皇子覚醒 05
その日も、皇族親子は皇后の寝室で川の字になっていた。
「フローリィーゼ、眠っているか?」
アレクサンドロスは、隣で眠る娘の頬をチョンチョコしつつ妻に声を掛けた。
「いえ、起きてます。ですが、あまりアルティリアをつつくと起きてしまいますわ」
「案ずるな、リアの眠りを妨げるようなへまはしない」
娘を目覚めさせない絶妙な力加減は既に把握している。能力主義国ルヴァランの頂点に立つ男アレクサンドロスは、幼児の頬のプニプニ感をこっそり楽しむ事など造作もない。
「フェルディナンドは随分、アルティリアを可愛がり始めたのだな」
「ええ、最初はどう接して良いのか分からないようでしたが」
「そうか」
フェルディナンドは大人びている反面、神経質で繊細だ。アレクサンドロスは次男に精神的な脆さを感じていた。皇国の最上位に立つのならば、ジークフリードくらい図太い方が良いだろう。またフェルディナンド自身も帝位に興味はない。とは言え、父としては次男の不安定さは心配の種であった。
そして末娘アルティリア。この子はフェルディナンド以上に危うい。生物が待っている自己防衛本能が限りなく薄い。騎士訓練生達による南宮侵入の際も、彼らを拒絶したのは側仕えのレオンハート・ダーシエに対して敵意を向けていたからだと、アレクサンドロスは推測していた。
アルティリアを取り巻く人間は皆好意的だ。悪意や敵意と言ったものから遠ざけられているのも相まって、他者に対しての壁は驚くほど低い。皇族として生きるには不安要素が大き過ぎる。これからの教育でどれ程改善されるかは未知数だ。
だが警戒心の強いフェルディナンドがアルティリアの側に居れば、互いに影響を与え好循環に向かうかもしれない。
「良いのではないですか?」
フローリィーゼは元より、アルティリアに興味がないどころか、避けているようなフェルディナンドの状況下を改善したいと考えていたし、他の姉妹達、長女のマドリアーヌと次女カトレアナも幼い頃より共に行動する事が多く、互いに補完し合う関係が続いている。
「幼い妹を兄が可愛がっているだけです。何もおかしくはありませんわ」
「そうだな」
「腑に落ちない事が御座いますの?」
「何かに執心し過ぎるのも良し悪しだからな」
「他の兄妹達もリアを可愛がっておりますよ?」
「いや、フェルはジーク達とは違う」
「“違う”とは?」
皇族以外には、あまり知られてはいないが、ルヴァラン皇家の血筋には何か一つの存在に対し、極度に固執してしまう者が現れるという。原因は不明だが、その対象は薬品であったり、鉱物であったりと研究対象となる場合も多々あり、結果的に国にとって有益な現象でもある。
「それが生物であるとな、何より本人が辛い。それに“人”に対して執着を見せたのはフェルディナンドが初めてだ」
「……どなたか、フェルと同じような方がいらっしゃったのですか?」
アレクサンドロスは数秒間を開けると言った。
「兄上だ」
皇帝の兄、マキシマリアン。
彼は若くして神殿に入り聖務監となった。武人らしい弟アレクサンドロスと違い、聖職者らしく、柔和は風貌をしているが、弟よりも背が高く、その人格は弟よりも苛烈で厳格。
またマキシミリアンが就く聖務監とは、神殿内の階級・序列の中では中位だが、横断的権限を持ち、上位階級に対して監察権の行使が可能だ。
彼は誰よりも優雅な微笑みをたたえながら、汚職、賄賂、不正儀式などを調査・摘発していく。
「あの方が、そんな……そうは見えませんが」
フローリィーゼの知るマキシミリアンは容赦の無い気質だが、潔癖が過ぎる人間ではなく、清濁併せ呑む事も出来る男だ。決して偏った者ではない。
「兄上は、社会生活に支障が出るような事はないよう、折り合いを付けている」
「では、何かお困りな事がございますの?」
「ああ、兄上は相手に拒絶されている」
