはわかる。だが、聖女とは“国を守る存在”だ。
個人の情より、民と神を選べ」
「……はい」
セリスは震える唇でそう答えた。
重苦しい空気の中、騎士団詰所に数名の幹部が集まっていた。
その場に並ぶのは、かつてカインと共に戦場を駆けた者達だった。
中央の長机には、王命が封印されたまま置かれていた。
誰も開こうとしない。
誰も、言葉を発しない。
やがて、ロイがゆっくりと封を破り、王の直筆による命令を読み上げた。
「反逆者カインを魔族共謀の罪により処刑とする」
読み終えた瞬間、重たい沈黙が落ちた。
剣士ガレスが拳を机に叩きつける。
「……本当に、あいつが魔族と組んでたっていうのか?
冗談だろ……?」
フィリアも顔を背ける。
「証拠って……ただの呪具の欠片と、怪文書だけじゃない。
私たちは、あの人の“背中”を信じて、命預けてきたんじゃなかったの?」
ロイは答えない。
彼の手は小さく震えていた。
「わかってる……俺だって、信じたくない。
でも、王の命を拒めば、次は俺たちが“共犯”にされる」
「だったら戦えばいいじゃないか!」
ガレスが立ち上がる。
「正義のために剣を握ったんだろ!?
命令ひとつで仲間を殺すことが“正義”なのかよ!!」
その言葉に、誰も反論できなかった。
だが、答えは出ていた。
ロイがゆっくりと立ち上がる。
「明日、処刑場の周辺警護を任された。
あいつが逃げようとすれば、“その場で斬れ”という命令も含まれてる」
「……俺たちは、もう“仲間”じゃない。
これは国家の命令だ」
その言葉に、沈黙が落ちた。
ガレスが唇を噛み、低く呻くように言った。
「じゃあ……俺たちは、あいつを“処刑するために囲む”わけか。
本当に、それでいいのかよ……」
フィリアも椅子に背を預け、目を閉じたまま呟いた。
「あの人が本当に裏切ったとは思えない。でも……それを口に出した瞬間、
今度は私たちが“裏切り者”になる」
誰も正面からは答えられない。
それでも明日は来る。
顔を伏せながら、命令に従うしかない。
そんな空気の中で、ゼクスだけは静かに語り出した。
その仕草には迷いがなかった。
「今さら情を持ち出すな。
我々が従っているのは“王命”であり、“感情”ではない。
処刑の決定はすでに下され、我々にできるのは秩序を守ることだけだ」
その声は冷たくも整っており、感情の起伏はなかった。
まるで“正しいことを言っている”という自負に満ちていた。
しかし、ゼクスの心の奥では別の言葉が密かに反響していた。
「(そうだ。お前たちは気づかなくていい。
カインが魔族と通じているという証拠は俺が作った。手紙も、呪具も、王と相談の上でな。
悪く思うなよカイン。これで俺は貴族として安泰だ)」
ロイは重い足取りで扉に向かいながら、最後に振り返った。
「……明日、誰も剣を抜かなくて済むように祈れ。
それが俺たちにできる、最後の贖罪かもしれない」
フィリアとガレスは無言で頷いた。
ゼクスも頷いて見せた――だがその目は、すでに“処理されるべきものとして見ていた。
「(……もし、あの男が本当に生き延びるようなことがあれば。
その時は、俺が始末する)」
そして夜は深まり、騎士たちはそれぞれの眠れぬ夜へと沈んでいった。
明日、英雄が処刑される日を迎える。
その夜、騎士団は命令に従って動き出した。
命令が正しいとは思っていない。
それでも“動かなければ自分が消える”という現実の中で、
彼らはひとりの仲間を――自らの誇りを、処分する側に回った。