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睡蓮の姫君 02

「レン、こっちよー」


木から降りると、アルティリアはレオンハートの手を引っ張って何処かに連れて行こうとする。


「アルティリア様、手を繋いで行きましょう」

「いーよ、レン、コテン、いたいからね」

「アルティリア様は騎士のようですね」

「ふふー」


姫君はレオンハートが転ばないように、手を繋いでくれると言う。アルティリアは、小さいながらも彼女なりに周囲に優しさを見せてくれるのだ。


姫君に案内され、木々を抜けていくと、開けた場所に出た。そこには小さな池があり、白、黄、薄紅、紫、様々な色の花が水面に浮かんでいた。


水辺で見失ったら大変な事になる。改めてしっかりとアルティリアの手を握ると「ぎゅ」と言って姫君はニコニコと笑う。


「みて、レンよ。きれーよ」

「ええ、睡()ですね」

「レン、おなまえ、いっしょ」

「そうですね、俺と同じですね」


本来なら良くはないのだが、アルティリアと二人になると心の鎧が外れて「私」ではなく、普段のように「俺」と言ってしまう。


元々、女性的な容姿を嫌い、わざと粗野に見せようとしていたが、気付けば定着していたのだ。そもそも、レオンハートは優雅な貴族とは程遠い性格をしていると自覚してる。


この美しく見える睡蓮とて、ぬかるんだ泥に根を伸ばして水面に花を咲かしているのだ。一部だけを知って、レオンハートを褒め称えている輩はなんと愚かなのか。


「レン、いっしょ、いっしょ」


そんな事を考えてはいたが、アルティリアが隣で嬉しそうにピョンピョン跳ねる様子を見てると、尖った心が解けていくように感じた。


「レンね、おみずにね。ながいのはえてるの」


姫君の図鑑は子供向けではなく、動植物の生態がくわしく描かれた大人向けのものだ。


「あと、モジャモジャ、ついてるの。ねっこよ」


花の部分だけでなく、茎や根に付いても説明があるようで、アルティリアはレオンハートに睡蓮について教えてくれた。


「アルティリア様はよくお勉強していらっしゃいますね」


そう褒めるとアルティリア様はふにゃりと笑う。


「レン、だいちき!」


だいちき、だいすき、大好き?


「はは、ありがとうございま……」

「レン、もじゃもじゃー」


なんだ、睡()か。


花の事だと気付いて、レオンハートは少し落胆してる自分に気付いた。しかし二歳の女の子に振り回さていても、ちっとも嫌な気分にならない。


「睡蓮の根っこも、お好きなんですか?」

「ねっこ?もじゃもじゃ?」


花は美しくとも、その根はグロテスクに泥の中に伸びている。少し意地悪な質問を投げかけてみたが、アルティリアは弾けるような笑顔を向けて叫ぶ。


「ちきよ!」


姫君は睡蓮の花の全てがお気に召しているようだ。良いなあ、睡蓮。アルティリア様はお前の全てが好きだとさ。愛されてるなぁ。


「レンとレンみてきたよ」

「睡蓮の池に行かれたのですね、次は私達も連れて行ってくださいね」

「いーよ」


侍女達と合流した帰り道、アルティリアはご機嫌だったが乳母の顔色はあまり良くない。


「アルティリア様は睡蓮の花が一番お気に入りなのですが、少々心配なので、中々連れて行ってあげられないのです」

「はい、手を離さないよう気をつけました」


そういうと、乳母は表情を和らげた。


「アルティリア様が貴方を好いてる理由が分かります」

「え?」

「姫様のなさりたい事を叶えて下さいますもの」


レオンハートは恥ずかしいような、嬉しいような、不思議な気分になる。そんな気持ちを抱えながらアルティリアの部屋へと戻ると、執事から皇帝の訪れを知らされた。


急な来訪に子供部屋が緊張に包まれる。レオンハートも貴族の端くれだが、成人前の子供だ。皇帝に御目見する機会などない。慌てて準備を整えると、あの肖像画の人物であり、ルヴァラン皇国皇帝アレクサンドロス陛下がやってきた。


「楽にせよ」


威厳のある低音。これが皇帝の声か。顔を上げると、アルティリアと同じ黒髪と深い紫の瞳の偉丈夫がそこにいた。


物心ついた頃より、戦いを仕込まれたレオンハートは直感的に恐怖を感じていた。それは本能に近いかもしれない。圧倒的な存在を前にした時の感覚だろう。改めてアルティリアは尊き血を受け継ぐ、ルヴァランの姫君だと実感する。


その姫君は父の姿を見つけると、恐れる事なくトテトテと近付いてゆく。そしてアレクサンドロスの前まで来ると言った。


「ぶーつ!」


なんてこった。


確かに皇帝は深いブラウンのブーツを履いて来ている。間違ってはいない。


ショックを受ける最高権力者の顔などレオンハートは直視できない。とんでもない空気が襲っている中、皇帝の侍従が言った。


「陛下、抱いて差し上げるべきかと」

「あ、ああ。そうだな。アルティリア、おいで」


姫君は父に抱き上げられ、アレクサンドロスと目線を合わせると「あっ」と気付いたかのような表情を見せる。そう、そうです、アルティリア様。


「へーか!」


誰か助けて。


しかも、アルティリアは皇帝に抱かれながら、アレクサンドロスの肖像画を指差して言うのだ。ニコニコしながら「おとさま、おとさま」と。


「アルティリア様は“肖像画”をお父様と認識しておられるご様子ですね」


何で、この人、ハッキリ言うの?