フローリィーゼは小さく息を呑んだ。しかし、次に夫が言った言葉により何とも言えない気分になる。
「兄上が愛してやまないのは猫なのだ」
「はい?」
猫。
それは、ニャオンと鳴く、ふわふわの毛で覆われた生物である。
「兄上は無類の猫好きだ」
「アルティリアを猫と一緒になさらないで下さい」
両方とも可愛いけれど、それは違うと母フローリィーゼは言いたい。
「皇族に執着を向けられてるいる点は同じだ」
「そうなのかもしれませんが……」
「兄上は猫を知って世界が一変したと話していた」
皇兄マキシミリアンが少年の頃、南宮の庭園に迷い込んだ小さな生物を発見した。それはどうやら生まれたてのようで、非常に弱々しく母を求めて刹那げに鳴いている。
真っ白な子猫ちゃんだった。
「ミーミー」
「かっ……可愛い」
神が遣わした天使だと彼は確信した。その愛らしさに涙さえ流れ出る。すぐさまマキシミリアンは、穢れを知らぬ純白の天使子猫ちゃんを保護するのであった。
しかし、子猫はマキシミリアンの異様な感情を感じ取り、かつ不快に思ったのか警戒を解かない。
「ふしーっ!」
子猫はマキシミリアンの全てを拒否。このままでは衰弱死してしまうと思われたが、事態は好転する。
好奇心旺盛な弟も世話を手伝いたいと言ってきたのだ。マキシミリアンは初めは渋ったが、子猫のためだと了承。兄弟は手ずから、と言ってもマキシミリアンは嫌われているので、主に弟が子猫の世話を引き受けた。柔らかな布で体を温め、ミルクを与え、排泄の手伝いも、嫌がらずに行う。皇子達の献身のお陰で、子猫はすくすくと成長し、非常に懐いた。弟皇子にだけに。
彼こそ後の皇帝アレクサンドロス、その人である。
一応、マキシミリアンの飼猫という立場であったが、子猫はアレクサンドロスから離れない。夜は兄皇子の部屋から抜け出し、弟のベッドに潜り込む。アレクサンドロスが目覚めると、子猫はスヤスヤと寝息を立てている日が続く。
そして、相変わらず子猫はマキシミリアンを威嚇する。当時から皇宮に出入りしていたセイン・チャングリフは思っていた。
猫も、アレクサンドロスも……
「空気読めよ」
また、マキシミリアンは他の猫も保護するようになったが、やはり過剰な愛を察した猫に嫌われ続けた。どうにかして猫を愛でたいマキシミリアンは代案を考える。
猫を抱いた弟を膝に乗せる事で、間接的に可愛がるという手法を編み出したのだ。それは長い間続き。
「余が成人を迎えようとする時期まで頼まれた」
その頃になると、ちょっと罪悪感を覚え始めていたアレクサンドロスは非常に恥ずかしいが協力していた。
「ええと、それは、何と言ったら良いか」
フローリィーゼは困惑した。何じゃそりゃと言ってしまいたい所だが、気配り上手な妻はその言葉を呑み込んだ。
「隙あらば、今なお膝に乗せようとしてくるのだ、40近くにもなった弟を」
聖務監マキシミリアンは皇帝に微笑みを向けて言うのだ。「やあ、私の可愛いアレクサンドロス。お兄様のお膝においで」と……
夫の苦渋に満ちた声を聞きつつ、フローリィーゼの非常に前向きな気持ちになっていった。
「仲が良ろしくて何よりですわ」
フェルディナンドとアルティリアもきっと悪い関係にはならないだろう。
「いや、よく考えてくれ。何が楽しくて猫を抱えて、中年の男の膝に乗らねばならんのだ。しかも、兄上は、まだちょっと根に持っているのだぞ」
「子猫の愛を奪った報いですわね。では、おやすみなさいませ」
フローリィーゼは皇后だ。しかし息子と娘を見守り続ける事を放棄するつもりはない。
「この子達は大丈夫ですわ」
「余は困っておるのだが……」
親世代の皇子達によるNTR(猫盗られた)
マキシミリアンの個人紋章はもちろん猫ちゃん。
世界中のあらゆる猫を愛している。そして、世界中の猫達はマキシミリアンの重過ぎる愛に警戒心を緩めない。




