皇子覚醒 08
「それにしてもだ」
保護協定が破棄された責任はザントル王家にある。厚顔無恥なフェルディナンドへの縁談も悪あがきの一つだろう。しかしザントル王は万が一、婚姻できたとして持参金をどうやって準備する予定だったのか。まさか、フェルディナンドが娘を溺愛しているという妄言を信じて、支度金を得られるとでも思っていたのか。
「協定を調印した先代が亡くなって、短絡的な長兄が跡継ぎとなった事が災いしたな」
ザントルが生き残る道は、王を退位させ、メテオ王子は廃嫡とし、その後は公爵家に婿入りした王弟の継承権を復活させ、王位に就かせる。それが最も可能性があるだろう。愚鈍な王の元、国内の貴族家をまとめていたのは王弟だ。だが権威にしがみつく国王親子がそれを受け入れるだろうか。愚かな選択をするのならば王弟一家を皇国に亡命させよう。彼らならルヴァランの利益となりそうだ。
保護国になったからといって、その国の王族に富がもたらされはしない。支援は国家に対してだ。それを履き違えている者、皇国からの恩恵を自身に望む者は多い。ルヴァランの権力、財力、軍事力、資源など、それらを得るならば皇族との婚姻が確実だ。そのためフェルディナンドとの縁を望む声は国内外から上がっている。
「頭の悪い連中の相手をするのは疲れる」
そう言いながら、フェルディナンドはカウチから立ち上がった。
「どこへ?」
「天使に会いに行く」
連日ザントルの処理に追われて疲労しているのだ。こまめに妹を膝に乗せて休憩しなければ体を壊してしまう。今から南宮に向かえば、アルティリアは丁度、歴史の講義が終わる頃だ。
回廊を歩いていると、窓から中央師団の魔獣討伐隊が皇宮に帰還する様子が見える。通常、顔の判別が出来る距離ではないが、視覚強化を行うとレオンハート・ダーシエの姿を発見した。
弱冠17歳で騎士に叙任となった逸材。レオンハートは近衛騎士団所属であったが、中央師団の魔獣討伐や犯罪組織の一斉捕縛に駆り出されることが非常に多いという。最上位クラスの戦闘能力が求められる案件だらけだ。
審査対象だという事は明白だった。
公式な通達はないが、アルティリアの専属騎士の選別は既に始まってる。レオンハート・ダーシエは候補者の一人だ。
フェルディナンドは視線を強める。その時間は1秒にも満たないが、金髪の男の青い瞳は間違いなく自分を捉えた。
「まったく」
隙のない反応だ。妹を護らせるには充分な実力を持っているだろう。また12歳の頃にアルティリアと出会い、忠誠を誓っており、第三皇女の騎士となるために最速とも言える早さで叙任となった。
反対出来る要素がない。
だが、フェルディナンドは「レオンハート・ダーシエ」をアルティリアに近付ける事に激しい抵抗がある。そして、非常に厄介なその理由は言語化したくない。
フェルディナンドのやきもきした感情はあっさりと却下され、アルティリアが10歳を迎える頃、正式に決定した護衛騎士の中に妹が好んで身に着ける色を持った男も選ばれていた。
それから1年後。
妹は、今や誰よりも可愛らしく美しく成長してしまった。
「アルティリア、11歳の誕生日、おめでとう」
祝いに駆けつけた、姉達や親戚と楽しそうに歓談する妹は、透き通るような空の青を染めたかのような色のドレスに身を包んでいた。最近は自立心が芽生え、自分から距離を置こうとしている事をフェルディナンドは気付いてはいたが、知らないふりをしている。
「リア、兄様の贈り物を受け取ってくれるかい?」
「わあ、ありがとう御座います」
侍従のフランクにワゴンに載せて運ばせてきたのは大きな水槽。しかし中に入っているのは水ではない。
「見てごらん」
「何がいるのかしら……まあ!」
硝子を覗き込むアルティリアの好奇心に満ちた顔は、何年経っても輝いている。
水槽の中には土と木屑が敷かれ、短く切られた木が配置されていた。そこに居たのは大人の男性の手の平よりも大きく、長いツノを持ったカブト虫。
魔獣種を除くと、世界で最も全長が長くなる昆虫。ヘラクレスオオカブト。
「昆虫博士のファービル教授がヘラクレスオオカブトを繁殖させていると聞いてね。頼み込んで譲ってもらったんだ」
「カッコいい!わたくしの手よりも大きいわ」
昆虫大好き少女アルティリアの憧れのカブト虫。