皇帝の侍従じゃないの?


そして、レオンハートは見逃さなかった。この侍従の口の端がピクリと動いた瞬間を。面白がってるだろ、この人。


おそらくだが、周囲の者達が肖像画を「お父様」アレクサンドロス本人を「陛下」と呼んでいる様子を見て、自分も陛下と呼ぶべきだと勘違いしたのだろう。賢い。でも、そこまで、気を使わなくていいんですよ、姫様。


アレクサンドロスは苦渋に満ちた顔をしながら、宣言した。


「これより、皆、余を“パパ”と呼ぶように」

「なりません」


すぐさま侍従が止めに入る。ありがとう。皇帝をパパ呼びする自信はない。


「子供達の一人くらいは、余をパパと呼んでも良いであろう」

「なりません」


こんなやりとりを続けて最終的に「アルティリア様のお父様」と妥協してもらった。


レオンハートにとってアルティリアの家族に出会うのは皇帝が初めてだったが、皇族ファミリーは仲が良く、度々、姫君の元を訪れているという。


母であるフローリィーゼ皇后は、毎日、朝晩どちらか、可能であればどちらの時間も訪れているという。レオンハートの登城前と後の時間帯なので御目見する機会に恵まれなかったが、アルティリアが夕方になると「おかさま、くる?」と乳母や侍女に尋ねている姿を見ていると、母を慕っている様子がよく分かる。


姉のマドリアーヌ皇女とカトレアナ皇女だが、二人は仲が良いらしく、よく時間を合わせて、訪れることが多いらしい。初めて現れた時は、それぞれアルティリアに土産を持ってきていた。


「アルティリア、見て。ルブロンオオツチグモよ!」


長女、マドリアーヌが巨大な蜘蛛のぬいぐるみを差し出すと。次女カトレアナが不敵な微笑みを浮かべた。


「お姉様は、また昆虫ですの?ワンパターンですわね」

「ふん、負け惜しみかしら」


カトレアナは不気味な赤い花のぬいぐるみを掲げた。


「ラフレシアよ!しかも、クッションになるの!」


正直、どちらも、お持ち帰り頂きたい。しかし我らが姫君の反応は違うのだ。


「かあいー」


嬉しそうに、禍々しい二体のぬいぐるみを抱きしめる。


「引き分けのようね、お姉様」

「次は私の勝ちよ」


どちらのプレゼントがアルティリアのお気に入りとなるか定期的に勝負をしているそうだ。


アルティリアはしばらく二人の姉と遊んでいたが、お昼寝の時間が近かったため、途中で眠ってしまった。


カトレアナ皇女のラフレシアの中央のくぼみにハマり、マドリアーヌ皇女の蜘蛛を抱いたまま、アルティリアは寝息を立てている。


小さな眠り姫の周囲にはクマやウサギなどの、一般的なぬいぐるみもあるのだが、イグアナやアオダイショウ、カブトガニ、サソリ、チョウチンアンコウなど、変わった生物のぬいぐるみもある。きっと、二人の姉姫が妹のために作らせた品々なのだろう。


「ごらんなさい、カトレアナ」

「まあ、まるで親指姫のようね」


チビッコが魔物に喰われているようにしか見えない。


二人の皇女はアルティリアを起こさないよう、そっと帰っていった。妹の「好き」を否定しない、優しい姉様達だ。


しかしレオンハートは摩訶不思議で奇妙な童話の世界に迷い込んだような気持ちになる。自分にとってアルティリアの「可愛い」は永遠の謎である。


ある時、皇太子ジークフリードが側近達を引き連れ、アルティリアの散歩へ同行した。皇太子は騎士団に所属しており、側近達も文武両道。頭も切れる武人か、格闘家のような文官が多い。


「ははは!アルティリアよ!兄に追いつけるかな!?」

「まってー」


若き獅子はアルティリアの激しい外遊びを余裕で楽しんでいる。幼児とは思えぬ速さで追いかけて来る妹を、捕まる寸前にかわしていた。追いかけっこをする兄妹の様子を見て、皇太子の側近達はしみじみと言うのだ。


「皇族も姫君となるとお淑やかだな」

「ああ、可愛らしい事だ」


皇太子の側近達に一騎当千の猛者が集まっている理由が分かった気がする。


「ははは!アルティリアよ!どうだ、高いだろう!?」

「も、いっかい、も、いっかい」


見ると、ジークフリードはアルティリアを高々と掲げて、自身も空高く跳躍している。あそこまで高い「たかいたかい」も、そうはないだろう。姫君は楽しそうだが、乳母や侍女の顔色が悪い。


