第49話:サルディナ陥落
黒の軍勢はその夜のうちに進軍を開始した。
サルディナ領内に踏み入った時、すでに王国軍の裏切りと砲撃の噂は民衆に広がり始めていた。
家々の窓から怯えた視線が覗くが、誰一人として抵抗の声を上げる者はいない。
「……もう噂が届いてるみたいね」
アリアが馬上でつぶやくと、カインは静かに頷いた。
「恐怖は剣よりも早く届く。首都が混乱していれば、城門は半ば開いたも同然だ」
やがて進軍路の先に、小さな砦都市が見えてきた。
門は閉ざされ、城壁の上には怯えた兵士の影がちらつく。だが矢を放つ気配はない。
カインは馬を止め、捕虜のサルディナ兵を前へ突き出した。
「選ばせてやる。扉を開くか、ここで死ぬか」
捕虜の兵は蒼白になり、震える手で合図旗を振った。
次の瞬間、城門がきしみを上げて開く。
「……やはりな」
カインは一歩も進まず、静かに命じた。
「黒の旗を掲げ、無駄な流血は避けろ。必要なのは恐怖と支配だ」
黒の軍勢が都市に雪崩れ込み、兵も民も一人残らず武装解除されていく。
街の広場に黒の旗が翻ったとき、サルディナの前線は事実上崩壊した。
その夜、カインは天幕で地図を広げ、次の標的を指先でなぞった。
「このまま首都まで進む。だが王国軍の増援が峡谷を突破する前に、決着をつける必要がある」
黒の軍勢は夜明けと同時に動き出した。
夜霧に包まれた街道を、無数の蹄音と鎧の擦れる音が支配する。
サルディナ首都へと続く大路は、既に民の気配を失っていた。
逃げる者、隠れる者、そしてただ震えて道端に膝をつく者――皆、黒の旗を見ただけで戦意を失う。
「……進軍速度を落とすな」
カインは低く号令をかける。
恐怖の伝播は計算通り。抵抗らしい抵抗もなく、黒の軍勢は進み続けた。
その頃、首都サルディナでは混乱が極まっていた。
前線の全滅、そして王国軍の裏切り――。
重臣たちは責任の押し付け合いに終始し、兵は城門を守るか逃げるかで迷っている。
「も、もう王国は我らを見捨てたのだ!」
「黒の軍勢はすぐそこまで迫っている! 迎撃など無理だ!」
民衆は城下で騒ぎ、避難を求めて門前に押し寄せた。
城内は恐慌状態。王は蒼白な顔で王座に座り、震える手で剣を握ることしかできない。
そのとき、黒の軍勢の先頭が丘を越え、首都の城壁を見下ろした。
カインは馬上からその光景を冷ややかに見据える。
「……門は閉じられているか」
アリアが息を詰めて頷く。
「ええ……でも、あの混乱じゃ、そう長くは持たない」
カインは短く笑みを浮かべた。
「なら、こちらから開けてやる」
彼は合図を送り、黒の軍勢の前列が一斉に動く。
投石機と魔導砲を前進させ、城門と城壁に照準を合わせる。
さらに捕虜にしたサルディナ兵を最前に押し立て、城壁の守備兵に向けて叫ばせた。
「降伏せよ! さもなくば、王も民も皆殺しだ!」
その声は城内に届き、恐怖と混乱をさらに煽る。
数瞬の沈黙の後、城壁の上から白い布が翻った。
「……降伏、か」
アリアが息をつくが、カインは剣を抜き、冷ややかに告げた。
「城門を開けろ。すべての武器を捨てさせろ。それが済むまで、一歩も進まぬ」
やがて、きしむ音とともに城門が開き、黒の軍勢がゆっくりと首都へ雪崩れ込む。
民衆は声を上げることもなく、ただその黒い波を見つめるしかなかった。
「終わったね。思ったよりあっけなかったわね」
アリアが呟いた。
だが、カインの眼差しはさらに遠くを見据えていた。
「いや、まだだ。王を引きずり出せ。ここからが本当の支配だ」
王宮の奥――。
厚い扉が破られる寸前、玉座の間に重苦しい空気が満ちていた。
サルディナ王は蒼白な顔で剣を握りしめ、震える声で重臣たちに命じる。
「……最後の部隊を呼べ。黒の軍勢をここで止めるのだ……!」
だが、彼の命に応えられる兵はわずか十数名。
皆、恐怖に顔を歪め、死を悟った者ばかりだった。
次の瞬間、玉座の間の扉が粉々に吹き飛ぶ。
黒い外套を翻し、カインがゆっくりと歩み入った。
その背後には漆黒の兵たちが整然と続く。
「サルディナ王よ、見苦しい抵抗はやめろ」
カインの声は冷たく、静かに響く。
「貴様……我が国に仇なす外道め……!」
王は最後の誇りを振り絞り、剣を構える。
その手は震え、足は後ずさっていたが――それでも玉座を背に退くことはなかった。
カインは無言で一歩踏み出し、剣をゆるりと振る。
風が鳴り、王の剣が手から弾き飛ばされ、床に転がった。
「……抵抗は終わりだ」
その瞬間、王の膝が砕けるように落ちた。
嗚咽を漏らす王を見下ろし、カインは静かに告げる。
「サルディナは本日をもって滅んだ。
民を生かすか殺すかは、俺の気分次第だ。……それを肝に銘じろ」
黒の旗が玉座の上に掲げられた瞬間、サルディナ王国は完全に陥落した。
首都制圧の報は、セレファリア王国にもすぐに届くことになる。
王エルヴァンとゼクスの耳に入る頃には、
「黒の軍勢が一国を一夜で沈めた」という恐怖の尾ひれがついていた。
だがその直後、カインの耳にも別の報せが届く。
峡谷を防衛するザイの部隊が、ついに王国軍の大規模な後続部隊と接触したというのだ