「嬉しい!わたくし、大切にお世話しますね」
そう言うと、フェルディナンドの手がアルティリアの髪を優しく撫でた。
しかし、アルティリアは喜んでばかりもいられない。何故ならばフェルディナンドの誕生日も近いのだ。毎年毎年、工夫を凝らした贈り物を準備してくれる兄に、今年はどんな物を贈ろうか。アルティリアはいつも頭を悩ませるのだ。
何故ならフェルディナンドは「リアのくれた物なら何でも嬉しいよ」などと言うからだ。そして、それは本気なのだから困る。幼い頃に描いたフェルディナンドの肖像は額装され、第二皇子の執務室に堂々と飾られている。正直に言うと、少し恥ずかしい。
ところが今年は違った。
「欲しい物があるんだ」
「何でしょう?わたくしに用意できる物なら何でも仰ってくださいな」
「リアの時間を、少し兄様にくれないかい?」
「わたくしの時間?」
「2、3日で良いんだ」
アルティリアが聞き返すとフェルディナンドは目を細める。それは、少し悪戯を企む少年のようだった。
「郊外にある王立研究所に併設してるヴェジタル植物園を見学させてもらえる事になったんだ。一緒に行ってくれないか?」
ヴェジタル植物園は緻密な温度管理と環境管理の元、大陸以外の希少な植物を栽培しており、一般公開される事はほぼない。
アルティリアは嬉しさが込み上げ、頭の中で図鑑で見た様々な植物が生い茂る。ヴェジタル植物園に行けば実物を見る事が出来るのだろうか。しかし……
「駄目です!」
「何故?」
「だって、そこは、わたくしの行ってみたい所だわ。フェル兄様のお誕生日のお祝いにはなりませんもの」
アルティリアはちゃんとフェル兄様を喜ばせたいのだ。しかし、兄の言葉に妹は了承せざるを得ない。
「リアと小旅行に行けたら、兄様は嬉しいな」
誕生の祝いの昼餐会が終わった夜。アルティリアの寝室には、繊細な彫刻が施された硝子のランプが、壁に柔らかな光と影の模様を映していた。
寝室の一角に運び込まれた昆虫の水槽。寝支度は済んでいるものの夜行性のカブト虫が気になって眠れない。アルティリアはお猿のリーフと一緒に、水槽の中を覗き込んでいた。
リーフはカブト虫を不思議そうに見ているが悪戯する気配はない。新しい仲間を受け入れてくれたようだ。
「仲良くしてね」
「キュ」
白リスザルの友人はピョンと跳ねてベッドへと行ってしまった。自分もそろそろ寝ようとリーフを追ってベッドへと腰を下ろし寝具をめくる。だが、まだ眠れない。
サイドテーブルに手を伸ばして、置かれた本を手に取る。著名な冒険者の手記だ。彼女が海を渡り、別大陸での冒険を通して出会った動植物について描かれている。これもフェルディナンドから贈り物の一つだ。
昔からそうだ。フェルディナンドはアルティリアの喜ぶ事が自分の喜ぶ事なのだ。父や母、ジークフリードやお嫁に行った姉達も可愛がってくれているが、いつも側にいて守ってくれていたのはフェルディナンドだ。突き放せるはずがない。
「本当に甘えん坊だわ、わたくしは」
本を開くと、金の透かし彫りの蝶が現れる。細かな模様が描かれた揚羽蝶。アルティリアはそれに、そっと触れる。
「キィ」
きらりと光る蝶々が気になったのか、リーフが小さな鳴き声を上げる。
「綺麗な栞でしょう。レンが贈ってくれたのよ」
蝶々はアルティリアの手から羽ばたき、ふわりと浮かぶ。ほんの少しだけ魔法を込めた。この揚羽蝶はアルティリアのお気に入りとなり、その後も皇女の読書には必ず、この栞が使われた。
ひらり、ひらりと舞う揚羽蝶。
アルティリアは気が付かない。フェルディナンドが悟られないようにと祈る、アルティリア自身の感情を。アルティリアが自覚してしまったとしても、それは必ずしも彼女に幸福をもたらすかは分からないのだから。
フェルディナンドは祈り続ける。
気が付くな、気が付くな。
愛しい妹が傷付く可能性がほんの少しでもあるのなら。
皇子覚醒編はこれにて終了です。
皆様お付き合い下さり、ありがとうございます。
今回の登場人物は皇族がメインなので、後書きは書いておりませんので、ご了承下さいませ。
おまけの短編を2つを公開後、次のお話が始まります。
「小話 ー 復讐の時 ー」とあるお兄ちゃんが弟に仕返しをします。
「小話 ー 争奪戦 ー」いつまでも少年の心を失っていない男達の話。




