第47話:聖女の力(エルヴァンside)
セレファリア王国・王都セントラル。
《王宮・神の塔》。かつて神の声を聴く者が祈りを捧げたとされる、最も古き聖域。
その塔の最上階。
装飾を廃した石の床に、ただ一つの椅子と祭壇のような玉座が置かれていた。
静寂を破ったのは、足音。
静かに扉が開かれ、白銀の衣に身を包んだ少女が、ひとり現れる。
遠見の巫女――イリーナ。
「……来たか」
エルヴァンは窓際に立ち、塔の下に広がる王都を見下ろしていた。
その背には、王としての威厳と、支配者としての影が揺れている。
イリーナは、静かに膝をつき、一礼した。
「セレファリア王、エルヴァン陛下。ご招致に応じ、参上いたしました」
「頭を上げよ。巫女よ」
ゆるやかに振り返ったエルヴァンの目が、イリーナを捉える。
その視線には、もはや品位すら装う必要を感じていない、確信に満ちた支配欲が宿っていた。
「ようこそ、私の王国へ。……そして、我が元へ」
イリーナは微笑を返した。だがその微笑みは、氷のように静謐だった。
「この地にて、神の光が正しく照らされることを、心より祈ります」
エルヴァンはその言葉に、わずかに口元を歪める。
「そうだな。私はそれを望んでいる。
真に神に選ばれし者だけを選別し、世界に秩序をもたらす。……混沌を正すために」
「……それは貴方が選んだ秩序に塗り替える、という意味でしょうか」
イリーナの言葉に、空気が張り詰めた。
「……巫女よ。君は聡いな。だからこそ、選ばれた。
そして私は、君のその目と魂を手に入れたい」
彼は一歩、イリーナへと歩み寄る。
「……私のものとなれ。巫女イリーナ。
その清き目で、私の軍を導き、世界を照らす存在として生きよ」
イリーナは目を伏せ、しばし黙した。
そして、まるでその言葉を天秤にかけるように、静かに口を開いた。
「……王が世界を導くこと。それ自体を、否定するつもりはありません」
エルヴァンの目がわずかに輝いた。
「ですが、王の意志が神を騙り、己の欲を正義と偽るのなら
私は、決して貴方を許さない」
その声に、氷の芯が通る。
「……断る、というのか」
イリーナは、まっすぐに彼を見つめた。
「私は、神の声を映す鏡。王の姿を映す者ではありません。
必要とされれば、その力を惜しまず捧げましょう。
ですが、従属はいたしません。私は、信ずるべき光を選びます」
エルヴァンの双眸が静かに細められる。
「……面白い。だが勘違いするなよ、力で屈服させることもできるのだ」
その声は低く、しかし怒りを含んでいた。
イリーナは、王を真っすぐに見据えた。
そして、ついに口を開く。
「あなたは、勘違いをしているようですね」
エルヴァンは、眉一つ動かさない。
「……ほう?」
「ずいぶん都合よく見ていたようですね。私には戦う力などないと。
その油断こそが、あなたの敗因になります」
エルヴァンの手が止まる。
「あなたのような、神を騙り、人を弄ぶ邪悪な者を私は命に代えても、討つと決めました」
その瞬間、空気が張り詰めた。
イリーナの視界が王を捉える。
それは、神意に至る巫女の眼差し。ただ視るだけではない。
魂の核へと至る断罪の視線。
刹那、エルヴァンの胸奥に冷たいものが走った。
喉元が締まるような錯覚。
人の信念に貫かれるかのような感覚。
一瞬、エルヴァンの表情から余裕が消えた。瞳が揺れ、明らかに動揺の色を浮かべる。イリーナは王エルヴァンを睨み据えていた。
魂の奥から燃え上がる意志が、視線となって王を穿つ。
誰よりも清き存在が、誰よりも強く、断罪の炎をその目に宿していた。
だが、エルヴァンはすぐに笑みを取り戻す。
「……なるほど。牙を隠していたか。だがな侮ったのは、貴様の方だ、イリーナ」
その刹那――
「……止めてください」
優しく、しかし抗えぬ力で響いた声。
イリーナの背後に立つセリスが、囁くように言った。
次の瞬間、空間が光に満たされる。
淡く、だが絶対の律に従う力。
それは神の名を騙る王が創り出した、聖女の強制力。
目には見えぬ縛めが、イリーナの四肢を絡め取る。
力を込めたはずの腕が動かず、視線に乗せた氣すら、凍りついた空気の中で凍結する。
「……な!?」
(これは……ただの術じゃない。魂に……命じてる……)
イリーナの声が震える。
まるで神そのものから下された命令。
拒絶すれば魂が砕ける。従っても心が壊れる。
その恐るべき選択なき命令。
イリーナの頬に、汗が一筋伝う。
それを見下ろすエルヴァンの顔は――勝ち誇ったような笑みに歪んでいた。
「見事だ、セリス」
彼は歩み寄り、そっとその頭に手を添える。
まるで忠実な聖具に触れるかのような手つきで。
セリスは静かに目を伏せ、何も言わなかった。
ただ、命じられたとおりに従う存在として、王の言葉を受け入れていた。
満足げに頷いたエルヴァンは、床に膝をついて動かなくなったイリーナへと視線を向ける。
「そして君も、ようやく理解したのだな。
拒絶も、信仰も、誇りも……この王の命の前には無力だと」
イリーナは無言のまま、動かない。
「君が見せた抵抗も、信仰も、すべては無意味だった。
セリスの力の前に、君の意志は砕けた。
君は敗れ、堕ちた。そして私は、勝った」
まるで神に勝利したかのような錯覚。
王にあるまじき傲慢の極み。
だが、エルヴァンの中では、それこそが正しき秩序だった。
「これで、すべてが揃った。神の声を持つ聖女。神の目を持つ巫女。そして、神の意志を操る王――この世界は、いよいよ私のものだ」
その言葉を最後に、エルヴァンはイリーナの体を腕に抱き寄せた。まるで宝を抱くように。
「イリーナ。お前のすべてを私に捧げてもらう」
「魂も、視界も、祈りも、そして……お前自身の存在すべてを。
今夜、完全に私のものになるのだ」
その声は低く甘やかでありながら、底に冷たい支配が滲んでいた。
「拒む意志がまだ残っているなら、それも美しい。
だが安心しろ……お前のすべてを私のものに変えてやる」
「ただ見るだけの巫女などではない。私が認めた神の器だ。
その価値を、これから存分に味わわせてもらうぞ」
イリーナは何も答えなかった。
けれど、その沈黙の奥底で確かに灯り続ける微かな光が、消えてはいなかった。




