皇子覚醒 01
フェルディナンド 覚醒する……シスコンに。
今回の話は短めの予定です。
南宮の庭園で開催された昼餐会。フェルディナンドにとっては特別な日だ。家族や親戚など親しい者だけを招待し、行われるアルティリアの11歳の誕生祝いだ。
あの時も今日のように賑やかな日だった。自分が奇跡を体感したと共に激しい後悔をしたあの日。今でも鮮明に思い出す。
フェルディナンドは幼少の頃より、学問も武術もそれなりにこなす事が出来「優秀な皇子」との評判を得ていた。ただ、まだ幼いためか、ごく稀に第二皇子を担ぎ上げようとする阿呆がまとわりついてくる事があった。奴らは皇帝の後継者として盤石な地位を築きつつある兄に、相手にされなかったのであろう。子供なら懐柔出来るとでも思ったのか。誰にも言ってはいないが、何が最も不快だったのかと言えば、兄を馬鹿にする発言をした者がいたからだった。
フェルディナンドは一見冷めた少年であったが、己の大切な存在に害を成そうとする者に容赦がなかった。
「兄上に切り捨てられたのは、己の愚かさ故にだと言う事が分かっていないらしい」
懐柔されたふりをして、反逆や不正の証拠を集めて父にプレゼントしてやった。それを知った時の阿呆共の顔はどんな喜劇よりも愉快で、是非ともまた見たいと思ったが、残念ながら次の機会は巡ってこなかった。どうやら貴族間で噂になったようだ。
「フェルはえげつないわねぇ」
すぐ上の姉、カトレアナに呆れたように言われたが、その姉は女だてらに乗馬大会に出場することを、称えるようで貶めてきた令息を圧倒的な結果で負かせていた。
「あらま、私に花を持たせてくれたのかしら。悪い事をしたわね」
順位が並んでいれば、そのような言い訳も可能であったかも知れないが、令息は姉よりもずっと下位であった。おまけに、その令息は騎馬隊入隊希望だったが、能力も示す事が出来ず、皇族への振る舞いも疑問視されて皇国騎士団に入団する事さえ出来なかった。
「人のこと言えるんですか?」
「何の事よ?」
おまけに姉は蹴散らした雑魚の事などすっかり忘れている。
ルヴァラン皇族は他国の王族よりも家族間の関わりは深く、皇帝である父も皇后である母も、忙しい中、家族との時間を割いてくれ、愛情深い両親、兄や姉達に囲まれて、フェルディナンドは成長していった。
そしてフェルディナンドが7歳になった頃、皇后である母が妊娠した。段々と膨らむ母の腹は、フェルディナンドに何とも言えない感情を抱かせた。母親が子を生むと言うのは、至極当たり前な生物の営みではあるが、問題なく母は出産する事が出来るのか、赤児は母の体から無事に出て来る事が出来るのか。調べれば出産時に母や子が命を落とす危険もあると言うではないか。
出産予定日に近付くにつれ、不安は膨らんでいく。そして、フェルディナンドの直感は的中し、フローリィーゼの出産は難産となった。
母は二日間も苦しんだ上に、一時は母子共に危険な状態だったという。幸い、母も妹も一命は取り留めたが、家族を失い掛けたと言う体験はフェルディナンドに衝撃をもたらした。
妹が誕生後、フェルディナンドは数日程、体調を崩してしまう。ベッドの中で改めて己の立場を反芻する。
皇族は個よりも国を優先しなければならない。大切なものは少なければ少ない程生きやすいのだと知った。以降、フェルディナンドは妹に会いに行くことなく、また、意図的に周囲と距離をおくようになってしまう。
ただ、話は伝え聞いていた。姉達は「可愛い、小さい、可愛い、小さい」を繰り返し、その生物を構おうとしている。兄でさえ。
「よし、兄が肩車をしてやろう!」
などと言って持ち上げようとし。母とモンスレー夫人にしこたま叱られていたそうだ。
「待ちなさい、ジーク!」
「まだ首が座っておりません!」
そう言えば、兄のジークフリードは意外と動物好きだが、何故か怯えられることが多く。
「魔獣種なら逃げないんだがな」
などとぼやいていた。なるほど、生まれたばかりの赤子は小動物に見えなくもないのだろう。
自分以外の家族が妹に夢中になっていても、気にする必要などない。そう自分に言い聞かせて三年が過ぎた。
その日は、近しい親族のみが集まって小さな園遊会が行われていた。私的な催しのため、南宮の庭園には大人だけでなく小さな子供達の姿もあり、彼らが鬼ごっこなどに興じている様子を大人達は微笑ましげに見守っている。
フェルディナンドは子供らしく「はしゃぐ」という行為は苦手だった。
父や母、兄や姉、皆から愛されているとは自覚している。だがフェルディナンドは時折り、妙な孤独感に悩まされる。その理由は自分自身でも分からない。
「怠いな」
賑やかな場所にいると、大勢に囲まれながらも異質な存在であるように感じてしまう。なんとも言えない不安定さから逃げ出そうと、フェルディナンドはこっそり、その場を離れようとした。
その時、人差し指の先を何者かに掴まれる。