魔力を集中させて見れば、皇太子が着地の際、アルティリアに衝撃を与えないよう調整している事が分かる。器用な方だ。


昔、父が「たかいたかい」と称して、自分を空高くぶん投げた時は、母がキレ散らかしていた事を思い出した。


「ははは!アルティリアよ!本物の兄はどれかな!?」


今度は皇太子はとてつもない速さで反復横跳びを始めた。速すぎて残像が見える。


「ぜんぶ、にいさまよー」

「正解だ!賢いな!アルティリア!」


その日の夕方。皇帝も来訪したので、さっそくアルティリアはジークフリードはとても速い、凄いのだと父に話した。それはそれは楽しそうに。


「お父様も出来るのだぞ!」

「なりません」


皇帝は室内で反復横跳びを始めようとしたので、侍従に止められていた。


また数日後、皇帝のと皇太子が同時に訪れ日があった。全員で庭園へと赴く。


「父の偉大さを教えてやる」

「年寄りの冷や水という言葉をご存知ですか」


父と息子の反復横跳び勝負が始まってしまった。仲が良いな。


「私が負けたら“パパ”とお呼びしましょう!」

「愚か者!10年遅いわ!」

「成人しようが、可愛い息子ですよ!」

「何故、声変わりする前にパパと呼ばなかった!」


アルティリアは分裂した父と兄をよそに、自身のスカートを見てハッとする。


「てんとむち!レン、てんとむち、いるよ」


裾に小さなてんとう虫が留まっていた。


こうして愉快な皇族ファミリーとの生活は続く。


そう言えば、次男のフェルディナンドが訪れる事はないのだろうかと、レオンハートは思ったが、その頃、第二皇子は妹に全く興味がないようで、アルティリアに会いに来る事は一切なかった。


そんなフェルディナンドが突如シスコンに目覚め、挙動不審になるなんて、当時は誰も思わなかったという。


アルティリアの遊び相手となり、数ヶ月が過ぎた頃。父と母と囲む晩餐にて、レオンハートは言った。


「士官学校には行きません」

「む」

「あら」


父と母の反応はこんなものだ。両親はレオンハートが侯爵家の跡取り候補になっている事など話題にしない。うるさいのは、両親以外の身内だ。


「騎士にならないのなら、どうするつもり?」

「皇宮で侍従になれるよう、今から勉強しつつ、人脈(コネクション)をつくります。場合によっては国立学園を受験しようかと」

「なら、お茶くらい淹れられるよう、母が教えてあげるわ」


その日から、母から地獄の特訓を受ける事になる。甘かった、お茶の世界は深い。鎧を装備して走り込みする方が楽だ。


父からは。


「鍛錬はしておけ」


とだけ言われた。体力はあるに越した事はないので、素直に従う事にする。それに、武術の心得がある方が、侍従としても優遇されるだろう。


しかし数日後の朝。


「レオンハート!レオンハートはいるか!」


皇宮への登城前に、同じ屋敷に住む、父の兄である伯父達と、その息子である従兄達が押し寄せてきた。


「お前、士官学校に行かないとは、どう言う事だ!」

「まさか、騎士を目指さないなんて事はないよな?」


皆、ダーシエの男らしく巨漢揃いなので、集団で来られるとむさ苦しい事この上ない。


勝手な事を言ってくれるが、伯父や従兄弟達には随分と可愛がられている自覚はある。おまけに、生意気だと敵視する者から庇ってもらう事もあり、レオンハートの心情的に拒絶する事は難しいのだ。


「お前はダーシエ最強の騎士となるのだぞ!」

「いいや、お主ならばルヴァラン最強の騎士になれる」

「己にどれほどの才があるのか、まだ分からないのか?」

「ルヴァランの剣となれ!盾となれ!」

「それが、ダーシエの男だ!」


はっきり言ったら、また男泣きされるかもしれない。こういう時は逃げるに限る。


「遅刻したら、ダーシエの恥なんで。いってきまーす」


岩山男の集団を潜り抜けて、皇宮を目指す。


「レオンハートおおおお!」


背後からオッサン達の絶叫が轟いた。

末っ子アルティリア同様、

レオンハートもダーシエ家の末っ子扱いです。

ただし、ダーシエ家のにいちゃん達は皆ゴツい。

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― 新着の感想 ―
ブーツ=お父様とならなかっただけ、成長したのかも? で、親子での反復横跳び普通なら微笑ましいエピソードととし、今なら結婚式スピーチでのネタの一つにでもなるような微笑ましさだけど、この親子の場合はなぁ…
>「私が負けたら“パパ”とお呼びしましょう!」 >「愚か者!10年遅いわ!」 >「成人しようが、可愛い息子ですよ!」 >「何故、声変わりする前にパパと呼ばなかった!」 この、やってる事と立場さえ一般…
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