反射的に見下ろすと、巨大なアメジストに自分の顔が写っている。その宝石のような瞳は己と同じ色をしており、パチリと瞬きをした。ぷくりと膨らんだ、柔らかそうな頬に、小さな薄紅の唇。
小さな幼児がフェルディナンドを見上げていた。
その瞬間、何かに撃ち抜かれた衝撃を覚える。生まれて初めて感じた感情。
可愛いーー
それは、女性が好む感覚で、レースやフリル、柔らかな色合い、生物では両生類や爬虫類に当てはまるものは少なく、リスやウサギなどの小動物、昆虫では蝶々などがそれに該当するらしい。
概念としては知っていた。しかし、フェルディナンドは、この時、これまで抱いたことのない「可愛い」という感情を知ったのだ。
なんという小さな手をしているのだ。その手が自分の指をしっかりと握っている。激しい歓喜が襲う。
祝福だ、これは神の祝福だ。間違いない。
少女がその口を開くと、真珠かと思わせるような歯を覗かせ言った。
「いっしょに、あそぶ?」
鈴が揺れたのかと思わせる声。
なんと清らかな音だろうか。
「あそぶの、や?」
しばらく見つめ合っていたが、少女はそっと指を離すと、侍女の方へトテトテ歩いて行ってしまう。返事がないため、追いかけっこはやりたくないのだと判断したのだが、フェルディナンド本人は気が付いていない。恐ろしいほどの喪失感を抱いたが、同時に歩く姿もなんと愛らしいのかと驚愕する。
少女はキョロキョロと辺りを見回し、何かを探しているようだ。そして、侍女に話しかけた。
「レン、いないね」
「今日はご家族とご親戚の集まりなのですよ」
侍女の言葉を聞いて、どこかしょんぼりしてしまったように感じた。レン?誰だ?
フェルディナンドが少女を見つめている事に気が付いた侍従のフランクは言った。
「アルティリア様で御座います。しばらくお会いしないうちに大きくなられましたね」
アルティリア。
なんと、あの少女は自分の妹だと言うではないか。
すると妹が再び、自分の方へと戻ってくる。胸が沸き立つ。これが高揚感というものか。しかし、妹は自分を通り過ぎてしまう。
「マディねえさま」
妹はマドリアーヌの所へ行ってしまった。しかも、とても親しいようで、妹は姉の手を当然のように握る。
「すずらん、さいたよ。みせてあげる」
鈴蘭はマドリアーヌの個人紋章に使われている花だ。また姉の好きな花でもあるので、庭園に咲いたらアルティリアは姉様に1番に教えてあげようと心待ちにしていたのだ。
マドリアーヌは鈴蘭が庭園に咲いた事を既に知ってはいたが、小さな妹がわざわざ案内をしてくれると言うのだ。可愛いったら、ありゃしない。
「じゃあ姉様が抱っこしてあげましょうね」
抱きしめたくもなるのが姉心だ。
マドリアーヌはカトレアナと違い乗馬など体を動かすことは、あまりないが身体強化は使えた。一見か弱そうな細腕にアルティリアを軽々と抱き上げる。そして、姉妹は「ぎゅ」と言って互いに体を密着させる。
羨ましげに見つめていると、姉の肩越しに妹と目が合う。胸がドキリと高鳴った。
「ねえさま」
「なあに?」
「あのかた、だあれ?」
アルティリアの視線の先にいるのは間違いなく自分だ。ショックを受けたフェルディナンドの顔を見て、吹き出しそうなマドリアーヌであったが、努めて冷静に教えてやった。
「リアのお兄様よ」
「ちがうよ!にいさま、じゃないよ」
「ぷっふ」
マドリアーヌは口から変な音を発した。堪えきれなかったらしい。周囲の側仕えの気まずい空気をもろともせず。ニヤニヤした笑顔を弟に向けてきた。
「にいさま、もっと、おっきいよ!」
「それはジークフリード兄様ね」
「そう!にいさまの、おなまえは、ジークフリイドよ」
アルティリアはフェルディナンドを兄と知らなかった。新生児と言われる月齢から、二人は会うことはなく。アルティリアにとっては「初めまして」であったのだから。
「ジークにいさま、すき!」
「私は?」
「マディねえさま、すき!」
「あの人は?」
「わかんない!」
「ぷっふ」
「他には誰が好き?」
「おかあさまと、レン!あとね、おとうさまと、カティねえさまとー。みーんな、すき!」
「あの人は?」
「わかんない!」
その後、フェルディナンドはもう一人の姉、カトレアナからも小馬鹿にされた。
「関わったことないんだから、認識されてなくても当然じゃないの」
フェルディナンドは、この三年という月日を後悔した。これは彼にとって人生最大の失敗と黒歴史として刻まれる事となった。なんと愚かな判断をしたのだろう。しかし同時に恐怖に陥る。あの少女が再び命の危険に晒されたら、正気を保てる自信はない。
まさかの、シスコン、覚醒後数分でザマア状態。
アレ、おかしいな。今回の話はザマアはないはずなのだが。
チビフェルディナンドは考え過ぎる極端なタイプ。
アルティリア誕生時、心配し過ぎて寝込む。
それからカティはカトレアナの愛称ですよ。




